「うちのお隣さん、ついに奥さんが出てったらしいのよ」

 フルーツコーナーに並べるパイナップルを切り分けながら、パート主婦の花井香苗が嬉々として話し始める。バックヤードにある厨房で作業台を向かい合って、それぞれが担当する青果のカット作業をしていた。幸恵の他の二人も勤めて三年以上のベテランパートだ。慣れた手付きで手際よく食材をカットし、値札シールを順に貼り付けていく。

「あら、それって前にも言ってたお宅? しょっちゅう喧嘩してるって言ってた――」
「そう、その家。旦那さんが昼間っから飲んだくれててさ、毎日怒鳴り合いだったのよ。お仕事されてる時はそうでも無かったんだけどねぇ」

 幸恵の隣でカボチャの四分の一カットをパックしていた山本智子が、若干前のめり状態で続きを促す。ワイドショー顔負けの話題に、目を輝かせて食いついていた。よっぽど興味がそそられたのか、完全に作業の手は止まってしまっている。

「熟年離婚ってやつよね、今流行りの。仕事を辞めた後はもう介護しか残ってないもんねぇ。子供もいなかったし、さっさと見切って出て行った奥さんは賢いと思うわ」
「持ち家だから、これから裁判とかいろいろ大変そうよね、財産分与とかあるじゃない?」
「でも、貰えるものは貰っておかないとねー」
「そうよね。苦労させられた分、しっかりいただかないと」

 幸恵を含めた三人が深く頷き合っていると、売り場から空のワゴンを押した学生バイトの田中亮太が厨房へと戻ってくる。パックし終えたばかりの追加商品をワゴンに積みながら、田中は苦笑しつつ言った。

「花井さんの声、外まで丸聞こえっすよ……」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ」
「鮮魚の人達、完全にドン引きっすよ」
「やだー、恥ずかしいわぁ」


 パート帰りに近所のファミレスに立ち寄ると、幸恵は奥にある禁煙席のテーブルに懐かしい顔を見つけて手を振った。こうやって会うのは五年ぶりだろうか。以前に待ち合わせた時はまだ娘は二人とも独身で、長女の結婚が決まったばかりだった。

「お久しぶりー」
「あらぁ、全く変わってない、わね?」
「どうして疑問形なのよ……ま、言いたいことは分かるけど」

 互いに顔を見合わせ、クスクスと笑い合う。四十台を越えた辺りから一気に老け込んだ自覚はある。白髪も増えて来たし、肌も重力に逆らえなくなってきている。それでもまあ、昔の面影がまだ残っているだけマシだと思いたい。

「最近はどう? 子供達はもう家を出たんだけっけ?」
「そうなのよ。おかげさまで二人とも嫁の貰い手があって、あっさりと出てったわ。でも代わりに旦那がずっと家に居るけど……」
「え、もう定年だったっけ?」

 メニュー表を眺めながら、幸恵は「そうなのよ」とうんざり顔で頷いてみせる。目の前の旧友、江崎美千代は先に頼んでおいたらしく、ドリンクバーのホットカフェラテを啜っている。
 幸恵も散々悩んだあげくテーブルの注文端末でドリンクバーとミルフィーユをオーダーすると、すぐに専用カップが運ばれてきた。それを持って好きな飲み物を取りに席を立つ。

 ケーキを食べるのだからとカロリーを気にして烏龍茶を汲んで席へ戻れば、テーブルの上には頼んでいたミルフィーユがすでに運ばれていた。カトラリーケースからデザートフォークを取り出して、少し大きめの一口で頬張ってみる。パート帰りで疲れた身体に甘味がじわっと染み渡る。

「そうだ、私、引っ越ししたのよ。新しい住所は後で送るわね」
「あら、そうなの?」
「独り身の友達とね、一軒家を借りて住み始めたの。シェアハウスってやつ。ほら、そろそろ老後が心配になってくるじゃない。孤独死とかはヤでしょ……」

 二十代前半で友達の中で一番早くに結婚した美千代は、たった二年で離婚した後はずっと独身を貫き通している。籍こそ入れないものの、事実婚のような相手もいた時期もあったが、今はまた完全フリーに戻っているらしい。美容師という手に職がある彼女だからこそ出来る生き方で、ただのパート主婦の幸恵には真似できない。

「みんなそれなりに歳喰ってるから、必要以上に干渉して来ないし楽でいいわよー」

 今は三人で暮らしているという家の中の様子をスマホの写真で見せてくれる。一見すると普通の家庭のような内装だったが、住んでいるのは歳の近い独身女性ばかり。維持費は等分しているおかげで、以前に住んでいたマンションの家賃よりも安くついているらしいし、何よりも楽しそうだ。
 頻繁にリビングに集まって宅飲みしたりしているらしく、写真からも賑やかな雰囲気が漂っている。

「へー、いいね」
「何? 幸恵も一緒に住む? 旦那と別れるようなことがあったら、いつでも大歓迎よ」

 美千代の冗談めいた言葉に、幸恵は乾いた笑いを返すしか出来なかった。軽く笑い飛ばして話を合わせられるほどの余裕がないことに、幸恵自身が驚いてしまう。