◇

 翌朝、怜依は早く起きて佑真の家の近くにある公園に向かった。
 冷たい風を真正面から受けて、肩を上げる。
 秋なんてなかったな、なんて思いながら目的地に着くと、もう佑真は来ていた。

「おはよう」

 公園の端にあるベンチに座っていた佑真に声をかけると、佑真は応えていいのか視線を泳がせた。

「……おはよう」

 佑真の消えてしまいそうな声を聞きながら、怜依は隣のベンチに腰掛けた。
 早朝の公園には誰もいなくて、恐ろしく静かな時間が流れる。
 なにより、秋を通り越して冬が始まったような気温で、怜依はブレザーのポケットから手を出すことができない。

「……あの、怜依ちゃん、僕……」

 沈黙に耐えられなくなって、佑真は話を切り出そうとしたけれど、怜依が一瞥しただけで言葉を切った。
 違う、佑真を脅かして縁を切るためにこの時間を設けたわけじゃない。
 内心慌てるけれど、どうしても、許したくないという気持ちが込み上げてくる。

「……なんであんなことしたの」

 数日前にも聞いた質問。
 答えはすでに知っている。
 だけど、もっと、ちゃんと佑真の話を聞くべきだと思った。
 あのとき聞いた以上の話を聞けば、咲乃が佑真を許すと言った理由がわかるだろうから。

「僕はただ、怜依ちゃんに笑っていてほしくて……」
「なんで?」

 怜依に笑っていてほしいというのなら、咲乃を傷付けてはいけないことくらいわかるはずだ。
 それなのに佑真は、咲乃を怪我させた。
 それがどうしても、納得できない。

「……怜依ちゃんが、好きだから」

 聞き間違い、だろうか。
 でも、佑真の表情はその場しのぎで物を言っているようには見えない。
 心なしか、真剣な眼差しと緊張が入り混じっているようだ。

「中学のときからずっと、僕は怜依ちゃんのことが好きなんだ」

 これが友情の意ではないことは、怜依にもわかった。
 でも、まったく気付かなかった。
 どうして私は、こんなにもそばにいる人のことに鈍感なんだろう。
 もっと敏感でいたら、こんなことにはならなかっただろうに。
 そう思うと、自分を責めずにはいられない。

「でも、咲乃ちゃんの存在を知って、告白しても咲乃ちゃんに勝つことはできないだろうなって、すぐにわかった。だから僕は、怜依ちゃんにとって一番仲のいい男子でいようって思ったんだ」

 何年も知らなかったことを唐突に言われて、そう簡単に受け止めることはできなかった。
 整理する時間がほしいところだが、話の腰を折るわけにはいかない。
 怜依は混乱したまま、話の続きを聞く。

「咲乃ちゃんが新城くんと付き合うようになってから……僕は、チャンスだと思った。咲乃ちゃんがいなくなったら、僕が怜依ちゃんの一番になれるんだって」

 ねえ、咲乃。
 私たち、元に戻ることなんて、できそうにないよ。
 なにも知らないでいられた、あの日々には戻れない。

「でも、やっぱりそんなことはなくて。どんどん落ち込んでいく怜依ちゃんを見て、怜依ちゃんには咲乃ちゃんしかいないんだって思い知らされたんだ。それはわかり切っていたことだし、よかったんだけど……怜依ちゃんがショックを受けているのに、それを知らずに新城くんと楽しそうにしている咲乃ちゃんが、どうしても許せなかった」

 これが、あの日聞けなかった話の続きなのだとしたら、知らないままでいたかった。
 知ってしまったから、無責任に佑真を責めることができない。

「怜依ちゃん、どうして言わなかったの?って言ったよね」

 隠して隣にいられたことが気に入らなくて、そう責め立てたことを、怜依は忘れていない。
 かといって、言葉を発する気力はなくて、首を縦に振っただけだった。

「……怖かったからだよ。自分で招いたことなのに、怜依ちゃんとの時間が終わってしまうことが、僕は怖かった」

 なにを言えばいい。
 考えても、答えは見つからない。
 佑真の話は終わったのか、また沈黙が流れる。
 でも、さっきとは違って、怜依のほうがこの静かな時間に耐えられそうになかった。

「……ごめん」

 言葉とともに、涙がこぼれる。
 泣きたいのはきっと、私じゃない。
 わかっていても、涙が溢れて止まらなかった。

「気付けなくて、ごめん……」

 佑真は黙って首を横に振る。

「……でもやっぱり、咲乃を怪我させたことは、目を瞑れない……」

 怜依にとって、咲乃が一番であることは揺るがなくて。
 そんな咲乃を怪我させてしまったことが、事故なのだとしても。
 咲乃が階段を恐れるということだけが残ってしまっている。
 きっと、しばらくは消えない心の傷。
 無視は、できない。

「……うん」

 咲乃は、元の形に、と言ったけれど。
 その望みを叶えることはできそうにない。

「……バイバイ、怜依ちゃん」

 佑真は静かに言うと、怜依の前を通って行った。
 独り残された怜依は、声を殺して涙を落とし続けた。