ソラの姿が完全に見えなくなり、それまで呆然と突っ立っていた俺に再び夏の暑さが戻ってきた。たまらなくなって急いでコンビニに入り水を買い、イートインスペースの椅子に座る。

 ただの友達だったなら、ここまでショックを受けていなかった。普通に笑い飛ばして「勘違いしてた、ごめんな」と面と向かって言っていただろう。こんなにもやるせないのは、初恋だったから……。
 真剣に、初めて付き合いたいと思った相手だった。それはソラが女だと思い込んでいたから。最初から男だと知っていれば、俺はきっと恋愛対象にしなかったと思う。

 仮に、あのままソラと付き合えたとしても、男だと知った瞬間変わらず好きでいられるかと聞かれると、その自信はない。現に今、動揺しまくっている。

 それでもケンタから守ってあげれば良かったという後悔もあり、咄嗟に対応できなかった自分に腹が立った。

 今後、ソラから連絡は来ないと思った。
 一方的に諦めて帰ってしまった。そのソラを追いかけるのが正解だったとも思えない。期待させたくないという気持ちが自分自身を引き留めた。
 例え追いかけたとして、どんな慰めも励ましもフォローにはならない。
 ソラは俺に同情して欲しかったわけでもなく、庇って欲しかったわけでもなく、俺の本音が知りたかったのだ。それを答えられないということは、「無理だ」と言ってるも同然。
 彼女……いや、彼が諦めるには十分すぎるほどの理由だ。

「———くっそ」
 ペットボトルに残っている水を一気に飲み干す。少し伸びた髪が汗で濡れていた。
 飲み切ったペットボトルを勢いよくカウンターテーブルに置き、前髪で顔を隠すように俯いた。

 真夏の西陽の強いこの時間帯は客足も少なく、自分以外に誰もいなかったことだけが唯一の救いだった。
 クーラーで十分体の熱が冷めてから、一度家に戻り服を着替え、またすぐに自転車に跨る。今度はバイト先であるblack ASHへと向かう。

 本当ならソラに会った後、冬哉に連絡しようと思っていた。
 このところ踏んだり蹴ったりだ。
 無性にイライラしていた。何もかも上手くいかない。冬哉もソラも、俺の大切な人が立て続けに自分の元から去って行く。

 分かっている。というか、分からさせられた。
 俺と一緒にいてくれるのが当たり前だと、悠長に構えていたバチが当たったのだ。大切にしてあげなければいけない人を、蔑ろにしたのは俺自身だ。

 それでも一旦無心になりたくて、無我夢中でバイトに専念した。オーナーに冬哉たちのサプライズ出演の件を知っていたのか聞きたかったが、今はどうでも良かった。考えることが多すぎる。
 休まず体を動かし、ライブの爆音と歓声に身を任せる。
「今日はいつもに増して働くねぇ、獅月」なんてオーナーに茶化されたが、いつものように上手く返せなかった。それよりも、ソラの名前を出さないでくれと切に願い、バイトの後は光のスピードで帰宅した。

「汗くせ」
 玄関に入るとその足で風呂へ向かう。頭からシャワーを浴び、気晴らしにゆっくり浴槽に身を沈める。
 体内の空気を全て出し切るくらい長く息を吐いた。

「何からどう動くべきなんだ、俺は」
 独り言が虚しく響く。
 
 ソラを嫌いにはなれない。今更友達とも思えない。また会いたいか? と聞かれたら、迷わず会いたいと言う。

「ってか、俺が拒まなければいいだけの話だろ」
 頭では分かっている。相手が男だろうが、ソラという人を好きになったのだからそれでいいじゃないか。今時、同性で付き合ってるやつなんて普通にいるし、エリだって他校の女子と付き合っている。自ら言うこともないが、隠しているわけでもない。あくまで自然体だ。

 自分もそうあればいいだけではないのか?
 ソラを好きになった。最初こそ見た目だけに惹かれたけれど、実際話してみて、関わるようになった後も第一印象から変わったこともない。むしろ、イメージ通りの人だった。
 俺が好きそうなタイプを演じているわけでもなかった。それはケンタに対しても同じであったため、あれが本当にソラの人柄だと言える。
 ならば自分の目に狂いはないと思っていいような気がしてくる。このまま好きを受け入れるのもアリなのではないかと。

 自問自答を繰り返す。
 結局部屋に帰ってからも、ハッキリと答えは出せなかった。

 何気に動画配信アプリを開くと、トップ画面にエンフェクのライブ動画のサムネイルが映った。「しまった」と思っても遅い。髪をかき乱しながらも、再生ボタンを押さずにはいられなかった。

  動画の再生ボタンを押すと、短いCMの後にギターのアップが映る。冬哉のものだ。
 細い指が力を込めて握るピック。唸る音と共にカメラが下がる。ベストなタイミングで響平のドラムが地鳴りのように響いた。そこに伊織のベースが入ると、冬哉のギターがメロディーを奏で始める。
 客を煽るのもお手のものだ。全員が腕を上げ、そのリズムに合わせて体を揺らす。
 三箇所に設置されたカメラの視点に切り替わり、本当のライブを体感している気分になれる。流石はエンフェクだと思ってしまう編集技術だ。
 この場面を実際に見たが、画面越しに観るとまた違った印象を受ける。配信される映像には、音も差し込まれていてさらに豪華なエンターテインメントと言った感じだろうか。

 冬哉のセンスには毎回脱帽する。
 ライブを重ねる程、動画を投稿するほどにファンが増えるのも頷ける。そしてボーカルが脱退し、新しいそのポジションに誰もいなくても、『Empathy⇄Infection』は完全体を崩さない。

 その圧倒的カリスマ感は、blackASHを利用するどもバンドマンよりも秀でていた。

 あの時は呆然としてしまい、冬哉の顔もはっきりとは見られなかったが、こうして画面越しにアップで映し出された三人は心底楽しんでいるのが伝わってくる。

 無意識に画面を指で撫でていた。
 映された冬哉の顔を……。

 撫でたことで、画面をスライドしてアプリを閉じてしまった。

「あ、間違えた」
 慌ててアプリを開こうとしたが、指を引っ込める。

 無性に冬哉と話したい。実は観ていたと告げても良いのだろうか。
 とても良かったといえば、冬哉は喜んでくれそうにも思う。

 このところ、連絡しようとしてはタイミングを逃していた。アプリを閉じたということは、今こそ冬哉に電話をかけるタイミングなのではないかと、自己都合な考えが浮かぶ。
 棚に置いてあるデジタル時計を見ると、時間は既に深夜一時を回っていた。

 それでもこの時間なら、編集したりして起きていることが多い。しかし受験勉強に専念しているなら、寝ている可能性も高い。
 電話をかけたところで出てくれるとは限らないが、それでももうずっと長い間冬哉と離れて過ごしていたように感じるほど、心の距離が空いてしまった。

 履歴から冬哉の名前を探し出すと、躊躇せず勢いで発信ボタンを押す。

 前は三コールくらいで切ってしまったが、今度はもう少し鳴らしてみようと思い、コール音を続ける。ベッドに腰を下ろし、ぼんやりとどこにもピントが合わない視線を向ける。
 神経は耳にだけ集中させていた。