◇
怜依に新城とのことを話して一週間。
怜依からの連絡が来なくなった。
一緒に登校することも、学校で顔を合わせることもない。
咲乃の日常は、すっかり変わってしまった。
「咲乃、朝ご飯は?」
「……いらない」
いつもの朝。千早の言葉。咲乃の返しだって、いつも通り。
だけど、咲乃があまりにも暗い声で答えるから、千早は朝ご飯を食べないことに対して小言を言うことはなかった。
「咲乃、なにかあった?」
「……なんで?」
咲乃の話したくないという気持ちが伝わったのか、千早は詳しく聞いてこない。
「……行ってきます」
千早が戸惑っている隙に、咲乃は家を出た。
数日前は軽い足取りで歩き進めた道。空を見る余裕だってあった。
だけど、今はどこまでも変わらない灰色の道を見つめるだけだ。
いよいよ、怜依に嫌われたのかもしれない。
数えるほどしか一人で登校したことがなかったけれど、ここ数日でその回数を一気に重ねている。
この寂しさに、慣れる日が来てしまうのだろうか。
怜依と、同じ学校に通っているのに。
そんなの、イヤだ。
そう思っても、どうすればいいのかまったくわからない。
「随分と浮かない顔をしてるね」
聞き覚えのある声が聞こえて、足が止まる。ゆっくりと視線を上げると、新城がそこにいた。
一度家に送ってもらったことがあったけど、その一度で道を覚えていたらしい。
「……おはようございます」
「ん、おはよ」
新城は咲乃の隣に立った。
いつも怜依がいた、右側。
怜依よりも背が高い新城が隣にいるのは、不思議な感覚だ。
「待ってたんですか?」
「どこかの誰かさんが見てられないくらい、落ち込んでたからね。彼氏としては放っておけないなあと思って」
冗談なのか、本気なのかわからないトーン。
だけど、咲乃を励まそうとしていることは確かだろう。
「ありがとう、ございます」
そして二人は並んで歩き始めた。
ずっと足元だけを見つめて歩いていたけれど、新城が隣にいるだけで、自然と顔が上がった。
「やっぱり、和多瀬と距離置かれたね」
疑問形ではなく、言い切った。
なぜ知っているのか、それは聞かなくてもわかる。
昨夜の投稿を見たのだろう。
咲乃は、それに応えられない。
「……あのアカウントのこと、怜依ちゃんに言わないでくださいね」
「なんで?」
「怜依ちゃんに知られたら、嫌われちゃうから」
それ以外の理由があるのだろうかと思いながら、答える。
「白雪は、どうしてそんなに和多瀬に入れ込んでるの?」
からかうのではなく、純粋な質問。新城は、怜依のどこがいいのか、理解できないらしい。
そんな新城に怜依の好きなところを言ったところで、伝わらないだろう。
「……怜依ちゃんが好きだからですよ」
だから、咲乃は納得してもらえないであろう理由に逃げた。
「だとしても、なにかきっかけとかあるでしょ」
新城は自分が納得できる答えが返ってくるまで、諦めないつもりらしい。
学校に着くまでの暇つぶしなら、誤魔化して、別の話題に移るけど、その様子もないから、適当にあしらうこともできない。
「……小学生のころ、私、お姉ちゃんが欲しかったんです。みんなが兄弟の話をする中で、一番憧れた存在だったから」
「それで、タイミングよく和多瀬が現れたんだ?」
咲乃は頷く。
同じ委員会になって、班分けも一緒になったとき、怜依に気に入られた。
『あなた、すっごく可愛いね』
キラキラと輝かせる目は、同級生たちがアイドルのことを話す目に似ていた。
自分がそれを向けられるとは思っていなくて、初めは戸惑った。困惑もしたし、変な人だとも思った。
だけど、顔を合わせるたびに可愛がられて、咲乃は嬉しく感じるようになった。
笑顔が可愛いと言われるから、たくさん笑うようになって。
”いいこと”をするとたくさん褒められるから、いい子を目指して。
どこにでもいる少女が、怜依の言葉によって、怜依にとっての特別な子になっていった。
「お姉ちゃん、ね……姉ってそんなに憧れるもの?」
実際に姉がいる新城は、理解できないと言わんばかりに呟いた。
その表情は姉を鬱陶しく思っているようにも感じる。
「先輩は違うんですか?」
「まず、俺をいい駒としか思ってないでしょ? で、自分の思い通りにいかなかったら、俺のせいにされるでしょ? あんなの、理不尽の塊だよ」
随分と酷い言いようだ。
だけど、新城が姉を恨んでいるようには見えなかった。
「でもって、弱いところは絶対に見せない、強がり」
咲乃は新城の姉が心を壊してしまったことを思い出した。
きっと、本当に限界を迎えてしまうまで、彼女は助けを求められなかったのだろう。
「もっと俺たちに甘えてくれればいいのにって、思わない?」
唐突に、同意を求められた。
咲乃は怜依に甘えてほしいと思ったことはなく、反応に戸惑ってしまう。
「……ねえ、白雪。やめる?」
新城は静かに提案した。
やめるって、なにを?
「俺から提案しておいて、こんなこと言うのはずるいってわかってるんだけど……どんどん暗くなってく和多瀬も白雪も、見てられないから」
新城との関係を解消すれば、すべて元通り?
そんな簡単な話はないだろう。
もう、元には戻れない。
怜依だけがいればいい世界は、もう飛び出した。あとは、不格好でも、自由に飛べるようになるだけ。
でも、まだ自力で飛べないから。
「……やめないです」
新城は黙ってそれを受け入れる。
「あ、でも、先輩が嫌だったら」
「俺のことは気にしなくていいよ」
そうは言うけれど、終わりを持ちかけられて、気にしないでいるなんて、不可能に近い。
その戸惑いは、顔に現れる。
「俺が自分から首を突っ込んだことだしね。本当に気にしないで」
咲乃は納得できなかったけど、頷くしかなかった。
◇
新城とそんな会話をした放課後、一人で帰ろうとしたところを新城に呼び止められ、咲乃は新城と並んで下駄箱に向かう。
「朝もそうですけど、先輩、彼氏としてのスペック高くないですか」
私たちは、ただの”ふり”なのに。
人目があるから、それは言わなかった。
「最高の誉め言葉だね」
新城は得意げに言う。
咲乃は面白くなくて、新城から視線を逸らす。
そのとき、怜依と目が合った。
怜依だ。怜依が、いる。
「怜依ちゃん!」
その喜びの勢いで、咲乃は怜依を呼んだ。
駆け寄っても、怜依はどこにも行かない。
「ここでなにしてるの?」
自然と、咲乃の声は明るくなる。怜依と話せることに対しての、喜びがまったく隠せていない。
「……咲乃を待ってた」
「私を待っててくれたの?」
「うん……」
新城が言っていた、見ていられないくらい落ち込んでいる怜依を目の当たりにして、咲乃は言葉に迷う。
すると、怜依が咲乃の手を握った。
恐ろしいほどに冷たく、震えている。
「咲乃……一緒に帰ろ?」
姉のように慕う怜依の、消えてしまいそうな声。
新城が姉を強がりだと言っていた意味を、真に理解した気がした。
この怜依を一人にしてはいけない。
そう感じた咲乃は、振り返って新城を見る。
新城はなにも言わないけど、自分たちの約束をなしにして、怜依を選んでもいいと言ってくれているように感じた。
「うん!」
そして校門をくぐっても、咲乃の喜びは収まらない。
「怜依ちゃんと帰るの久しぶりで、嬉しいな」
「そうだね、私も嬉しい」
怜依も喜んでくれている。
怜依ちゃんも寂しいって思ってくれてたのかな。
そう思うと、ますます嬉しくなる。
私はまだ、いらない子じゃないんだ。
その喜びに浸りながら怜依と話していると、ふと、怜依が表情を曇らせた。
理由はすぐにわかった。新城の名を出したからだ。
だけど、咲乃は気付いていないふりをしながら、会話を続ける。
新城には触れないように。
注意を払っているはずなのに、体育祭の練習では新城と関わることが多かったから、どうしても新城の話が出てしまう。
こんな形で、怜依を傷付けるつもりはなかったのに。
もう、本当に怜依といられないかもしれない。
そんな予感がした。
怜依に新城とのことを話して一週間。
怜依からの連絡が来なくなった。
一緒に登校することも、学校で顔を合わせることもない。
咲乃の日常は、すっかり変わってしまった。
「咲乃、朝ご飯は?」
「……いらない」
いつもの朝。千早の言葉。咲乃の返しだって、いつも通り。
だけど、咲乃があまりにも暗い声で答えるから、千早は朝ご飯を食べないことに対して小言を言うことはなかった。
「咲乃、なにかあった?」
「……なんで?」
咲乃の話したくないという気持ちが伝わったのか、千早は詳しく聞いてこない。
「……行ってきます」
千早が戸惑っている隙に、咲乃は家を出た。
数日前は軽い足取りで歩き進めた道。空を見る余裕だってあった。
だけど、今はどこまでも変わらない灰色の道を見つめるだけだ。
いよいよ、怜依に嫌われたのかもしれない。
数えるほどしか一人で登校したことがなかったけれど、ここ数日でその回数を一気に重ねている。
この寂しさに、慣れる日が来てしまうのだろうか。
怜依と、同じ学校に通っているのに。
そんなの、イヤだ。
そう思っても、どうすればいいのかまったくわからない。
「随分と浮かない顔をしてるね」
聞き覚えのある声が聞こえて、足が止まる。ゆっくりと視線を上げると、新城がそこにいた。
一度家に送ってもらったことがあったけど、その一度で道を覚えていたらしい。
「……おはようございます」
「ん、おはよ」
新城は咲乃の隣に立った。
いつも怜依がいた、右側。
怜依よりも背が高い新城が隣にいるのは、不思議な感覚だ。
「待ってたんですか?」
「どこかの誰かさんが見てられないくらい、落ち込んでたからね。彼氏としては放っておけないなあと思って」
冗談なのか、本気なのかわからないトーン。
だけど、咲乃を励まそうとしていることは確かだろう。
「ありがとう、ございます」
そして二人は並んで歩き始めた。
ずっと足元だけを見つめて歩いていたけれど、新城が隣にいるだけで、自然と顔が上がった。
「やっぱり、和多瀬と距離置かれたね」
疑問形ではなく、言い切った。
なぜ知っているのか、それは聞かなくてもわかる。
昨夜の投稿を見たのだろう。
咲乃は、それに応えられない。
「……あのアカウントのこと、怜依ちゃんに言わないでくださいね」
「なんで?」
「怜依ちゃんに知られたら、嫌われちゃうから」
それ以外の理由があるのだろうかと思いながら、答える。
「白雪は、どうしてそんなに和多瀬に入れ込んでるの?」
からかうのではなく、純粋な質問。新城は、怜依のどこがいいのか、理解できないらしい。
そんな新城に怜依の好きなところを言ったところで、伝わらないだろう。
「……怜依ちゃんが好きだからですよ」
だから、咲乃は納得してもらえないであろう理由に逃げた。
「だとしても、なにかきっかけとかあるでしょ」
新城は自分が納得できる答えが返ってくるまで、諦めないつもりらしい。
学校に着くまでの暇つぶしなら、誤魔化して、別の話題に移るけど、その様子もないから、適当にあしらうこともできない。
「……小学生のころ、私、お姉ちゃんが欲しかったんです。みんなが兄弟の話をする中で、一番憧れた存在だったから」
「それで、タイミングよく和多瀬が現れたんだ?」
咲乃は頷く。
同じ委員会になって、班分けも一緒になったとき、怜依に気に入られた。
『あなた、すっごく可愛いね』
キラキラと輝かせる目は、同級生たちがアイドルのことを話す目に似ていた。
自分がそれを向けられるとは思っていなくて、初めは戸惑った。困惑もしたし、変な人だとも思った。
だけど、顔を合わせるたびに可愛がられて、咲乃は嬉しく感じるようになった。
笑顔が可愛いと言われるから、たくさん笑うようになって。
”いいこと”をするとたくさん褒められるから、いい子を目指して。
どこにでもいる少女が、怜依の言葉によって、怜依にとっての特別な子になっていった。
「お姉ちゃん、ね……姉ってそんなに憧れるもの?」
実際に姉がいる新城は、理解できないと言わんばかりに呟いた。
その表情は姉を鬱陶しく思っているようにも感じる。
「先輩は違うんですか?」
「まず、俺をいい駒としか思ってないでしょ? で、自分の思い通りにいかなかったら、俺のせいにされるでしょ? あんなの、理不尽の塊だよ」
随分と酷い言いようだ。
だけど、新城が姉を恨んでいるようには見えなかった。
「でもって、弱いところは絶対に見せない、強がり」
咲乃は新城の姉が心を壊してしまったことを思い出した。
きっと、本当に限界を迎えてしまうまで、彼女は助けを求められなかったのだろう。
「もっと俺たちに甘えてくれればいいのにって、思わない?」
唐突に、同意を求められた。
咲乃は怜依に甘えてほしいと思ったことはなく、反応に戸惑ってしまう。
「……ねえ、白雪。やめる?」
新城は静かに提案した。
やめるって、なにを?
「俺から提案しておいて、こんなこと言うのはずるいってわかってるんだけど……どんどん暗くなってく和多瀬も白雪も、見てられないから」
新城との関係を解消すれば、すべて元通り?
そんな簡単な話はないだろう。
もう、元には戻れない。
怜依だけがいればいい世界は、もう飛び出した。あとは、不格好でも、自由に飛べるようになるだけ。
でも、まだ自力で飛べないから。
「……やめないです」
新城は黙ってそれを受け入れる。
「あ、でも、先輩が嫌だったら」
「俺のことは気にしなくていいよ」
そうは言うけれど、終わりを持ちかけられて、気にしないでいるなんて、不可能に近い。
その戸惑いは、顔に現れる。
「俺が自分から首を突っ込んだことだしね。本当に気にしないで」
咲乃は納得できなかったけど、頷くしかなかった。
◇
新城とそんな会話をした放課後、一人で帰ろうとしたところを新城に呼び止められ、咲乃は新城と並んで下駄箱に向かう。
「朝もそうですけど、先輩、彼氏としてのスペック高くないですか」
私たちは、ただの”ふり”なのに。
人目があるから、それは言わなかった。
「最高の誉め言葉だね」
新城は得意げに言う。
咲乃は面白くなくて、新城から視線を逸らす。
そのとき、怜依と目が合った。
怜依だ。怜依が、いる。
「怜依ちゃん!」
その喜びの勢いで、咲乃は怜依を呼んだ。
駆け寄っても、怜依はどこにも行かない。
「ここでなにしてるの?」
自然と、咲乃の声は明るくなる。怜依と話せることに対しての、喜びがまったく隠せていない。
「……咲乃を待ってた」
「私を待っててくれたの?」
「うん……」
新城が言っていた、見ていられないくらい落ち込んでいる怜依を目の当たりにして、咲乃は言葉に迷う。
すると、怜依が咲乃の手を握った。
恐ろしいほどに冷たく、震えている。
「咲乃……一緒に帰ろ?」
姉のように慕う怜依の、消えてしまいそうな声。
新城が姉を強がりだと言っていた意味を、真に理解した気がした。
この怜依を一人にしてはいけない。
そう感じた咲乃は、振り返って新城を見る。
新城はなにも言わないけど、自分たちの約束をなしにして、怜依を選んでもいいと言ってくれているように感じた。
「うん!」
そして校門をくぐっても、咲乃の喜びは収まらない。
「怜依ちゃんと帰るの久しぶりで、嬉しいな」
「そうだね、私も嬉しい」
怜依も喜んでくれている。
怜依ちゃんも寂しいって思ってくれてたのかな。
そう思うと、ますます嬉しくなる。
私はまだ、いらない子じゃないんだ。
その喜びに浸りながら怜依と話していると、ふと、怜依が表情を曇らせた。
理由はすぐにわかった。新城の名を出したからだ。
だけど、咲乃は気付いていないふりをしながら、会話を続ける。
新城には触れないように。
注意を払っているはずなのに、体育祭の練習では新城と関わることが多かったから、どうしても新城の話が出てしまう。
こんな形で、怜依を傷付けるつもりはなかったのに。
もう、本当に怜依といられないかもしれない。
そんな予感がした。