大学での講義を終えて、そのままバイト先のコンビニへ直行すると、愛華は納品されたばかりの商品を検品しつつ急いで陳列していく。タイムリミットは夕方のラッシュで、それが来るまでに全て並べ切ってしまわないといけない。学校帰りだと丁度午後の納品時間になるので、この時間帯のシフトに入ると、いつも時間との闘いになってしまう。もう少し早く届けて貰えると楽なんだろうけど、固定の配送ルートもあるから簡単にはいかないらしい。
「あ、横山さん、それが終わったら一旦、店の前のチェックお願いしていいかな? なんかさっき、学生が騒いでたみたいだから」
「はーい」
発注用端末を抱えて店内をうろついていた店長から指示され、愛華はほうきと塵取りを持って店を出ていく。以前は外に出していたゴミ箱を家庭ごみの無断投棄対策で店内に入れるようになったせいか、店の前にゴミを放置されていくことが度々ある。特に複数人で長時間居座っていた後は、ペットボトルや缶が窓枠にずらりと並んでいることもあって、そういった時の空き缶は高確率で煙草の吸殻入れになっている。勿論、駅にはちゃんと喫煙スペースがあるけれど、反対の降り口側だから全く抑止力がない。
店長の心配をよそに、店の前は特に問題なく、風で飛ばされてきた枯れ葉が数枚落ちていただけだった。それをほうきで搔き集めると、愛華は再び店内へと戻る。
バックヤードで掃除用具を片付けていると、狭い事務デスクでタブレット端末と睨めっこしていた店長が声を掛けてくる。
「さっきからずっと、ロッカーで携帯が鳴ってる音聞こえてくるんだけど、横山さんのじゃない?」
「え、私のですか?」
「多分ね。山岡さんの着信音はデフォルトのやつだったはずだから」
スタッフの着信音をなぜか把握している店長に、若干の恐怖を感じる。言われて自分のロッカーを開けて確認してみると、確かに愛華のスマホに着信履歴が残っていた。
「あ、佳奈ちゃんからだ……すみません、少しだけ家に電話してもいいですか?」
「ああ、いいよ。妹さんから?」
「はい。3件も着信あったみたいなんで、何かあったのかも……」
店長の許可を得て、バックヤードの隅から佳奈のジュニア携帯に掛け直す。2コール後に出た佳奈は、かなり焦っているのか声が少し震えている。
「愛華お姉ちゃん?! く、クルミが……クルミがね、大変なのっ」
「ど、どうしたの? 何があったの?」
とにかく落ち着いて、と電話で宥めながら、佳奈へ説明を促す。
「さっきからずっと、ゲーって……。何回も何回も吐いてて……床とかカーペットの上に吐いてて……」
「え、何回も? 毛玉を吐いてるとかじゃなくて?」
「……分かんない。けど、ずっと吐いてる」
泣き声に近い佳奈の後ろで、猫がグウェッと吐き戻している声が聞こえてくる。生後半年を過ぎて身体は随分と大きくなったクルミだけれど、まだまだ子猫で行動が予測できない。何か変なモノを口にしてしまった可能性もある。それとも、何かの病気なのか……。
「終わったらすぐ帰るから、それまで頑張って。できれば、クルミが吐いた物をビニール袋か何かに入れて保管しておいてくれる? それ持って病院に連れて行こ」
「……うん」
泣きじゃくる佳奈へ、できるだけ落ち着いた声で指示する。愛華自身も結構焦っていたが、ここは平静を装うしかない。
「今日はもう上がってくれていいよ」
電話を切ってすぐ、デスクの方から店長が声を掛けてくる。眼鏡のフレームを人差し指でくいっと上げて、なぜか薄笑いを浮かべているのが若干怖い。
狭いバックヤードのことだから、愛華達の通話内容は丸聞こえだ。それでも普通の人は聞こえなかったふりをするものだが、そういう点で彼は少し変わっているのかもしれない。なんにせよ、今はそのキモい優しさですらありがたく感じる。
「幼女と猫にはかなわないよね、急いで帰ってあげてよ」
「ありがとうございますっ。――でも、妹はもう幼女って歳じゃないです」
「あ、そうなんだ」と黒ブチ眼鏡の下で、なぜか残念そうな表情をしている。帰ったら佳奈に「あの店には無暗に立ち寄らないように」と忠告しておこうと愛華は心に誓った。
小走りで急いで帰宅した愛華を、佳奈は真っ赤に腫らした目で出迎えてくれた。必要以上に触るとまた吐き戻してしまうのではと、何も出来ずに泣いていたようだ。それでも愛華に言われた通り、クルミが口から出した物をちゃんとビニール袋にかき集めていた。
「最初にいっぱい吐いた後は、ちょっとずつになってて……」
「一番初めのはゴミ箱に?」
「うん、ティッシュに包んで捨てちゃった。それも要る?」
佳奈が言う通り、丸めて捨てられていたティッシュもゴミ箱から回収して、それも持って一緒に動物病院へと向かう。クルミを拾った時に連れていった老獣医のいるあの病院だ。つい先日には日帰り入院で去勢手術を受けに行ったばかり。愛想はあまり良いと言えないけれど、診察は確かだと思う。
「あー、猫草で消化不良を起こしてるね、これ。ダメだよ、子猫の内は猫草あげちゃ」
「……猫草?」
「お薬出すから、しばらく餌に混ぜるなりして飲ませてやって。猫草は大人でも食べ過ぎるとお腹壊すから注意しなきゃ」
提出した嘔吐物を確認して、獣医があっさりと秒で診断を下す。言われてみれば、緑の草が大量に混じっている。でも、家で猫草を育てた覚えはないのにと、愛華が首を傾げた。子猫はどこで草を口にしたんだろう。
ふと隣を見ると、佳奈がまた泣きそうな顔をしていた。
「猫を三匹飼ってる友達が、健康の為に猫草あげてるって言ってたから……」
「買ってきて食べさせちゃったの?」
「……ごめんなさい」
まだ残っている分はクルミが大人になるまでは、サンルームに出しておくことにした。クルミのことを思ってした行動なのだから、今回の佳奈のことはそこまで強く責められない。でも賢い妹のことだから、次からはちゃんと相談してくれるはずだ。
「クルミ、ごめんね……」
吐くだけ吐いてすっきりしたのか、鳴きながらケージの柵を引っ掻いて暴れる子猫へと佳奈が謝っていた。
「あ、横山さん、それが終わったら一旦、店の前のチェックお願いしていいかな? なんかさっき、学生が騒いでたみたいだから」
「はーい」
発注用端末を抱えて店内をうろついていた店長から指示され、愛華はほうきと塵取りを持って店を出ていく。以前は外に出していたゴミ箱を家庭ごみの無断投棄対策で店内に入れるようになったせいか、店の前にゴミを放置されていくことが度々ある。特に複数人で長時間居座っていた後は、ペットボトルや缶が窓枠にずらりと並んでいることもあって、そういった時の空き缶は高確率で煙草の吸殻入れになっている。勿論、駅にはちゃんと喫煙スペースがあるけれど、反対の降り口側だから全く抑止力がない。
店長の心配をよそに、店の前は特に問題なく、風で飛ばされてきた枯れ葉が数枚落ちていただけだった。それをほうきで搔き集めると、愛華は再び店内へと戻る。
バックヤードで掃除用具を片付けていると、狭い事務デスクでタブレット端末と睨めっこしていた店長が声を掛けてくる。
「さっきからずっと、ロッカーで携帯が鳴ってる音聞こえてくるんだけど、横山さんのじゃない?」
「え、私のですか?」
「多分ね。山岡さんの着信音はデフォルトのやつだったはずだから」
スタッフの着信音をなぜか把握している店長に、若干の恐怖を感じる。言われて自分のロッカーを開けて確認してみると、確かに愛華のスマホに着信履歴が残っていた。
「あ、佳奈ちゃんからだ……すみません、少しだけ家に電話してもいいですか?」
「ああ、いいよ。妹さんから?」
「はい。3件も着信あったみたいなんで、何かあったのかも……」
店長の許可を得て、バックヤードの隅から佳奈のジュニア携帯に掛け直す。2コール後に出た佳奈は、かなり焦っているのか声が少し震えている。
「愛華お姉ちゃん?! く、クルミが……クルミがね、大変なのっ」
「ど、どうしたの? 何があったの?」
とにかく落ち着いて、と電話で宥めながら、佳奈へ説明を促す。
「さっきからずっと、ゲーって……。何回も何回も吐いてて……床とかカーペットの上に吐いてて……」
「え、何回も? 毛玉を吐いてるとかじゃなくて?」
「……分かんない。けど、ずっと吐いてる」
泣き声に近い佳奈の後ろで、猫がグウェッと吐き戻している声が聞こえてくる。生後半年を過ぎて身体は随分と大きくなったクルミだけれど、まだまだ子猫で行動が予測できない。何か変なモノを口にしてしまった可能性もある。それとも、何かの病気なのか……。
「終わったらすぐ帰るから、それまで頑張って。できれば、クルミが吐いた物をビニール袋か何かに入れて保管しておいてくれる? それ持って病院に連れて行こ」
「……うん」
泣きじゃくる佳奈へ、できるだけ落ち着いた声で指示する。愛華自身も結構焦っていたが、ここは平静を装うしかない。
「今日はもう上がってくれていいよ」
電話を切ってすぐ、デスクの方から店長が声を掛けてくる。眼鏡のフレームを人差し指でくいっと上げて、なぜか薄笑いを浮かべているのが若干怖い。
狭いバックヤードのことだから、愛華達の通話内容は丸聞こえだ。それでも普通の人は聞こえなかったふりをするものだが、そういう点で彼は少し変わっているのかもしれない。なんにせよ、今はそのキモい優しさですらありがたく感じる。
「幼女と猫にはかなわないよね、急いで帰ってあげてよ」
「ありがとうございますっ。――でも、妹はもう幼女って歳じゃないです」
「あ、そうなんだ」と黒ブチ眼鏡の下で、なぜか残念そうな表情をしている。帰ったら佳奈に「あの店には無暗に立ち寄らないように」と忠告しておこうと愛華は心に誓った。
小走りで急いで帰宅した愛華を、佳奈は真っ赤に腫らした目で出迎えてくれた。必要以上に触るとまた吐き戻してしまうのではと、何も出来ずに泣いていたようだ。それでも愛華に言われた通り、クルミが口から出した物をちゃんとビニール袋にかき集めていた。
「最初にいっぱい吐いた後は、ちょっとずつになってて……」
「一番初めのはゴミ箱に?」
「うん、ティッシュに包んで捨てちゃった。それも要る?」
佳奈が言う通り、丸めて捨てられていたティッシュもゴミ箱から回収して、それも持って一緒に動物病院へと向かう。クルミを拾った時に連れていった老獣医のいるあの病院だ。つい先日には日帰り入院で去勢手術を受けに行ったばかり。愛想はあまり良いと言えないけれど、診察は確かだと思う。
「あー、猫草で消化不良を起こしてるね、これ。ダメだよ、子猫の内は猫草あげちゃ」
「……猫草?」
「お薬出すから、しばらく餌に混ぜるなりして飲ませてやって。猫草は大人でも食べ過ぎるとお腹壊すから注意しなきゃ」
提出した嘔吐物を確認して、獣医があっさりと秒で診断を下す。言われてみれば、緑の草が大量に混じっている。でも、家で猫草を育てた覚えはないのにと、愛華が首を傾げた。子猫はどこで草を口にしたんだろう。
ふと隣を見ると、佳奈がまた泣きそうな顔をしていた。
「猫を三匹飼ってる友達が、健康の為に猫草あげてるって言ってたから……」
「買ってきて食べさせちゃったの?」
「……ごめんなさい」
まだ残っている分はクルミが大人になるまでは、サンルームに出しておくことにした。クルミのことを思ってした行動なのだから、今回の佳奈のことはそこまで強く責められない。でも賢い妹のことだから、次からはちゃんと相談してくれるはずだ。
「クルミ、ごめんね……」
吐くだけ吐いてすっきりしたのか、鳴きながらケージの柵を引っ掻いて暴れる子猫へと佳奈が謝っていた。