半ば強制的に獅月と話し合えと言われ、響平と伊織が店を出た後、呆然とする俺に追い討ちをかけるように『良い結果だけ待ってる』なんてメッセージまで届いた。
「そんなの無理だって」
 テーブルに平伏す。しばらくの間ぼぅっとして過ごした。窓の外は真夏の太陽が照り付けて、車から降りてきた人が手で顔を仰いでいる。それとは正反対に、俺は自分の体温すら感じられない虚無を味わっていた。

 獅月に会いに行けるハズもなく、一先ず家に帰ろうと立ち上がる頃には、グラスの中の氷は完全に溶け、テーブルに水たまりを作っていた。

 家に帰ってから、PCに向かったりギターを弾いてみてみたりしたが、まるで集中できない。
 獅月からの連絡も来る気配すらない。
 こんな状態で、どうやって話し合えと言うんだ。響平たちからすれば所詮は他人事なんだと怒りをぶつけてみても、その元凶は自分なのも明らかなのだ。
 虚無の時間はやけに長く感じた。楽しい時間はすぐに流れてしまうのに、こんなに一日って長かったっけ? と思うくらい、自分だけがスローモーションで動いているようだ。

 そんな時間も気付けば二日経っていた。
 獅月からは音沙汰なし。響平と伊織も待つ姿勢を貫いている。
 いよいよ腹を括って話さなければいけないと思えた時、スマホに着信を知らせたのは獅月だった。

「もしもし?」
 慌てて電話を取る。
『———冬哉? 俺、獅月だけど。今、家にいる?』
「いるけど、どうして?」
 聞けばなんと獅月が家の前まで来ているというではないか。慌てて窓から覗くと、本当に獅月の姿がそこにあった。

「え、ちょっ、急にどうしたの? とにかく鍵開けるから」
 階段を駆け下り、前髪を直しながら玄関のドアを開ける。
「急に悪りぃ」
「そんな、良いよ。外、暑かったでしょ? 入って」
 家の中に通したはいいが、二人の間には明らかに気まずい空気が流れている。
 ローテーブルを挟んで向き合ったまま、無言の時間が流れた。

「あ、コンビニでも行く?」
 沈黙を断ち切るように話かけたが、獅月は神妙な面持ちで話し始める。
「いや、大丈夫。……話、していい?」
「———うん」
「冬哉の気持ち、全然気付いてなかった。ごめん」
「そんなの、獅月が謝ることじゃないじゃん。勝手に好きになったのは俺なんだし」
「でも、俺が冬哉の一番近くにいた。誰よりも冬哉のこと分かってる気になってた。一番、大切なことに気付きもしなかったなんて情けない」
 獅月は俺を見ようとはせず、ずっと自分の手を見ながら話す。
 そんな獅月を見ていると、会っていなかった間、獅月なりに俺のことを考えてくれていたのだと伝わってくる。真剣に言葉を選びながら話してくれていると言う姿勢に、これだけで十分満足なのでは……なんて思ってしまう。形はどうであれ、自分の気持ちを伝えたのも結果的には良かったのかもしれない。
 また以前のようにバンドにさえ加入してくれれば……と考えられている自分がいる。

「獅月、俺こそごめん。困らせるようなこと言っちゃって。友達のまま隣にいられるなら、それでいいって、俺自身が納得してた。自分の恋愛よりも獅月がバンドに加入してくれることの方が、俺にとっては重要なんだ。だから、もし気持ちが変わってないなら……ボーカルやって欲しい……です」

 今の精一杯の想いを伝える。
 少なからず響平と伊織に後押しされていた。もし二人が強制的にでも加入させろと言わなければ、俺はとっくに諦めていただろう。

「冬哉」
「あの! 獅月を困らせてばかりいるのは自覚してる。全部、俺の我儘だって……。だから、断られても嫌われても、獅月は何も悪くないし俺から嫌いになるなんてことは絶対ないから。もし、本音を話しにくくしてたら申し訳ないなって……思って……」
「冬哉、聞いてくれ。ソラと、ちゃんと話し合ってきた。全部を話すわけにはいかないけど、ソラが男だって分かってから、俺とソラはちゃんとお互いの気持ちを話すことなく距離を置いてしまってた。でも、冬哉から気持ち伝えられて、俺も自分の気持ちをちゃんと伝えないといけないって思ったんだ」
「獅月が?」
「あぁ、そうだ。ソラと過ごした日々は本当に楽しかったけど、もし俺がソラを取ることで冬哉に二度と関われないなら、俺は冬哉を選びたい。冬哉が自分の中でどれだけ大きな存在かって、今まで考えたこともなかった。一緒にいるのが当たり前になり過ぎて、本当に大切な人が誰かってことと向き合ってなかったんだ」

 さっきまで目を伏せていた獅月が、今は真っ直ぐに俺を捉えている。心臓の音が五月蝿い。獅月が俺を選んでくれたってことなのか?
 あの時追いかけなかったのはソラと俺のことを真剣に考えるためで、数日音沙汰がなかったのは、ソラと話し合いをしてから俺のところに来ようとしてくれていた。そういうことなのか?

「でも……」と獅月は続ける。
「正直、冬哉への気持ちも今はまだ恋愛の意味とは言い切れない。それはごめん。俺、自分から人を好きになるなんて経験がなさすぎて、まだ良く分かってない。それは例え冬哉が女だったとしても同じように悩んだと思う」
「そんなの良いよ。男から告白されて、気持ち悪がられるの覚悟してたから。真剣に考えてくれだけでも十分嬉しい」
「これからも冬哉と一緒にいたいのは変わらない。俺がエンフェクでボーカルやっていいなら、俺の方が頼みたいし。これからは、友達以上だと思って接していいか?」
「友達以上……?」
「だってどちらかに恋愛感情があるなら、ただの友達ってわけにいかねぇだろ。んで、俺にも教えてよ。好きってどんななのか」

 まさかの展開にすぐに反応できなかった。嫌われたと思った。友達の男から告白されて、獅月の感情を掻き乱しておいて、自分勝手に話もせず家を飛び出して……最低なことをいっぱいしたのに……。

「獅月は本当にそれでいいの?」
「ってか、俺の隣でいてほしいのは冬哉しかいない。今までは友達としてだったけど、この先それがどんな形になろうが、俺らが変わらないために変わっていくものがあるのなら、それを受け入れたい」
「獅月……」
「ごめんな、遅くなって」

獅月の手が伸び、俺の頬に添える。
その手を両手で支え、頬を擦り寄せた。

「もう、捨てられると思ってた。考えてるなら、そうだって言ってよ。何も言ってくれないの、不安で怖くて寂しかった」
「そうだな、全部俺のせい。ちゃんと冬哉と向き合う覚悟と決意を固める時間が必要だった。冬哉にとって完璧な男にはなれないけど、誰よりも大切にしたいのは冬哉だから。これからは、ちゃんと伝えていく。これからも、可愛い我儘言ってよ」
「じゃあ、今すぐ抱きしめて!!」
「ははっ! 早速だな。ほら、こっち来いよ」

 獅月が俺の手を引く。テーブルの反対側に移動すると、すっぽりと獅月に包み込まれた。
 トクトクと心臓の音が聞こえる。あぁ、獅月も緊張してたんだって思うと嬉しくなった。

「獅月?」
「なに?」
「ボーカル、して?」
「喜んで」
「また泊まりに行ってもいい?」
「今からでも来いよ」
「好きって言ってもいい?」
「そうだな。毎日言われたら、俺もその気になるかもな」
「本当に!?」
「なんか、冬哉が思ったより華奢だなって気付いて、今ドキドキしてる」
「そんな柄にもないこと思っちゃうんだ?」
「相手がお前だからな」

 やっぱり獅月はズルい。俺の喜ぶセリフを分かってて言ってる。
 でも、今は素直に喜べる。

「俺も、獅月にドキドキしてるよ」

 友達じゃなくなった俺たちの、新しい関係がスタートした。