「あの、俺。black ASHっていうライブハウスで働いてて、それで、一回サポートメンバーとしてライブに出たことがあって、その時にステージの上から君を見つけたんだ」
 自分でも何を言ってるんだと思う。
 いきなりこんな話をされても困るだろう。そもそも、本人だと思い込んで猛烈に喋り始めたが、まだ本人だという確認さえ取っていない。
 こんな時になって、自分から女に声を掛けるのが生まれて初めてだったことに気が付いた。

 これまで自分に声をかけてくれていた人たちも、こんなふうに緊張したのだろうか。
 心臓がバクバクして話もまとまらない。でもどうにかして気を引きたい。
 今まで勇気を出して話しかけてくれた人たちに対して、深く反省した。もっと優しく接してあげればよかった……なんて思う人もいる。自分がこんな風になるまで、気づけなかったのが情けない。

 心の準備さえできていなかったから、余計に焦りが募る。
 しかし彼女は驚いた顔をしたものの、こっちを真っ直ぐに見て「覚えています」と答えてくれた。

「本当に?」
「あの時、あなたの声に包み込まれたような気持ちになったのが、今でも忘れられないんです」
「それは、ありがとう……」
 嬉しくて口元が緩む。覚えていてくれた上に、自分の声を褒めてもらえるなんて、思っても見なかった。普通なら変質者になりかねないのに、前から知人だったように喋ってくれるなんて……。

「あれ以来、blackASH来てないよね? 俺、そこでバイトしてるんだ」
「そうなんですね。あの日は……友達に誘われて……ああいう場所が初めてだったから、凄く緊張して……」
「確かに、熱気もすごいし、ビックリするよね。慣れたら楽しいんだけど。苦手だった?」

 彼女はふるふると首を振った。

「とても楽しかったですよ。でも、楽しみ方が分からないし、近寄り難くて……あれ以来行けてないんです」
「良かった。ライブが良くなかったのかと思って、心配してたんだ」
「そんなことありません!! 本当に、凄く良いライブでした。詳しくはないけど、エンフェクってバンド名くらいは、自分でさえ聞いたことあるくらい有名だし。人気なのがよく分かりました」
「それ、冬哉たちに伝えておくよ。きっと喜ぶから」

 間近で並ぶと、彼女は随分と小さい。身長はおおよそ十五センチは違いそうだし、キツく抱きしめると折れてしまいそうなほど華奢に見える。
 彼女が照れたように目を伏せると、影ができそうなほど睫毛が長かった。

 再会したら、自分の気持ちが分かるだろうと思っていたが、これは紛れもなく恋だと自覚した。誤魔化しようもなく俺はこの人に惚れている。

「名前、聞いてもいい?」
「如月想空って言います」
「ソラ……かわいい名前、ピッタリだ」
「ふふ、ありがとう。あなたは確か……し? んーと……」
「獅月。中島獅月」
「そうだ、獅月くんだった」
「呼びタメでいいよ。俺からもそうしたいし」
「分かった。じゃあ、そうするね」

 いきなりの急展開。人生何が起こるか分からない。色々と悩ましい受験生に、突然女神が舞い降りた。
 想空は獅月の通う高校から程近い大学に通っていると言った。
 童顔だったか。年上だとは思わなかった。
 
「ねぇ、良かったらライブハウスに遊びに来てよ。俺、夏休み中ほとんどいるし。音楽に興味あるなら、一緒に聞くやつがいるだけでも楽しいよ」
「そうだね、行きたい!!」
 神様は俺の味方をした。
 偶然会えた上に覚えてくれていて、更には連絡先の交換まで出来た。これが舞い上がらずにいられるものか。
「用事がなくても連絡する」
「あの歌ってた人が、こんなに楽しい人だとは思わなかった」
 想空はくすくすと笑って言う。
「誰にでもこんなにはしゃいだりしないから」と言うと「本当に?」と顔を綻ばせる。
 
 こんなに浮かれる自分は珍しい。いや、人生で初めてかもしれない。
 冬哉が上機嫌で口ずさむのが今なら良く分かる。大声で歌いたいほど、気分がいい。