学校の友達から誘われて、佳奈は朝から市民プールに出掛けていった。出る前には去年に買ったという水着を試着し、意外とキツくて焦っていたみたいだが、結局は上にラッシュガード着るから平気とスクール水着を持って行った。聞いてみたら、友達もみんな同じような感じらしい。成長期真っ只中だから、去年の物がまだ使える保証はない。

 時間入れ替え制のプールは、長くても2時間ほどで一旦追い出されてしまう。空いている時ならもう一度入場料を払って入り直すこともできるらしいが、夏休み中盤の今日のような快晴の日に再入場は無理だ。事前のネット予約でどの時間帯もすでに満員状態だった。

 二階の自室で夏季休暇中のレポート課題をまとめていると、スマホに妹からの着信が入る。

「もしもし?」
「今から友達と家で遊んでもいい? プール、延長できなかったから――」
「いいけど、お昼ご飯はどうするの?」
「みんな、コンビニで買うって言ってる」

 プールを再入場するつもりでいたから、お昼代も含めたお小遣いをちゃんと親から貰って来ているらしい。お弁当を買って近くの公園で食べるつもりだったが、あまりの暑さに外は無理、誰かの家に行こうということになったみたいだ。プールではしゃいで疲れた身体に、八月の灼熱は地獄でしかない。
 その次の遊び場に我が家が選ばれたのは、間違いなくクルミ効果だろう。ちっちゃくて可愛い物が好きな女子は多い。

「今日はずっと部屋で課題やってると思うけど、それでいいなら……」

 電話口の愛華の返答に、すぐさま佳奈が「いいって」と周りの友達に伝えているのが聞こえてくる。「やったー」という喜ぶ声が遠巻きに耳に届く。

 それから半時間もしない内に、玄関には賑やかな声が響き渡った。「おじゃましまーす」と礼儀正しくやってきた佳奈の友達。その中に以前にも遊びに来た子がいたらしく、「クルミ、久しぶりー」と元気よく子猫に話しかけているのが聞こえる。

 階段を上がり、愛華の部屋のドアをノックする音がした後、佳奈が顔を覗かせた。少し申し訳なさげな表情で、姉の反応を伺っている。逆にこっちが「今日に限って家で引き籠っていて、ごめん」と言いたくなってしまう。

「棚にあるお菓子、好きなの出してあげてね。ジュースは足りる?」
「帰りに買って来たから、大丈夫と思う」

 愛華の勉強中に煩くしてしまうことを気にしているみたいだが、別に急ぎの課題でもない。提出するのはまだ半月以上先の予定だ。それを伝えると、佳奈はホッとした表情に変わる。でも出来るだけリビングで遊んでてねとお願いすると、大きく頷いていた。

 一階から届く賑やかな笑い声に、愛華は心底ホッとしていた。転校はしていなくても、親の再婚で佳奈の環境は大きく変わっている。女子のグループはいつでも何でも一緒が基本になることがあるから、登下校のルートが違ってしまっただけで、これまでと同じではいられなくなる。

 家庭環境の変化が理由で、佳奈が友達の間で孤立するようなことになっていたらと、密かに心配していた。でも、それは杞憂に終わっているのが確かめられて良かった。勿論、最初はいろいろと戸惑うことがあったのかもしれないが、今現在はちゃんと上手くやれているみたいだ。

 階下から聞こえてくる楽しそうな声。普段、家では控えめに喋る佳奈が、あんなに大きな声で笑うなんて想像もつかなかった。

 資料として目を通していた書籍に記載された用語の意味を、ノートPCを使ってネットで検索する。レポート作成の参考にと大学の図書館で借りて来たが、経済学を学び始めたばかりの愛華にはまだ分からない専門用語が多い。カチカチとマウスを繰りながら解説ページを読み漁っていると、軽く頭痛がしてくる。

 一休みしようと部屋を出て、リビングにいるはずの佳奈達に遠慮し、ダイニング側からこっそりとキッチンへ入る。と、それまで騒がしかった小学生達が一斉に静かになった。こぞって集まってくる視線に気付き、振り返ってみる。

「お邪魔してまーす」
「こんにちはー」
「こんにちは。お邪魔してます」

 佳奈の友達の露骨な興味が、愛華へと向けられていた。「こんにちは」とぎこちなく会釈して返すと、次の瞬間には子供達がわっと騒ぎ始めた。
 冷蔵庫から取り出した麦茶を急いでグラスに注いで、愛華は逃げるように部屋へと戻る。

「今の、佳奈ちゃんのお姉ちゃん?」
「お姉ちゃん、大きくない? 何歳なの?」

 リビングでは佳奈が質問責めに合い始めている。でも、愛華にはあの人数の、あのテンションの相手をする勇気はない。学年が変わってから佳奈の苗字が変わったことで、親の再婚のことはみんな知っているはずだ。だけど、実際に目にした新しい姉の存在に、噂好きの小学生女子達は興味津々だった。

 レアキャラのような扱いに苦笑しながら廊下に出た愛華だったが、次に聞こえてきた声にビクリと反応してしまう。

「全然、似てないよね」
「そりゃそうだよ。血繋がってないんでしょ?」

 その後、佳奈が何と答えたのかは愛華には聞こえなかった。けれど、改めて言われると、こんなにも胸に突き刺さってくるものなのだと初めて気付いた。