想い出話に花を咲かせながら遺品整理している大人達を横目に、梓は網戸越しに庭の景色を眺めていた。祖父のことは大好きだったが、別に欲しい遺品なんて何もない。ソファーの背凭れにだらりと身を預け、時折入り込んでくる生暖かい風から、金木犀の微かな香りを嗅ぎ分ける。
――あー、いい匂い。めちゃくちゃ癒される……。
離れのすぐ脇に植わっているから、ここなら家の中でも大好きな香りを堪能できる。今更の発見に、少しばかり後悔する。知っていれば、業者に剪定される前にじっくりと橙色の花の存在を楽しみたかった。
ふと、香りの元に視線を巡らせてみると、金木犀の根元に見覚えのある存在を見つけた。先日は室外機の上にいたのと同じ三毛猫だ。木陰に隠れるようにして丸くなっている。
――あ、また来てる。
今日のように日差しの強い日には、葉が密集している金木犀の下は完全な日陰になる。涼しくてよっぽど快適なのだろう、建物の中の賑やかな声には全く気にも留めていない。
「ねえ、あの猫ってどこの家の子か知ってる?」
処分する物をまとめて突っ込んだ段ボール箱を玄関口へと運び始めた母へ、窓の外を指さしながら聞いてみる。それまではぼーっと居眠りしかすることが無かった義伯父も、ようやく出番だとばかりにせっせと箱を移動させていた。
「ああ、たまに見かけるわね、あの子。どこの子かは知らないわ」
「何? 他所の猫が入り込んでるの?」
「うん、あそこ。金木犀の下で寝てる」
梓の言葉に、皆が一斉に金木犀の根元に注目する。こちらの気配に気付いたのか、三毛猫は丸くなりながらも耳をヒクヒク動かしている。けれど、立ち退く気は全くないみたいだ。猫を眺めた後、懐かしそうに目を細めて大叔母が口を開く。
「あら、昔飼ってたタマみたいな猫ねぇ。タマも三毛だったのよ」
「タマ? この家で飼ってたの?」
「そうそう。兄さんが一番可愛がってて、いつも兄さんの布団でしか寝ないのよ。――あの子、とてもよく似てるわねぇ」
タマというネーミングに若干の時代を感じる。犬のポチと同じくらい、ベタな名前だ。梓はこの家に猫がいたことがあるなんて、初めて聞いた。大叔母が実家にいた頃ということは、戦後まもなくの話だろうか。梓の両親が結婚する前に母屋は建て替えられているから、当時のことは全く想像がつかない。
「家の前で車に轢かれちゃって死んじゃってね、しばらく塞ぎ込んでたわ」
「お爺ちゃんが?」
「そうそう。もうすぐ子猫が生まれるって楽しみにしてた時だったから、余計にねぇ」
妊娠中のタマは大きなお腹で素早く車をよけきれなかったのか、家のすぐ前の道で死んでいるのが見つかったのだと言う。祖父が可愛がっていたとは話しているが、大叔母自身も大事にしていたのだろう、悲し気な表情を浮かべている。
「兄弟四人で庭に穴を掘って、タマを埋めてあげたのよ。しばらくしたら兄さんが墓標代わりにって苗木を買って来たのよね。――そうそう、あの金木犀がそうだわ」
今、見知らぬ三毛猫が寝ころんでいる下には、戦後まもなくに事故死したタマが埋葬されている。大叔母の発言に、一同が言葉を失う。この偶然を何と表現したらよいのか……。
母は背筋にヒヤリと冷たい物を感じたらしく、顔を強張らせている。「生まれ変わりかしら?」なんて言いながら、圭子伯母さんは立ち上がって窓に近付いて猫を観察していた。意外と怖い物知らずなのかもしれない。
「ねえ、タマの写真はないの?」
「どうだろうね、5年くらいしかいなかったから、撮った覚えはないけれど」
形見分けの一環で持ち帰るつもりで傍に積み上げていたアルバムを、大叔母はパラパラと捲っていく。梓もソファーを降りて、アツ江と一緒にセピア色の写真を探し始める。猫が飼われていたという時代の物はそれほど多くはなく、お目当ての写真はすぐに見つかった。
昭和初期の家族写真の中で、家の門柱の前で祖父らしき少年に抱っこされて、タマと呼ばれていたメス猫は写っていた。何かの記念日なんだろうか、一緒に並ぶ幼い頃の大叔母は畏まった表情をしている。
――……え?
男の子に抱きかかえられた猫の写真をしばらく凝視してから、梓が大叔母へと告げる。
「アツ江おばちゃん、これ三毛猫じゃないよ。サビ猫。こういう黒っぽい子はサビ猫っていうの」
「あら、全然違うじゃない。おばさん、いい加減な記憶ねぇ」
モノクロだから分かりにくいが、写真のタマは明らかに黒が多くて、他の色とまだらに混ざり合った毛色をしていた。お腹の毛は白っぽいから三毛と言われたらそうかもしれないが……。対して、庭に勝手に侵入して寛いでいる子は白のベースに茶色と黒がそれぞれはっきりと配色された毛をまとっている。これを似てると言った根拠は不明だ。
大叔母の頭の横からアルバムを覗き見た圭子が、半笑いを堪えた顔で「なーんだ」と呟く。「あら、そうだったかしら」とアツ江はしれっと惚けている。
人騒がせな記憶だと賑やかに騒ぎたてていると、いつの間にか猫は金木犀の下からいなくなっていた。昼寝をするには少々煩くし過ぎてしまったのだろうか。
――あー、いい匂い。めちゃくちゃ癒される……。
離れのすぐ脇に植わっているから、ここなら家の中でも大好きな香りを堪能できる。今更の発見に、少しばかり後悔する。知っていれば、業者に剪定される前にじっくりと橙色の花の存在を楽しみたかった。
ふと、香りの元に視線を巡らせてみると、金木犀の根元に見覚えのある存在を見つけた。先日は室外機の上にいたのと同じ三毛猫だ。木陰に隠れるようにして丸くなっている。
――あ、また来てる。
今日のように日差しの強い日には、葉が密集している金木犀の下は完全な日陰になる。涼しくてよっぽど快適なのだろう、建物の中の賑やかな声には全く気にも留めていない。
「ねえ、あの猫ってどこの家の子か知ってる?」
処分する物をまとめて突っ込んだ段ボール箱を玄関口へと運び始めた母へ、窓の外を指さしながら聞いてみる。それまではぼーっと居眠りしかすることが無かった義伯父も、ようやく出番だとばかりにせっせと箱を移動させていた。
「ああ、たまに見かけるわね、あの子。どこの子かは知らないわ」
「何? 他所の猫が入り込んでるの?」
「うん、あそこ。金木犀の下で寝てる」
梓の言葉に、皆が一斉に金木犀の根元に注目する。こちらの気配に気付いたのか、三毛猫は丸くなりながらも耳をヒクヒク動かしている。けれど、立ち退く気は全くないみたいだ。猫を眺めた後、懐かしそうに目を細めて大叔母が口を開く。
「あら、昔飼ってたタマみたいな猫ねぇ。タマも三毛だったのよ」
「タマ? この家で飼ってたの?」
「そうそう。兄さんが一番可愛がってて、いつも兄さんの布団でしか寝ないのよ。――あの子、とてもよく似てるわねぇ」
タマというネーミングに若干の時代を感じる。犬のポチと同じくらい、ベタな名前だ。梓はこの家に猫がいたことがあるなんて、初めて聞いた。大叔母が実家にいた頃ということは、戦後まもなくの話だろうか。梓の両親が結婚する前に母屋は建て替えられているから、当時のことは全く想像がつかない。
「家の前で車に轢かれちゃって死んじゃってね、しばらく塞ぎ込んでたわ」
「お爺ちゃんが?」
「そうそう。もうすぐ子猫が生まれるって楽しみにしてた時だったから、余計にねぇ」
妊娠中のタマは大きなお腹で素早く車をよけきれなかったのか、家のすぐ前の道で死んでいるのが見つかったのだと言う。祖父が可愛がっていたとは話しているが、大叔母自身も大事にしていたのだろう、悲し気な表情を浮かべている。
「兄弟四人で庭に穴を掘って、タマを埋めてあげたのよ。しばらくしたら兄さんが墓標代わりにって苗木を買って来たのよね。――そうそう、あの金木犀がそうだわ」
今、見知らぬ三毛猫が寝ころんでいる下には、戦後まもなくに事故死したタマが埋葬されている。大叔母の発言に、一同が言葉を失う。この偶然を何と表現したらよいのか……。
母は背筋にヒヤリと冷たい物を感じたらしく、顔を強張らせている。「生まれ変わりかしら?」なんて言いながら、圭子伯母さんは立ち上がって窓に近付いて猫を観察していた。意外と怖い物知らずなのかもしれない。
「ねえ、タマの写真はないの?」
「どうだろうね、5年くらいしかいなかったから、撮った覚えはないけれど」
形見分けの一環で持ち帰るつもりで傍に積み上げていたアルバムを、大叔母はパラパラと捲っていく。梓もソファーを降りて、アツ江と一緒にセピア色の写真を探し始める。猫が飼われていたという時代の物はそれほど多くはなく、お目当ての写真はすぐに見つかった。
昭和初期の家族写真の中で、家の門柱の前で祖父らしき少年に抱っこされて、タマと呼ばれていたメス猫は写っていた。何かの記念日なんだろうか、一緒に並ぶ幼い頃の大叔母は畏まった表情をしている。
――……え?
男の子に抱きかかえられた猫の写真をしばらく凝視してから、梓が大叔母へと告げる。
「アツ江おばちゃん、これ三毛猫じゃないよ。サビ猫。こういう黒っぽい子はサビ猫っていうの」
「あら、全然違うじゃない。おばさん、いい加減な記憶ねぇ」
モノクロだから分かりにくいが、写真のタマは明らかに黒が多くて、他の色とまだらに混ざり合った毛色をしていた。お腹の毛は白っぽいから三毛と言われたらそうかもしれないが……。対して、庭に勝手に侵入して寛いでいる子は白のベースに茶色と黒がそれぞれはっきりと配色された毛をまとっている。これを似てると言った根拠は不明だ。
大叔母の頭の横からアルバムを覗き見た圭子が、半笑いを堪えた顔で「なーんだ」と呟く。「あら、そうだったかしら」とアツ江はしれっと惚けている。
人騒がせな記憶だと賑やかに騒ぎたてていると、いつの間にか猫は金木犀の下からいなくなっていた。昼寝をするには少々煩くし過ぎてしまったのだろうか。