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教室に入ると、新城は窓際の一番後ろにある、自分の席に座っていた。退屈そうに、スマホを触っている。それを中心にして、一軍の女子たちが群がっている。そこに、花那の姿は見当たらない。
そういえば、彼女は文系クラスだった。またあの鋭い言葉を聞くことはなさそうだ。
なんて思っていたのに。
「ねえ隼人、彼女って本気なの?」
「まさか。あの子に本気とか、ありえないでしょ」
「あんなピュアピュアな子、退屈しない?」
新城が反応しない中で、彼女たちは好き勝手に言っている。花那と似たようなことを言っているのも聞こえて、怜依は不快に感じた。
イヤホン、持ってくればよかったな。
そんなことを思いながら、怜依は自分の席に向かう。ただ、後ろの真ん中くらいに席があるせいで、その声が大きくなっていく。
どうか、気付くな。そのまま、新城に質問攻めしていて。
「あ、和多瀬さん!」
些細な願いは、当然のごとく潰された。
視線をあげると、女子たちの視線が怜依に向けられている。
面倒な予感がする。でも、無視したらもっと面倒なことになるだろう。だとしても、会話したくない。絶対、咲乃のことだし。今は、そのことに触れたくないのに。
「……なに?」
諸々葛藤があった後、なにもわかっていないように見せかけて、応えた。
「隼人の彼女って、和多瀬さんの後輩ちゃんだよね? 和多瀬さん的にはいいの? 後輩ちゃんの相手が隼人で」
さっきまで、咲乃のことを下げるようなことを言っていたくせに。今度は、新城を下げている。
彼女たちの愚かさが滲み出ていて、気持ちが悪かった。
ここで、怜依が認めないと言ったらなにを言うつもりなんだろう。新城に、別れるよう迫るのだろうか。
とてつもなく、くだらない。
「……別に?」
「えー? ホントにー?」
耳を塞ぎたくなるような、高い声。明らかに相手を見下したような表情。
不快さしか与えない彼女たちが、怜依には理解のできないバケモノに見えた。
「和多瀬さんにいいこと教えてあげる」
すると、一人が怜依に近付いた。右手を口元に添える仕草から、内緒話をしようとしていることは察した。
けれど、彼女の香水が合わなくて、怜依は若干、彼女から身体を離す。
「隼人ね、手が早いの」
全身に鳥肌が立った。
もう十分に不快感を覚えていて、これ以上はないと思っていた。でもそれは、気のせいだったらしい。
この子は、嬉々としてなにを言っているのだろう。これで怒らせて、別れろって言わせようって魂胆? なんて浅はかなんだろう。
それでも怜依は、感情に任せて言葉を言わなかった。ここでの自分の発言が、いつか咲乃を苦しめることになると判断ができるくらい、怜依は冷静だった。
加えて、怜依の判断ブレーキになっているのは、幸せそうな咲乃と、つらそうな咲乃の姿。
咲乃には幸せになってほしい。いつまでも、笑っていてほしい。その願いは永久ものだ。
だけどやっぱり、こういった話を聞いたり、彼女たちを見たりしていると、新城はやめてほしいと思ってしまう。
「ね、和多瀬さん。本当にいいの? 大事な後輩ちゃんが、隼人に汚されちゃっても」
怜依が黙り込むと、彼女は追い討ちをかけるように、言葉を重ねた。的確に、怜依が嫌がるような言葉を使って。
「どんどん、知らない子になっちゃうんだよ?」
「ねえ、うるさいんだけど」
我慢の限界を迎え、言い返そうとしたそのとき、鋭く低い声が聞こえてきた。
さっきまで怜依を攻めていた彼女は、慌てた様子で振り返る。怯えているのは、彼女だけではなかった。周りにいる女子全員が、固まっている。
彼女越しに見える新城は、不機嫌そうに見えた。長めの前髪に隠れているはずなのに、睨まれていることがわかる。
「ご、ごめん、隼人」
その目力に、彼女は声を震わせた。睨まれた本人ではない怜依ですら、恐ろしいと思ってしまったのだから、相当怖いのだろう。
だが、怜依は指摘できるなら、もっとはやく言ってくれればよかったのにと思わずにはいられなかった。
「でもやっぱり」
「俺が誰と付き合おうと、俺の自由。違う?」
それでも食い下がらない彼女に対して、新城ははっきりと言う。ずっと、全部聞き流されていたのに、急にここまで言われたことで、彼女たちに戸惑いが走る。
そして、脳内に過ぎったことだろう。
新城に嫌われる、と。
「そ、そうだよね」
「隼人の自由、間違いない」
「誰でも虜にしちゃうなんて、さすが隼人だよ」
慌てて取り繕って、お互いに「ね、ホントだよね」なんて言いながら、彼女たちは解散していった。
一気に周りが静かになり、不快感から解放されたことで、怜依は小さく息を吐き出した。やっと、嫌な言葉を聞かずに済む。
正直、新城の一言で空気が変わったのは、気分がよかった。
自分の欲のままに発言するから、あんなことになる。まさに、自業自得。これに懲りて、しばらくは大人しくしていてほしい。
そんなことを思った自分に気付いて、怜依は雑念を振り払うように、首を横に振った。
そうだ、席に着いて、一旦落ち着こう。
いやダメだ、不完全燃焼だ。どうしても、はっきりと文句を言ってやればよかったという気持ちが消えない。
咲乃をバカにされたのに、どうして言い返さなかったんだろう。花那のときだってそう。あの場で言い返しておけば。
言い返せば……自分はすっきりするだろうけど、きっと咲乃は違う。言い合っている空気に耐えられなくなる。
そう、だから言い返さなかったんだ。
「認めてくれた? 俺のこと」
怜依が嫌な感情を必死に押さえ込んでいると、声をかけられた。新城は左手で頬杖をつき、なぜか勝ち誇ったような表情で、怜依を見ている。
たった一言で制しちゃう俺、かっこいいでしょ?ってことだろうか。
「……足立花那にも、同じように言ったの?」
「花那?」
新城は自然と花那の名を口にした。咲乃以外の女の子の名前を呼ぶこともまた、怜依には許せなかった。
「花那には言ってない。花那は、本人に堂々と言わないと気が済まないタイプだから。あそこにいた男にでも聞いてみ? すぐ解散したって教えてくれるだろうから」
新城が嘘をついているようには見えなかったため、怜依は仕方なく信じることにした。
「で、俺はお眼鏡にかなった?」
新城に問われて、怜依は新城を一瞥する。
目立つ髪色。整った容姿。にんまりと笑う表情。
どれも、気に入らない。これが咲乃の彼氏だなんて。
「……認めない」
「あれ? さっきの、響かなかったか」
響くものか。そんな、下心ありの発言なんて。
でもこれは、やっぱり咲乃と付き合っているからという前提があるからだろう。
咲乃と付き合っているから、嫌い。認めない。許さない。
だけど、こんな感情を抱いてしまう私を、咲乃は嫌がるかも。
そう思った途端、認めなければ、と思った。
「でも、俺たちが付き合うのは、許してくれるんでしょ? 別にって言ってたし」
「それは……」
怜依はわかりやすく、言葉を詰まらせた。これでは、本心は違うと言っているようなものだ。
それでも、咲乃が別れたくないと言っていたから、怜依に口出しできることなどない。
もしいろいろ言ってしまえば、怜依もさっきの彼女たちと同類になってしまう。こうはなりたくないと思った手前、本音を押し殺す以外なかった。
「……咲乃を泣かせたら、殺してやる」
「おお、こわ」
新城は笑って本気にしていないようだけれど、怜依は冗談のつもりで言っていない。そのくらいの気持ちでいる。
それが伝わっていないことに対して不満はあった。でも、始業を告げるチャイムが鳴ったことで、また怜依は言葉を飲み込むことになってしまった。