ソラの住む学生マンション。ここに来たことがあるのだろう。
 手慣れた様子で部屋番号を押し、チャイムを鳴らす。
「……はい」
「俺」
「獅月?」

 短い会話。それを聞くだけでも拷問だった。自分でついて来ておいて、耳を塞ぎたくなる。

「冬哉、本当に外で平気?」
「あ、うん。早く行ってあげなよ」
「これ渡すだけだから」
「俺に気を遣わなくていいから、話してきなよ」
 笑顔で見送る。
 オートロックが開き自動ドアの前に立つと、その先にすぐエレベーターに獅月だけで入っていく。
 獅月がこっちに振り返る前に、マンションの入り口から離れた。

 夏の西陽は早くも地面から水分を奪い、水たまりも小さくなっていく。
 長く伸びたマンションの陰に移動すると、蹲った。
 心にもないことを、平気で言えるようになったのはいつだったか。
 今、彼女の部屋に行ったばかりの獅月に、早く戻って来てほしくて仕方ない。もしかすると、電話がかかってきて「やっぱり一人で帰れ」なんて言われるのではないか……なんて不安に襲われる。
「獅月……付き合ってる……ん、だよな」
 俺に気を遣って言わないだけで。

 二人でいるところを想像したくもないのに、頭の中には獅月に寄り添うソラの姿がハッキリと描き出されていた。
 お似合いだと思う。俺なんかよりもずっと。

 さっきの虹もすっかり消えてしまった。もう一度見られたら、少しは慰めになったかもしれないのに。

 待ってる時間は長く感じる。
 やっぱり、ソラのことをちゃんと聞いた方がいいのかもしれない。気になりながら、バンド活動をするのも酷だし、響平や伊織に毎回気を遣わせるのも申し訳ない。
 自分は獅月と友達でいると決めたんだ。羨ましがるな。その立ち位置を。

 塞ぎ込むように膝を抱え、その中に顔を埋める。
 他のことを考えようとしても、ソラが頭から離れない。獅月よりもソラの顔が鮮明に映る。コンビニで一度見ただけの人が、頭の中で冬哉に笑いかける。

 柔らかい天然パーマ、大きな瞳、小さな口。
 ほんのりとピンクに染まった頬。

 敵うはずもない。
 自分も男にしては華奢だけれど、ソラに比べれば幾分も男らしい。
 身長も足のサイズも、とても女の子のようにはなれない。
 獅月と並んでカップルに見えるのはどっちだと訊かれると、十人中十人がソラだと答えるに決まっている。

「おい、冬哉。悪い、待たせ過ぎた?」
「え? 獅月?」
 思いの外早く獅月が戻ってきて、慌てて顔を上げる。
 そこには俺を心配して覗き込んでいる獅月がいた。

「やっぱ外、暑かったよな。付き合わせてごめん」
「いや、俺が一緒に行くって言ったんだし。それより、もっとゆっくりしてきて良かったのに。気を遣わせたのは、俺の方じゃん」
「んなことねぇよ。帰ろ」
「———うん」

 獅月はそれ以上何も離さなかった。
 獅月が一歩前を歩いている。
 二人ともしばらく無言だったが、家の近くの坂道まで帰って来た時、獅月がポツリと言う。
「冬哉、部屋に帰ったら聞いて欲しいことがある」
「———分かった」

 坂道は所々に陰を落としていたが、背後からじりじりと太陽が体を焼く。
 背中にTシャツが張り付くのを感じながら、それでも心の準備は僅かにもできないでいた。