一から四まで、彼がつらつらとノートに書き並べたルールを目で追いながら、一つ一つについて考えてみる。
 まず、一。彼が「命の交差点」と呼ぶのは、私にとって美瑛神社のことだ。彼は都立西が丘高校の生徒だと書いているから、彼の家は東京なのか——思い描いていた東京の街とはいささか違っていたので、分からなかった。東京と言っても郊外かもしれない。
 次に、二について。これは確かに彼の言うとおりかもしれない。実際私は午後八時に元の自分の身体へと舞い戻った。朝に関してはまだ分からないが、おそらく彼の言うとおりになるんだろう。
 三は、解釈が難しいな……。自分のパーソナルな部分に関する過去。確かに誰にでも、その人をつくる大事な一因が、人生の中でいくつか存在しているだろう。それを話すと入れ替わりが強制終了する。私にとっての大事な過去は——。

「たぶん、あれ(・・)だよね」

 自分の胸にそっと触れる。トクトクと脈打つ心臓が、私はここにいると証明してくれていた。あのことは桜晴に話してはいけない。勘がそう告げていた。
 そして四だが、こちらは至極単純なルールだ。過去を話すという、いわゆる禁忌を犯せばその人との入れ替わりが終了し、永遠に同じ人と入れ替わることはできない。美瑛神社でもう一度入れ替わりを願っても無駄だということ。

「なるほどね……」

 頭の中で、だいぶルールを明確に理解することができた。なんだかすっきりした気分だ。不可解な現象には変わりないけれど、桜晴の書いてくれたノートのおかげで、取り乱さずに済んだのだろう。
 ほっと一息ついたが、ノートにはまだ続きがあることに気づいた。

『ここまで読んでくれてありがとう。ルールの三と四について、少し補足します。自分の過去を話しちゃいけないって書いたけれど、あくまで“この入れ替わりを続けたい”という前提が必要になります。だからもし、きみが僕と入れ替わりの生活を送りたくないということなら、今すぐきみの大事な過去をノートに書いて、僕に知らせてください。僕は誰にもきみの大切な過去の話を言いふらしたりしないから、そこは信用してほしい。僕は——僕は、できるならもう少しきみと入れ替わりの日々を楽しんでみたいです。でも、きみの意思を尊重します。それではまた』

 ノートの文はそう締めくくられていた。

「入れ替わりを、続けたいかどうか、かぁ……」

 確かに彼の言うとおり、入れ替わりを続けたくないと思うなら、ルール三については気にする必要がない。
 でも、四は……。
 一度入れ替わりが強制終了すると、もう二度とその人とは入れ替わることができなくなる。つまり、彼との関わりが断絶してしまうということだ。
 まだ一度しか入れ替わりをしていないのに、胸の奥からむくむくと湧き上がる、彼への愛着のようなものを感じていた。本当に不思議なのだけれど、私は彼のことを、もう少し知りたいと思う。 

「……もう少し、続けてみようかな」

 頭の中で出した結論を、そっと呟いてみる。
 もし今後、入れ替わりをやめたいと思ったら、その時に過去を晒せばいいだけのこと。今すぐ決断しなくてもいいような気がする。
 私はその日、いつも通り仕事から帰ってきた両親に就寝の挨拶をして、眠りについた。
 夢の中で、私は桜晴を、傍から眺めていた。
 自分が彼に入れ替わっているのではない。彼の守護霊になったみたいに、後ろから教室にいる彼を観察していた。制服や学校の感じからして、中学生の頃の彼だと分かった。

「鳴海、この文章音読してみろ」

「は、はい。さ、さささ、山椒魚は、かああなしんだ——」

「くっ、何あれ。そんなに緊張する?」

「めっちゃ吃るじゃん」

「先生、別の人に変えてあげて!」

 くすくすとクラスメイトが彼の音読する姿を嘲笑う。桜晴は吃りの癖があるのだろうか。当事者でもないのに、胸が不安でいっぱいになっていた。

「人が頑張ってるところを、笑う人はどうかしてると思う」

 一人の女の子が、椅子から立ち上がりその場を制する。正義感の強い瞳が特徴的で、私は胸がきゅっと鳴った。
 桜晴は、顔を真っ赤にして俯いて席に座る。女の子も、ずばっと自分の意見を言った後は、静かに着席した。
 教室になんとも言えない空気が広がる。先生が、「鳴海、ありがとう」とその場を丸く収めようとしたところで、夢は途切れた。