電動リクライニングベッドにデスクと椅子、そして背凭れを倒すとフラットになるソファー。シャワーとトイレ付きの個室は白い壁紙にピンクのカーテンが掛けられていて、一見するとちょっとしたホテルのような内装。ここが産院の病室だということをつい忘れてしまいそうだが、耳を澄ませば先に生まれた新生児達の元気な泣き声が耳に届く。舌足らずな幼い子供の喋り声は隣の病室からだろうか。
ソファーベッドへ横並びに腰掛けて、愛華と佳奈は緊張した面持ちでその時を静かに待っていた。分娩室へ連れて行かれた柚月は、陣痛の波の来ていない時間帯はとても饒舌で、後学の為にと言って娘達へこれからの流れを説明していった。
「佳奈の時も初産とは思えないくらいすぐに出て来たから、この子はさらに早いと思うわ。生まれたら呼びに来て貰えるはずだから、病室で待ってて。あ、別に分娩室で立ち会ってくれてもいいんだけど――」
母親からそう言われて、怖いから嫌だと佳奈は首をブンブンと横に振っていた。そして、実の娘が完全拒否してるにも関わらず、柚月は愛華の方も見てきて「愛華ちゃんはどうする?」とでも言いたげな顔を向ける。
柚月はそういうところで娘達のことを分け隔てしてこない。勿論、まだまだ遠慮がちで距離を感じるところはあるが、ちゃんと自分の家族の一員として接してくれる。
「ここで佳奈ちゃんと待ってます。お父さんから連絡あるかもしれないし」
「そう? じゃあ、寂しいけど一人で頑張ってくるわね」
赤ちゃんと対面した時に修司がまた号泣するかもしれないから、それはちゃんと動画で撮っておいてねと悪戯っぽく言い残していく。出産の為にメイクを全て落とした柚月は、相変わらず三十台後半だとは思えない程キレイだった。
「妊婦はホルモンの関係でシミが出来易いから、特に気を付けないといけないのよ」と家に一日中居ても日焼け止めはしっかりと数時間置きに塗り直していた。シミ一つで職場での説得力が大きく変わるからと、その辺りはかなり徹底している。確かにシミだらけの美容部員さんに美白ラインを勧められても購入欲は湧かない。
一人っ子だった二人にとって、新しい家族の誕生は初めてのこと。弟か妹のどっちが良いか、両親のどちら似なんだろうかという会話は、これまでも何度か繰り返していた。でも、もうここまで来るとそんなのはどうでもいい。無事に元気に生まれて来てくれるのを願うばかり。
「横山さん、赤ちゃん生まれましたよー」
ドアをノックしてから、看護師が病室で待つ家族へと声を掛ける。それぞれにいろいろな想いにふけっていた二人は、はっと顔を上げた。
「とても元気な女の子ですよ。大きなお姉ちゃんが二人もいるなんて、頼もしいわね」
柚月がひた隠しにしていた赤ちゃんの性別を、分娩室へ向かう道すがらにさらっと暴露してしまった看護師。今の時代、まさか産むまで隠されているとも思わなかったのだろう。妊娠中期には大抵の性別はエコーで判明するものなのだから。
「……妹なんだ」
看護師の台詞に、佳奈がぱぁっと顔を明るくする。以前から、出来たら女の子がいいなと言っていた。妹の髪をいろいろアレンジしてあげたいのだと。
保育器の中に入っている新しい家族は、想像していたよりも大きくて、この子が柚月のお腹の中にさっきまで入っていたことに驚いた。でも、人間ってこんなサイズから始まるのかと思うほど、全てのパーツがとても小さかった。
分娩室の隣にある部屋でベッドに横たわって休んでいた柚月は、保育器の中を瞬きも忘れて眺めている娘達のことを、とても優しい母親の表情で微笑んで見ていた。普段よりも顔色が悪いのは産後の出血が少し多かったからだという。
「佳奈よりも愛華ちゃんに似てるわね。だから、顔は修司さんの方ね」
今は目を閉じて静かに眠っている新しい妹は、修司似の真ん丸な瞳をしていたらしい。けれど、ぷっくりと厚めの唇は柚月とそっくりだ。この子もリップが映える女になる気配がする。
赤ちゃんと対面してからずっと黙っていた佳奈は、下唇をきゅっと噛みしめた表情をしている。これまで何度も目撃した覚えのある、泣くのを我慢している時の顔だ。でも、今は辛いことを耐えている訳じゃなく、嬉しさのあまりに涙が零れてしまうのを必死で食い止めているのだと分かる。
その佳奈が、ようやく保育器から視線を離し、母親の方へと振り返って聞く。
「名前は、もう決まってるの?」
「ええ。お父さんと二人で考えたのよ。意外と早く決まったわ、だって我が家は――」
柚月が喋るのを途中で止める。バタバタと廊下を走って向かって来る足音に気付いたから。
病院内はお静かにお願いします、と部屋の前では看護師が注意している。「すみません、つい……」と申し訳なさげに謝っている声に、三人は顔を見合わせて吹き出す。
「もう、あの人ったら……」
どこから走って来たのかは分からないが、とにかく顔中に汗を滴らせた修司が、タオルハンカチで額を拭いながら分娩室のドアを開く。
「ごめん、柚月さん。やっぱり全然間に合わなかった……」
「それは最初から期待してなかったから大丈夫よ。代わりに二人が居てくれたから」
妻の身体に大事は無いかと心配しながらも、保育器の中に眠っている小さな娘に声を失っている。ハラハラとオロオロを繰り返している父の姿を、愛華はスマホのカメラでしっかりと収める。
「あ、そうそう、赤ちゃんの名前の話だったわね」
「うん」
「その子の名前は、七海にしたの。割と迷わなかったわね」
「そうだね、最初の一文字は絶対に『な』から始まる名前にするって決めたからね」
夫婦で見合って満足気に頷いている。「なんで『な』なの?」という顔をする娘達に向かって、当然だと言いたげに、
「愛華、佳奈と来たら、次は『な』しかないでしょう?」
「え……しりとり方式なの?!」
呆れ顔の娘達へ、柚月はしれっと言ってのける。
「三姉妹な感じが出ていいじゃない」
もし四人目が出来るなら、次は『み』から始まる名前になるが、「さすがにもう無理よ」と柚月はケラケラと笑った。
ソファーベッドへ横並びに腰掛けて、愛華と佳奈は緊張した面持ちでその時を静かに待っていた。分娩室へ連れて行かれた柚月は、陣痛の波の来ていない時間帯はとても饒舌で、後学の為にと言って娘達へこれからの流れを説明していった。
「佳奈の時も初産とは思えないくらいすぐに出て来たから、この子はさらに早いと思うわ。生まれたら呼びに来て貰えるはずだから、病室で待ってて。あ、別に分娩室で立ち会ってくれてもいいんだけど――」
母親からそう言われて、怖いから嫌だと佳奈は首をブンブンと横に振っていた。そして、実の娘が完全拒否してるにも関わらず、柚月は愛華の方も見てきて「愛華ちゃんはどうする?」とでも言いたげな顔を向ける。
柚月はそういうところで娘達のことを分け隔てしてこない。勿論、まだまだ遠慮がちで距離を感じるところはあるが、ちゃんと自分の家族の一員として接してくれる。
「ここで佳奈ちゃんと待ってます。お父さんから連絡あるかもしれないし」
「そう? じゃあ、寂しいけど一人で頑張ってくるわね」
赤ちゃんと対面した時に修司がまた号泣するかもしれないから、それはちゃんと動画で撮っておいてねと悪戯っぽく言い残していく。出産の為にメイクを全て落とした柚月は、相変わらず三十台後半だとは思えない程キレイだった。
「妊婦はホルモンの関係でシミが出来易いから、特に気を付けないといけないのよ」と家に一日中居ても日焼け止めはしっかりと数時間置きに塗り直していた。シミ一つで職場での説得力が大きく変わるからと、その辺りはかなり徹底している。確かにシミだらけの美容部員さんに美白ラインを勧められても購入欲は湧かない。
一人っ子だった二人にとって、新しい家族の誕生は初めてのこと。弟か妹のどっちが良いか、両親のどちら似なんだろうかという会話は、これまでも何度か繰り返していた。でも、もうここまで来るとそんなのはどうでもいい。無事に元気に生まれて来てくれるのを願うばかり。
「横山さん、赤ちゃん生まれましたよー」
ドアをノックしてから、看護師が病室で待つ家族へと声を掛ける。それぞれにいろいろな想いにふけっていた二人は、はっと顔を上げた。
「とても元気な女の子ですよ。大きなお姉ちゃんが二人もいるなんて、頼もしいわね」
柚月がひた隠しにしていた赤ちゃんの性別を、分娩室へ向かう道すがらにさらっと暴露してしまった看護師。今の時代、まさか産むまで隠されているとも思わなかったのだろう。妊娠中期には大抵の性別はエコーで判明するものなのだから。
「……妹なんだ」
看護師の台詞に、佳奈がぱぁっと顔を明るくする。以前から、出来たら女の子がいいなと言っていた。妹の髪をいろいろアレンジしてあげたいのだと。
保育器の中に入っている新しい家族は、想像していたよりも大きくて、この子が柚月のお腹の中にさっきまで入っていたことに驚いた。でも、人間ってこんなサイズから始まるのかと思うほど、全てのパーツがとても小さかった。
分娩室の隣にある部屋でベッドに横たわって休んでいた柚月は、保育器の中を瞬きも忘れて眺めている娘達のことを、とても優しい母親の表情で微笑んで見ていた。普段よりも顔色が悪いのは産後の出血が少し多かったからだという。
「佳奈よりも愛華ちゃんに似てるわね。だから、顔は修司さんの方ね」
今は目を閉じて静かに眠っている新しい妹は、修司似の真ん丸な瞳をしていたらしい。けれど、ぷっくりと厚めの唇は柚月とそっくりだ。この子もリップが映える女になる気配がする。
赤ちゃんと対面してからずっと黙っていた佳奈は、下唇をきゅっと噛みしめた表情をしている。これまで何度も目撃した覚えのある、泣くのを我慢している時の顔だ。でも、今は辛いことを耐えている訳じゃなく、嬉しさのあまりに涙が零れてしまうのを必死で食い止めているのだと分かる。
その佳奈が、ようやく保育器から視線を離し、母親の方へと振り返って聞く。
「名前は、もう決まってるの?」
「ええ。お父さんと二人で考えたのよ。意外と早く決まったわ、だって我が家は――」
柚月が喋るのを途中で止める。バタバタと廊下を走って向かって来る足音に気付いたから。
病院内はお静かにお願いします、と部屋の前では看護師が注意している。「すみません、つい……」と申し訳なさげに謝っている声に、三人は顔を見合わせて吹き出す。
「もう、あの人ったら……」
どこから走って来たのかは分からないが、とにかく顔中に汗を滴らせた修司が、タオルハンカチで額を拭いながら分娩室のドアを開く。
「ごめん、柚月さん。やっぱり全然間に合わなかった……」
「それは最初から期待してなかったから大丈夫よ。代わりに二人が居てくれたから」
妻の身体に大事は無いかと心配しながらも、保育器の中に眠っている小さな娘に声を失っている。ハラハラとオロオロを繰り返している父の姿を、愛華はスマホのカメラでしっかりと収める。
「あ、そうそう、赤ちゃんの名前の話だったわね」
「うん」
「その子の名前は、七海にしたの。割と迷わなかったわね」
「そうだね、最初の一文字は絶対に『な』から始まる名前にするって決めたからね」
夫婦で見合って満足気に頷いている。「なんで『な』なの?」という顔をする娘達に向かって、当然だと言いたげに、
「愛華、佳奈と来たら、次は『な』しかないでしょう?」
「え……しりとり方式なの?!」
呆れ顔の娘達へ、柚月はしれっと言ってのける。
「三姉妹な感じが出ていいじゃない」
もし四人目が出来るなら、次は『み』から始まる名前になるが、「さすがにもう無理よ」と柚月はケラケラと笑った。