声が出せない。獅月の感情は読み取れなかった。怒っているのではないとだけは分かる。いきなりライブの話を持ち出したということは、あの日のライブについて言いたいことがあるのだろう。でもその内容に関してはまるで想像が付かない。

 どうやら獅月も言葉を選んでいるように思えた。少しの時間沈黙が流れたが、口が僅かに動いたのを俺は見逃さなかった。
 じっと獅月を見つめ、逸らさなかった。
 
「———エンフェクのライブを見た時、本当に感動したんだ。客が一斉にその世界に引き込まれていく。今まで何度も見てきた光景なのに、あの日は……何だか悔しく思えた」
「悔しいって、何が?」
 獅月は握りしめて振り上げていた俺の腕を下ろし、しかし離さないでいる。
 手首を握ったまま話を続けた。

「前に助っ人で入った時、ステージに立つ楽しさを身に沁みて感じた。でも、冬哉たちは真剣にバンドと向き合ってるのに、俺みたいな中途半端なやつが加入して迷惑かけたくないって思ってた」
 獅月は決して言葉を荒げず、慎重に話す。
 俺は口を挟まず獅月の言葉に耳を傾けていた。
 獅月は今までどこか自分は達観している部分があると思い上がっていたけど、そうではなかったのだと、この数ヶ月で気付いたと話した。
「進学のこともバンドの事も、恋愛にしたってそうだ。周りの人に流されて、何となくでやり過ごしてきた」と続けた。
 そんなことないと言いたかったけれど、グッと息を飲み、聞くことに専念する。

「でもさ、エンフェクは飛び入りで出たライブでも演奏は変わらず完璧で……俺がいなくても完成された音楽を目の当たりにして、そこに自分がいない虚無感に襲われた」
「待って、獅月。話が見えない。あの日のエンフェクが完璧だっただって? そんなわけない。動画を出すべきかどうかも悩んでた。サプライズって演出があったから、練習不足も何もかもの粗が目立たなかったってだけだ。それに俺は、演奏しながらも……その……」
 ———獅月にいて欲しかった。なんて言われると迷惑だろうか。
 獅月は周りの人に流されていたと気付いて、きっと将来どうするのか自分で決めたいと思っている。このタイミングで「バンドやろうぜ」なんて軽率な言葉で誘うわけにはいかない。
 そう思うと、やはり獅月の加入は諦めるべきなのかもしれなかった。よしんばこれを言うために俺に会うと決めたのだとしたら、相当浮かれていた自分が惨めになる。

 獅月の親指が俺の頬を撫でる。
「泣くなよ。まだ何も言ってねぇだろ」
 知らないうちに泣いていた。自分でも気付かなかった。
「だって、獅月が何を言おうとしてるのかわからなくて苦しい。もうハッキリ言ってよ」
 獅月の手を握る。向こうからも握り返してくれた。力強く、俺よりも大きな手。
 掌に頬を寄せると、獅月は手を添えたまま「じゃあ、単刀直入に言う」と、座り直す。

「あのさ、まだ間に合うならボーカルやりたい。エンフェクで……」
「嘘———本当に? だって、獅月は周りに流されないようにって決めて……」
「だから、ボーカルやりたいって思った。あのステージを見て、三人だけで完璧だと言えるその中に、俺もいたいって。あの時、俺も一緒じゃなかったのが悔しいって思ったんだ」
「じゃあ、加入してくれるの?」
「冬哉たちいいなら、やる」
「本当に? 後悔しても辞めさせてあげないよ? ずっと俺の隣で歌ってもらうよ? 大学だって一緒に来てもらうし、また前みたいにしょっちゅう泊まりに来るし、うざったいって言われても、顔も見たくない時でも、ずっと一緒に活動してくれるって言うの?」
「全部、一緒にやりたい。冬哉をウザいなんて思ったことねぇし、響平や伊織の演奏もずっと聴いていたいくらい好きだ。そこに俺の歌を入れてもらいたいって思った」
「獅月……ありがとう。本当に、ありがとう」
「なんで? お礼を言うのは俺だろう?」
「だって、絶対断られるって思ってたから」
「あれだけ自信があるって言ってたのに?」
「うぅ……意地悪言うなよ。俺は繊細なんだからな」

 獅月はまた困ったように笑いながら、頬に触れてる反対の手を頭に乗せる。「いい子、いい子」と宥めるように、髪を撫でた。

 遠くからゴロゴロと雷の音が聞こえる。予報外の雨が降るみたいだ。
 あれだけ照り付けていた太陽が、どす黒い雨雲に覆われ姿を消す。獅月は「傘持ってる?」とは聞かなかった。やがて降り始めた雨は嵐のように激しさを増す。

「泊まってくだろ?」
 また当たり前のように言う。
「うん」と返す。

「雷が終わるまでな」と言って、獅月は手を握ってくれていた。