秋を程遠く感じる中、体育祭の練習が始まった。
といっても、真剣に取り組む生徒は少なく、雑談をしている生徒がほとんどだ。年々気温が高くなっていることもあり、教師陣はそれを黙認している。
例に漏れず、怜依も不真面目組だった。
応援の全体練習の後、グループ練習に切り替わったのだが、蒼色のはちまきを首にかけ、木陰で涼んでいる。放送部員がリハーサルをしているが、怜依の耳に届いているようには思えない。
見上げた青空はどこまでも広く、グラウンドを容赦なく照りつけてくる太陽。その光は、怜依がここにいることを許さないと言っているようだ。黒く染ってしまった人間に、居場所などない、と。
「怜依ちゃん、ここにいたんだ」
帰りたい、そう思った怜依に声をかけたのは、佑真だ。規定通りに蒼色はちまきを巻いている佑真を見て、怜依はまた空に視線を戻した。
佑真は怜依の隣に腰を下ろす。
「休憩中?」
怜依が応えないことで、佑真は困った表情を浮かべている。
だが、怜依はそれに気付く様子を見せない。ただ静かに、真っ白な雲が流れ、太陽を覆う様を眺めている。
まだ蝉が鳴いている。まだ夏か。いつでも咲乃が傍にいてくれた夏。咲乃が隣にいない悪夢を見せるなんて、趣味が悪いな。
そんな、現実逃避をしてしまうほど、怜依のメンタルは堕ちていた。
「……咲乃ちゃんは?」
ふと隣からその名が聞こえ、今ようやく、佑真が隣にいることを認識したらしい。
「咲乃は……紅だから」
でも、咲乃が紅組であることしか知らない。
どんな競技に参加するのか。どこで応援のダンスをするのか。楽しいのか、つまらないのか。
些細なことすらも、怜依は聞けていない。
咲乃と会話をしていると、新城に繋がってしまいそうで、怖くて仕方がない。だから、ぱたりと咲乃との連絡を絶ってしまっていた。
「そうなんだ。じゃあ、新城くんと同じなんだね」
新城。今、一番聞きたくない名前だ。
「あ……ごめん」
佑真は無神経なことを言ったと気付いたのか、気まずい空気を出す。
もう手遅れだ。考えないようにしていたことを、どんどん想像してしまう。
新城と楽しそうにしている咲乃。新城とサボる咲乃。新城に手を出されている咲乃。照れくさそうにしている咲乃。
そのあとに出てくるのは、勝ち誇ったような表情の新城。
どれも心を抉られるもので、なにより、新城にムカついた。
「……怜依ちゃんも、応援練習しない? 身体動かすと、すっきりするよ」
暑い中で、身体を動かす気力はまだない。それは永遠に湧いてこないだろうけど、佑真の言うことも一理あると思った。
怜依は重たい腰を上げる。
「行こう!」
佑真は怜依の手を引いて、日向に出た。肌が焼かれる感覚は、無数の細い針で刺されているようで痛い。日陰に戻って休みたい気持ちでいっぱいなのに、佑真が手を離す気配はない。
腹を括るしかないらしい。
気だるげな怜依に対して、佑真は笑顔だ。楽しくて仕方ないと言っているのがわかる。
なんだか、残されていないやる気すらも、佑真に吸い取られていく気がする。
「んー、どこがいいかな……怜依ちゃん、仲のいい子とかいないの?」
グループは、自由に組んでいいようだった。
しかし、佑真の問いに、怜依は首を傾げた。話す子は何人かいるけれど、特別仲良くしている子はいないからだ。
「和多瀬さん、一緒にやる?」
すると、去年同じクラスだった寄田莉帆が声をかけてきた。
怜依は答えていないのに、佑真は手を離す。
「じゃあ怜依ちゃん、サボっちゃダメだからね」
佑真は念を押して、男子グループに戻っていった。
子供扱いするなと文句を言う間もなく、その場に残った怜依は不貞腐れている。
「和多瀬さん、どれくらい覚えた?」
「……微妙かな」
正直にゼロと言えるはずもなく、怜依は便利な言葉で誤魔化した。
「わかる、私も微妙なの。去年もそうだったけど、応援のダンスって難しいよね」
莉帆は同意をしながら、引き続きダンスの練習をしている。こうして真面目に取り組んでいる子のそばにいると、サボっていたことに対して罪悪感が込み上げてくる。
怜依はただ立っているだけも気まずく感じ、莉帆の振りを真似して手を動かす。
右手を前に伸ばして、手首を回して、腰に当てる。左手も一緒に動かして。足は……開く?
莉帆の動きを見よう見まねでやってみるけれど、なにをしているのか、さっぱりわからない。
「一緒にやろって言っておきながら、下手でごめんね」
怜依が戸惑いながら動いていることに気付き、莉帆は申し訳なさそうに言った。
「ううん、大丈夫」
結局できないままでも、問題ないから。
心の中で続けた本音。それを言わないのは、怜依の中で莉帆と咲乃が似ていると感じているからだろう。
「順調? 適度に休憩取ってね」
もう少し真面目にやってみようかと思ったとき、三年生が声をかけに来た。
まったく順調には思えないけれど、ずっと休んでいた怜依に対して、莉帆たちは練習を続けていた。それゆえに、休憩時間となった。
出鼻をくじかれたように感じたが、もともと木陰に戻りたいと思っていたため、好都合だった。
五人程度で集まっていたグループが、またさらに分裂して、散っていく。
「ね、和多瀬さんって、相田くんと仲良いよね。付き合ってるの?」
さっきまでいた場所に戻ろうとした怜依を、その声が引き止めた。
振り向くと莉帆と、見覚えはあるが名前は知らない子がいる。困惑している莉帆。興味津々な彼女。どちらが聞いてきたのかなんて、明らかだ。
幾度となくその勘違いをされてきたため、怜依は内心面倒に感じた。だが、莉帆の友人となると、無下にはできない。ため息が出そうになるのを、必死に堪える。
「……違うけど」
「えー! じゃあ、付き合ってないのに、手を繋いでたってこと!?」
彼女の声は大きく、図らずも注目されてしまう。
「茉由、声が大きいよ」
「おっと、ごめん」
茉由は手で口を塞ぐ。そのまま、周囲にも頭を下げながら、茉由たちは木陰に進む。
怜依がどっちに進むか悩んでいると、茉由が手招きをした。やはり、逃がしてはくれないらしい。
「それで、本当に付き合ってないの?」
水分を補給すると、茉由は改めて聞いてきた。
「付き合ってない」
「恋愛感情とかもなし?」
「ない」
怜依が淡々と答え、茉由は「えー?」と疑いの目を向けてくる。
佑真は中学時代からの腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、怜依にとっての当たり前が、他人の当たり前ではないことを、怜依はすでに知っている。だから、これは中身のない雑談なんだと受け流すことにした。
「お似合いだと思ってたのになあ」
茉由はそう言いながら、水を飲む。
これであの話題は終わっただろうか。もしそうなら、ここから離れたい。
「お似合いと言えば、思い出した! 新城隼人と新しい彼女!」
喉が締められた気がした。
ここでもその話をしなければならないなんて。また、その二人がどうとか、意見を求められるのか。
ああもう、学校に来ることすら辞めたい。
「あの二人もお似合いだよね」
怜依は拍子抜けした。
ずっと、意外だという言葉ばかり聞かされていたから、そんなふうに思っている人がいるなんて、知らなかった。
「朝、登校中の二人を見かけたんだけどさ、もう、ビジュ良!って感じで。あの二人の空間だけ異世界だったわ。今年のベスカプはあの二人で決まりだろうね。莉帆もそう思わない?」
「そうだね」
莉帆が困惑気味に言っていることに、怜依は気付いた。
『この子、妹さん?』
『違うけど、私の一番大切な子』
ふと、去年莉帆とそんな会話をしたことを思い出した。咲乃が笑っている写真をロック画面に設定しているのを見られたときのことだった。
ときどき咲乃とのことを話していたから、莉帆は怜依の心が冷えていっていることに気付いているのかもしれない。
そう思うと、莉帆に話を聞いてほしくなった。この抱えきれない闇を、少しでも減らしたくなった。
そのとき、遠くで茉由を呼ぶ声がした。茉由はそれに応えると、軽く断って、そっちに走っていった。
莉帆と二人きり。話を聞いてほしいと思ったのに、どう切り出せばいいのかわからない。
「ごめんね、和多瀬さん。茉由がはしゃいじゃって……」
莉帆が眉尻を下げて言うと、怜依は首を横に振った。誰がどう聞いても、莉帆が謝るようなことではない。
「咲乃ちゃんのこと、聞きたくなかった、よね?」
「それは、まあ……」
咲乃たちの交際に肯定的な意見は、初めて聞いた。咲乃のことを貶されることなく、茉由は話していたのに、なぜか怜依は釈然としなかった。
「仲のいい子が、急に知らない人に取られちゃうと、寂しいよね」
莉帆にそんなことを言われると思っていなかった怜依は、反応に戸惑った。莉帆は困ったように笑う。
「私もね、そんなふうに思ったことがあるんだ」
莉帆は儚い表情を浮かべ、遠くを見つめている。
「中学のとき、すごく仲がいい子がいたんだけど……その子、彼氏ができた途端、私のことを後回しにするようになっちゃって。いつも私のところに来てくれてたのに、なんで?って。それなら別れちゃえって」
それは今の怜依と似たような状態だった。怜依はすっかり莉帆の話に集中している。
「それからどうなったの?」
「まったく話さなくなって、そのまま卒業した。今でも、連絡は取ってないかな」
莉帆と自分を重ねていたため、その結末に背筋が凍った。
咲乃と話せなくなる。会えなくなる。
そんなの、絶対に嫌だ。
「咲乃ちゃんには、伝えてみた? 寂しいって」
怜依は首を左右に振る。
「言っても、いいのかな」
「私はいいと思う。だって、咲乃ちゃんは和多瀬さんの言葉を聞き流すような子じゃないでしょう?」
「うん……」
だから言いたくないとも思った。こんなことすらも気にするような子だから、言えない。
でも、言わなかったら、完璧に新城に取られてしまう。そのほうが、嫌だ。
「……咲乃と話していたら、別れろって言いそう」
「そういうのは、私が聞くよ」
莉帆は迷う様子もなく言った。それに怜依が驚いていると、莉帆は慌てた様子を見せる。
「あ、出しゃばったこと言ったかも。私だと話しにくいよね。それこそ、相田くんとかのほうが」
まくし立てる莉帆を、怜依は微笑ましく感じた。
「ううん、寄田さんがいい。寄田さんに、聞いてほしい」
すると、莉帆は頬を綻ばせた。
「莉帆! 和多瀬さん! 集合だって!」
お互いに照れくさい空気になったとき、遠くで茉由が叫んだ。
「今行く!」
莉帆が返すと、二人は並んで歩き出す。
もう、日向は怖くなかった。
といっても、真剣に取り組む生徒は少なく、雑談をしている生徒がほとんどだ。年々気温が高くなっていることもあり、教師陣はそれを黙認している。
例に漏れず、怜依も不真面目組だった。
応援の全体練習の後、グループ練習に切り替わったのだが、蒼色のはちまきを首にかけ、木陰で涼んでいる。放送部員がリハーサルをしているが、怜依の耳に届いているようには思えない。
見上げた青空はどこまでも広く、グラウンドを容赦なく照りつけてくる太陽。その光は、怜依がここにいることを許さないと言っているようだ。黒く染ってしまった人間に、居場所などない、と。
「怜依ちゃん、ここにいたんだ」
帰りたい、そう思った怜依に声をかけたのは、佑真だ。規定通りに蒼色はちまきを巻いている佑真を見て、怜依はまた空に視線を戻した。
佑真は怜依の隣に腰を下ろす。
「休憩中?」
怜依が応えないことで、佑真は困った表情を浮かべている。
だが、怜依はそれに気付く様子を見せない。ただ静かに、真っ白な雲が流れ、太陽を覆う様を眺めている。
まだ蝉が鳴いている。まだ夏か。いつでも咲乃が傍にいてくれた夏。咲乃が隣にいない悪夢を見せるなんて、趣味が悪いな。
そんな、現実逃避をしてしまうほど、怜依のメンタルは堕ちていた。
「……咲乃ちゃんは?」
ふと隣からその名が聞こえ、今ようやく、佑真が隣にいることを認識したらしい。
「咲乃は……紅だから」
でも、咲乃が紅組であることしか知らない。
どんな競技に参加するのか。どこで応援のダンスをするのか。楽しいのか、つまらないのか。
些細なことすらも、怜依は聞けていない。
咲乃と会話をしていると、新城に繋がってしまいそうで、怖くて仕方がない。だから、ぱたりと咲乃との連絡を絶ってしまっていた。
「そうなんだ。じゃあ、新城くんと同じなんだね」
新城。今、一番聞きたくない名前だ。
「あ……ごめん」
佑真は無神経なことを言ったと気付いたのか、気まずい空気を出す。
もう手遅れだ。考えないようにしていたことを、どんどん想像してしまう。
新城と楽しそうにしている咲乃。新城とサボる咲乃。新城に手を出されている咲乃。照れくさそうにしている咲乃。
そのあとに出てくるのは、勝ち誇ったような表情の新城。
どれも心を抉られるもので、なにより、新城にムカついた。
「……怜依ちゃんも、応援練習しない? 身体動かすと、すっきりするよ」
暑い中で、身体を動かす気力はまだない。それは永遠に湧いてこないだろうけど、佑真の言うことも一理あると思った。
怜依は重たい腰を上げる。
「行こう!」
佑真は怜依の手を引いて、日向に出た。肌が焼かれる感覚は、無数の細い針で刺されているようで痛い。日陰に戻って休みたい気持ちでいっぱいなのに、佑真が手を離す気配はない。
腹を括るしかないらしい。
気だるげな怜依に対して、佑真は笑顔だ。楽しくて仕方ないと言っているのがわかる。
なんだか、残されていないやる気すらも、佑真に吸い取られていく気がする。
「んー、どこがいいかな……怜依ちゃん、仲のいい子とかいないの?」
グループは、自由に組んでいいようだった。
しかし、佑真の問いに、怜依は首を傾げた。話す子は何人かいるけれど、特別仲良くしている子はいないからだ。
「和多瀬さん、一緒にやる?」
すると、去年同じクラスだった寄田莉帆が声をかけてきた。
怜依は答えていないのに、佑真は手を離す。
「じゃあ怜依ちゃん、サボっちゃダメだからね」
佑真は念を押して、男子グループに戻っていった。
子供扱いするなと文句を言う間もなく、その場に残った怜依は不貞腐れている。
「和多瀬さん、どれくらい覚えた?」
「……微妙かな」
正直にゼロと言えるはずもなく、怜依は便利な言葉で誤魔化した。
「わかる、私も微妙なの。去年もそうだったけど、応援のダンスって難しいよね」
莉帆は同意をしながら、引き続きダンスの練習をしている。こうして真面目に取り組んでいる子のそばにいると、サボっていたことに対して罪悪感が込み上げてくる。
怜依はただ立っているだけも気まずく感じ、莉帆の振りを真似して手を動かす。
右手を前に伸ばして、手首を回して、腰に当てる。左手も一緒に動かして。足は……開く?
莉帆の動きを見よう見まねでやってみるけれど、なにをしているのか、さっぱりわからない。
「一緒にやろって言っておきながら、下手でごめんね」
怜依が戸惑いながら動いていることに気付き、莉帆は申し訳なさそうに言った。
「ううん、大丈夫」
結局できないままでも、問題ないから。
心の中で続けた本音。それを言わないのは、怜依の中で莉帆と咲乃が似ていると感じているからだろう。
「順調? 適度に休憩取ってね」
もう少し真面目にやってみようかと思ったとき、三年生が声をかけに来た。
まったく順調には思えないけれど、ずっと休んでいた怜依に対して、莉帆たちは練習を続けていた。それゆえに、休憩時間となった。
出鼻をくじかれたように感じたが、もともと木陰に戻りたいと思っていたため、好都合だった。
五人程度で集まっていたグループが、またさらに分裂して、散っていく。
「ね、和多瀬さんって、相田くんと仲良いよね。付き合ってるの?」
さっきまでいた場所に戻ろうとした怜依を、その声が引き止めた。
振り向くと莉帆と、見覚えはあるが名前は知らない子がいる。困惑している莉帆。興味津々な彼女。どちらが聞いてきたのかなんて、明らかだ。
幾度となくその勘違いをされてきたため、怜依は内心面倒に感じた。だが、莉帆の友人となると、無下にはできない。ため息が出そうになるのを、必死に堪える。
「……違うけど」
「えー! じゃあ、付き合ってないのに、手を繋いでたってこと!?」
彼女の声は大きく、図らずも注目されてしまう。
「茉由、声が大きいよ」
「おっと、ごめん」
茉由は手で口を塞ぐ。そのまま、周囲にも頭を下げながら、茉由たちは木陰に進む。
怜依がどっちに進むか悩んでいると、茉由が手招きをした。やはり、逃がしてはくれないらしい。
「それで、本当に付き合ってないの?」
水分を補給すると、茉由は改めて聞いてきた。
「付き合ってない」
「恋愛感情とかもなし?」
「ない」
怜依が淡々と答え、茉由は「えー?」と疑いの目を向けてくる。
佑真は中学時代からの腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもない。
だが、怜依にとっての当たり前が、他人の当たり前ではないことを、怜依はすでに知っている。だから、これは中身のない雑談なんだと受け流すことにした。
「お似合いだと思ってたのになあ」
茉由はそう言いながら、水を飲む。
これであの話題は終わっただろうか。もしそうなら、ここから離れたい。
「お似合いと言えば、思い出した! 新城隼人と新しい彼女!」
喉が締められた気がした。
ここでもその話をしなければならないなんて。また、その二人がどうとか、意見を求められるのか。
ああもう、学校に来ることすら辞めたい。
「あの二人もお似合いだよね」
怜依は拍子抜けした。
ずっと、意外だという言葉ばかり聞かされていたから、そんなふうに思っている人がいるなんて、知らなかった。
「朝、登校中の二人を見かけたんだけどさ、もう、ビジュ良!って感じで。あの二人の空間だけ異世界だったわ。今年のベスカプはあの二人で決まりだろうね。莉帆もそう思わない?」
「そうだね」
莉帆が困惑気味に言っていることに、怜依は気付いた。
『この子、妹さん?』
『違うけど、私の一番大切な子』
ふと、去年莉帆とそんな会話をしたことを思い出した。咲乃が笑っている写真をロック画面に設定しているのを見られたときのことだった。
ときどき咲乃とのことを話していたから、莉帆は怜依の心が冷えていっていることに気付いているのかもしれない。
そう思うと、莉帆に話を聞いてほしくなった。この抱えきれない闇を、少しでも減らしたくなった。
そのとき、遠くで茉由を呼ぶ声がした。茉由はそれに応えると、軽く断って、そっちに走っていった。
莉帆と二人きり。話を聞いてほしいと思ったのに、どう切り出せばいいのかわからない。
「ごめんね、和多瀬さん。茉由がはしゃいじゃって……」
莉帆が眉尻を下げて言うと、怜依は首を横に振った。誰がどう聞いても、莉帆が謝るようなことではない。
「咲乃ちゃんのこと、聞きたくなかった、よね?」
「それは、まあ……」
咲乃たちの交際に肯定的な意見は、初めて聞いた。咲乃のことを貶されることなく、茉由は話していたのに、なぜか怜依は釈然としなかった。
「仲のいい子が、急に知らない人に取られちゃうと、寂しいよね」
莉帆にそんなことを言われると思っていなかった怜依は、反応に戸惑った。莉帆は困ったように笑う。
「私もね、そんなふうに思ったことがあるんだ」
莉帆は儚い表情を浮かべ、遠くを見つめている。
「中学のとき、すごく仲がいい子がいたんだけど……その子、彼氏ができた途端、私のことを後回しにするようになっちゃって。いつも私のところに来てくれてたのに、なんで?って。それなら別れちゃえって」
それは今の怜依と似たような状態だった。怜依はすっかり莉帆の話に集中している。
「それからどうなったの?」
「まったく話さなくなって、そのまま卒業した。今でも、連絡は取ってないかな」
莉帆と自分を重ねていたため、その結末に背筋が凍った。
咲乃と話せなくなる。会えなくなる。
そんなの、絶対に嫌だ。
「咲乃ちゃんには、伝えてみた? 寂しいって」
怜依は首を左右に振る。
「言っても、いいのかな」
「私はいいと思う。だって、咲乃ちゃんは和多瀬さんの言葉を聞き流すような子じゃないでしょう?」
「うん……」
だから言いたくないとも思った。こんなことすらも気にするような子だから、言えない。
でも、言わなかったら、完璧に新城に取られてしまう。そのほうが、嫌だ。
「……咲乃と話していたら、別れろって言いそう」
「そういうのは、私が聞くよ」
莉帆は迷う様子もなく言った。それに怜依が驚いていると、莉帆は慌てた様子を見せる。
「あ、出しゃばったこと言ったかも。私だと話しにくいよね。それこそ、相田くんとかのほうが」
まくし立てる莉帆を、怜依は微笑ましく感じた。
「ううん、寄田さんがいい。寄田さんに、聞いてほしい」
すると、莉帆は頬を綻ばせた。
「莉帆! 和多瀬さん! 集合だって!」
お互いに照れくさい空気になったとき、遠くで茉由が叫んだ。
「今行く!」
莉帆が返すと、二人は並んで歩き出す。
もう、日向は怖くなかった。