夏が近づいている。
 制服の半袖シャツでさえ脱ぎ捨てたくなる陽気だ。
 朝から燦々と照りつける太陽の下、俺、中島獅月は自転車に跨った。

「行ってきまーす!」
 自宅を出発すると、すぐに長い坂道を下る。冬は滑らないかとヒヤヒヤするが、この季節は涼しくて気持ちいい。
 勢いよくペダルを漕ぐと、ブレーキも掛けずに風を目一杯浴びる。
 坂を下り切ると、勢いを絶やさなよう自然と立ち漕ぎをしてしまう。

 通学途中の、大きな十字路の角にあるコンビニに寄るのが日課だ。
 爽快に自転車から降りると、自動ドアを抜けて店内へと入る。
「あぁ〜、天国〜」
 自然とエアコンの当たる場所へと移動する。

 少しの時間涼むと、お昼ご飯用のパンとおやつのチョコレート、冷たいお茶を買って、また暑い日差しの中、高校へと向かった。

「獅月ーー!! おっはよう!!」
「冬哉、おはよう。こんなあっちぃ日に朝から元気だな」
「俺っち、バス通だから」
 冬哉が両手でピースを向ける。
「ズリィ。自転車と代わってくれ」

 シャツの中にパタパタと空気を送りながら教室へ入った。

「獅月くん、単刀直入に言うね。実は、折入ってお願いがあっ……」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないじゃん!」
 
 席に着くなり、冬哉が口を尖らせる。
 その一言だけで、うんざりだと顔で物語る。
 冬哉がこの猫撫で声を出す時は、あの(・・)話題しかない。

「俺は、歌わないぞ?」
「なんでバンドの話だって分かったんだよ!?」
「冬哉のそのフラグは大体バンドじゃん」
 やっぱり今回もそうらしい。
 冬哉はやけにボーカルをさせたがる。
「どうしてもお願い!! 次のライブまで時間ないんだよぅ。いきなりボーカルが脱退したの、獅月も知ってるだろ?」
「そりゃまあ、大変だとは思うけど」

 冬哉が活動しているバンドは地元じゃかなり有名で、ライブハウスは常に満員。
 動画配信で人気も出始め、名前も浸透してきた注目株だ。
 対バンの申し込みもひっきりなしに来る。
 まだ高校三年生の彼らにあやかろうと、高校生から社会人まで、冬哉のバンド活動の予定を念蜜にチェックしている。

 ここまで人気のバンドなのだが、先月、肝心のボーカルが抜けた。
 理由は『受験』
 親がどうしても許さなかったそうだ。今までは子供の遊びとして許してきたが、大学受験を優先しろとカナリ揉めた末、バンドを脱退することとなった。

 オリジナルの楽曲を作っているバンドで、新曲も意欲的に発表している彼らにとって、今は名前を売る大事な時でもある。

 前に一度だけ、友情出演という名目で遊び半分で動画配信限定で歌ったことがあった。
 それがカナリ評判がよく、再生回数も予想以上に伸びた。それ以来、冬哉はどうしても俺をバンドメンバーに加入させたがっている。
 メンバーが抜けたことで、その誘いは加速しているという状況だ。

 しかしバンドをするつもりはない。ただでさえ目立つ容姿をしている。
 身長は百八十センチを超え、立っているだけで人の目を引く。
 しかしそれは俺自身が望んだことではない。平穏に過ごしたいだけだ。
 馬鹿騒ぎも自ら目立つのも好みではなかった。

「ライブは見るからさ」
「どうせその日にバイト入れるんだろ!! ライブハウスのバイト、紹介したの俺なんですけどぉ」
「それは本当に感謝してるって」
「音楽は聴いて楽しむタイプなんだ」と、冬哉の髪を掻き乱して笑った。