『一緒に帰ろ!』

 放課後、咲乃からそんなメッセージが届いた。
 朝は一緒に登校できなくて。
 昼休みは新城と食べると言われて。
 そんな中でのこれはとてつもなく嬉しくて、怜依はすぐに返信をした。

『もちろん』
『やった! 下駄箱で待ってるね』

 ちょうど咲乃もスマホを触っていたのか、一分も経たずに返事が来た。
 怜依は帰り支度をしながら、違和感を抱いた。
 教室に行くね、ではなく、下駄箱で待ってる。
 なにもおかしなことはないはずなのに、妙に引っかかる。
 いつも迎えに来ていたのに。どうして、今日は来ないんだろう。
 不思議に思いつつ、教室を出る。
 そして、下駄箱に向かうために階段の前に立った。
 もしかして、そういうこと?
 怜依は手すりを掴みながら、階段を降りていく。
 当たり前に利用していたから気付かなかったけど、今みたく立ち止まって見ると、その高さを怖いと感じた。
 なにもない自分がそう感じるのだから、一度怖い思いをした咲乃がどう感じるのかなんて、考えなくてもわかる。

「怜依ちゃん!」

 いつか、怜依が咲乃を待っていた場所にいた咲乃は、笑顔で手を振っている。
 いつも通りの、可愛い笑顔。
 この笑顔の下に隠された感情に、気付かないふりをすればいいのだろうか。
 でも、ずっと見て見ぬふりをしていたから、咲乃が無理をするようになったはず。
 ちゃんと咲乃を見るって、決めたじゃないか。

「……ねえ、咲乃。もしかして、階段、怖かったりする?」

 咲乃の笑顔が固まった。
 やっぱり、そうなんだ。

「相田先輩には、言わないでね」

 今度からは咲乃の教室に行くよ。
 そう言おうとしたら、咲乃が先に言った。
 それも、予想外のことを。

「……どうして?」

 佑真のことはまだ許せていないから、怜依の声には不機嫌さが混ざっている。

「だって、あのことを気にしちゃうでしょ?」

 気にすればいい。
 忘れるなんて、絶対に許さない。

「怜依ちゃん?」

 怜依が黙っていると、咲乃は怜依の顔を覗きこんだ。
 咲乃が許しているのだから、怜依も許すべきだ。
 そうわかっていても、できそうになかった。

「……なんでもない。帰ろうか」

 それぞれ靴に履き替えて学校を出た。
 咲乃と並んで歩いていることが信じられなくて、何度も右隣を見てしまう。
 ちゃんと咲乃がいる。
 それに悦びを覚えていると、咲乃が頬を膨らませていることに気付いた。
 その不機嫌顔に思わず可愛いと言いたくなったけれど、今それを言うべきではないということは明らかだ。

「咲乃?」
「あのね、怜依ちゃん。私も全部話すから、怜依ちゃんも言いたいこと我慢するの、禁止ね」

 怜依が咲乃のことを見抜いたように、咲乃も怜依のことを見ていた。
 しかし、言いたいことを我慢するのを禁止されたとて、いきなり正直になるのは怖かった。
 怜依は言い戸惑う。

「じゃあ、先に私の話、聞いてくれる?」

 咲乃はそれに気付いたのか、そう言った。
 怜依が頷くと、咲乃は口角を上げた。
 だけど、咲乃の話はその表情で語れるようなものではなかった。
 織寧の言葉をきっかけに、ありのままの自分でいてもいいのか疑うようになったこと。
 怜依にもいつか嫌われるのではないかと恐れていたこと。
 でも、嫌われたくなくて、必死に怜依が好きだという自分を演じていたこと。
 そして、なにをすれば嫌われるのかを確かめるように、怜依に嫌がられるであろうことをしてきたこと。
 咲乃のSNSで知っていたこともあったけれど、さらにその奥のことを知って、怜依は言葉を失った。
 咲乃に伝えてきた言葉がきっかけで、ここまで咲乃を追い詰めていたとは、思いもしなかった。

「夏休みの終わりに新城先輩と会って、怜依ちゃんがいなくなったら壊れるんじゃないかって言われたの。それはすごく怖くて、だから、怜依ちゃんがいなくなっても大丈夫だって思えるようになりたかったんだ」

 咲乃が頑なに新城と別れたくないと言っていた理由は、それだったんだ。
 バカだな、咲乃は。

「私が咲乃から離れられないのに?」

 割と真面目なトーンで言ったからか、咲乃はキョトンとしたのち、くすくすと笑った。

「私も、怜依ちゃんと離れるのはやっぱり嫌だなって思ったよ」

 咲乃も同じ気持ちでいることに、怜依は安心した。
 いくら怜依が咲乃といたいと思っても、咲乃に嫌がられるとそばにいられないから。

「でもね、怜依ちゃん。毎日一緒にいることは、これからどんどん難しくなるんだよ」

 そんな寂しいこと言わないでよ。
 そう言いたかったけど、ずっと自由な子供でいることはできないと、怜依にもわかっていた。

「私、怜依ちゃんといるときの私は好きなんだけど、怜依ちゃんがいないときの私は嫌いでね? それがすごく苦しくて。でも、怜依ちゃんがそばにいなくても大丈夫になるために、自分を好きになりたいって思ったの」

 怜依が離れていた間に、こんなに大人になったんだ。
 咲乃の成長を目の当たりにして、嬉しい反面、やっぱり寂しさが勝った。
 だけど、咲乃が変わりたいと言うのだから、怜依にできることは見守ることだけだ。

「……好きになれそう?」

 咲乃は遠くを見つめた。
 その横顔は見たことのない表情で。
 だけど、その儚い表情から目が離せない。

「……わからない」

 ここで咲乃を肯定する言葉はいくらでも言える。
 だけど、これは咲乃がどう感じるかが問題なんだと、咲乃本人が言っていた。
 つまり、怜依がなにを言ってもどうしようもない。

「でも、新城先輩が素の私を受け入れてくれて、織寧ちゃんと和解できて。なんだか、前よりも自分のこと嫌いじゃないって思えるようになったよ」
「そっか」

 怜依が言うと、咲乃はじっと怜依の目を見つめた。

「ど、どうしたの」
「次は怜依ちゃんの番だよ」

 怜依が正直になる番。
 そう言われても、すぐに変わることなんてできない。
 言えば、嫌われる。
 その考えが沁みついていて、なかなか話始められない。
 そもそも、なにから言えばいいんだろう。

「私が新城先輩と付き合うって言ったとき、どう思った?」

 本当に、言ってもいいの?
 その不安がよぎる中で、咲乃もこうして嫌われることを恐れていたんだと気付いた。
 なんだ。私たち、似た者同士だったんだ。
 だったら、ちょっと正直になったくらいで嫌われることはないだろう。

「……別れればいいのにって思った」

 すると、咲乃は小さな笑い声を漏らした。
 嫌がるのではなく、笑っている。
 なんだ、言ってよかったんじゃないか。
 そう思うと、これまでいろいろ考えていたのがバカらしくなった。

「先輩とは別れたよ」
「……え」
「といっても、もともとちゃんと付き合ってたわけじゃないけど……彼氏彼女は終わり」

 どうして、とか、昼休みはその話をしていたんだね、とか。
 そんなことよりもまず、喜んでいる自分がいた。
 まだ、咲乃は私のだ。
 さすがにそれは重たすぎて、咲乃には言えないと思った。

「それで……相田先輩のことは、どう思ってる?」

 怜依はすぐには答えられなかった。
 自分の中で答えは決まっているのに、素直に言うことに抵抗があった。

「……咲乃は?」

 だから、質問で返す、なんて狡い手を使った。

「私は……怜依ちゃんと、先輩と、三人でいる時間が楽しかったから……もとに戻れるなら、戻りたいなって思う」
「……佑真のこと、許すの?」

 咲乃はゆっくりと頷いた。
 きっと、まだ許せない気持ちが残っているのだろう。
 それでも咲乃は、頷いた。

「……わかった」

 咲乃はもう、前に進んだ。
 今度は、怜依が次に進む番だ。

「……明日、佑真と話してみるよ」
「うん」

 咲乃の笑顔が返されて、怜依はその期待に応えられるか不安に思いながら、歩き続けた。