「あ、佳奈ちゃん、おはよう」
一階の廊下をフロアシートで拭いていると、歳の離れた妹が階段を降りてくるのに気付く。まだ寝ていると思ってたから起こさないように掃除機を使わないでいたけれど、時間になればちゃんと一人で起きれるのは偉いなと感心する。愛華も自覚はあるが、片親で一人っ子という境遇だと子供は嫌でもしっかりせざるをえない。
割と柚月は娘中心で佳奈のことをよく気に掛けてあげている方だとは思うが、修司は愛華のことは完全に祖母に任せきりだった。そのおかげで、家事全般が得意になったのだが。
佳奈は聞こえるか聞こえないかという小さな声で「おはよう……」と返してくると、顔を洗いに洗面所へ向かったようだ。いつも愛華は部屋着のまま朝食を済ませた後に顔を洗うが、新しい妹は着替えて洗顔してからご飯を食べるタイプらしい。育った家庭によって細かいところで違いがあるのが面白い。
先回りしてダイニングに戻ると、愛華は冷蔵庫からヨーグルトドリンクを出してグラスに注ぎ入れ、朝食用のバターロールの入った袋をダイニングテーブルに用意する。
四人掛けのテーブルは夫婦が向かい合って座り、その横にそれぞれの娘が座るという形で、昨晩の夕食時に何となく席決めされたみたいだった。二人の時は向かい合っていた父が隣に座るのにはまだ慣れないが、これが新しい家族での自分のポジションなんだと、あっさり受け入れることにした。
「お母さんから通学定期の更新を頼まれてるから、後で出してくれる? 始業式って8日だっけ? なら、定期も8日からのでいいよね?」
黙々と朝食を食べ始めた佳奈の向かいの席に腰を下ろすと、愛華も自分のグラスにヨーグルトドリンクを注ぎ入れる。佳奈はこくんと頷き返してから、口の中のパンをドリンクで流し込んで言う。
「学年が変わるから、在学証明書も一緒にいると思う」
「あ、そっか。じゃあそれも」
愛華のバイト先が駅前のコンビニだから、出勤ついでに寄ってくれるよう頼まれた。そもそも家族の定期の更新なんて初めての経験で、姉としての頼み事に少し浮かれていたのかもしれない。危うく年度初めだということを忘れていた。
――イマドキの小学生って、こんなにしっかりしてるんだっけ?
修司からのまた聞きにはなるが、確か佳奈の小学校入学を前に柚月と前夫は離婚したらしい。佳奈が通っている附属小は父親の母校だったのだが、娘は絶対に母校へと言ってくる割に受験に関しては妻に丸投げで、結局は何の協力もしなかったとか何とか……。とにかくまあ、佳奈の本当の父親はまだ健在だということは聞いている。
朝食を済ませた後、午前中から塾の自習室が開いているからと、佳奈は母親が作っておいてくれた弁当を持って出かけて行った。附属中へは内部進学でほぼエスカレーター式だが、一応は形だけの試験と面接も控えているからと、外部生と同じ対策をしておく生徒が多いらしい。佳奈も塾では中学受験のクラスに在籍しているのだという。公立出身の愛華には想像ができない世界だ。
そう考えると、今は一番時間に余裕のあるのが愛華だ。大学の入学式までの残り一週間は友達との約束をいろいろ入れてはいるが、それでも今まで通りに家事をこなす余裕はある。冷蔵庫の中身を確認して、夕ご飯の献立に頭を悩ませる。父だけの時とは違い、四人分にもなると少しだけプレッシャーを感じてしまう。
「ハァ……人が作ってくれたご飯を家で食べられるなんて、幸せ過ぎるわぁ」
帰宅して速攻でメイクを落とし、髪を無造作にまとめ直した柚月がしみじみと声を漏らす。先にメールで伝えていたのに、新しい母は帰宅後にすでに用意されている食卓に本気で感動していた。
修司からは少し遅くなるという連絡があったので、女三人で食卓を囲んでいるところだ。
「修司さんから、愛華ちゃんが料理が得意だとは聞いてたけど、こんなに上手だとは思ってなかったわ。こういうのって学校の家庭科で習うの? 修司さんは家事は全くできないって言ってたし」
「亡くなった祖母から少し……でも、大抵のことはネットで調べられるから」
「ああ、料理動画とかも沢山あるものねぇ。私もテレビの3分クッキングはよく見てたけど、あれって結局3分じゃ作れないのよね……」
確かに料理は嫌いじゃないが、今日の生姜焼きは特に美味しくできたかもしれない。味付けは勿論だけれど、いつもよりも柔らかく上手に焼き上がった。佳奈には生姜が強すぎたかなと心配していたが、箸の動きを見る限りは平気そうでホッとする。
気を使ってくれているのか食事中もずっと饒舌な柚月とは正反対に、佳奈はほとんど会話に参加してこない。終始、黙々とお行儀よく、食べ終わると静かに手を合わせてから「ごちそうさまでした」と呟く。そして、そのままダイニングを出て二階の自室へと行ってしまうのだ。
「ごめんなさいね、ただ人見知りしてるだけだと思うの……」
娘が出て行った後のドアへ視線を送りながら、柚月が困り顔をしている。別に平気だと首を横に振ってから、愛華は自分の食器をキッチンへと運んでいく。
急に新しい家族が出来て困惑しているのは何も佳奈だけのことじゃない。愛華だって十分に戸惑っているし、再婚を決めた当人達だって悩んでいることはあるはずだ。ただ、この中で一番幼い妹は、気持ちの整理や切り替えに大きく時間が掛かっているだけなのだ。
一階の廊下をフロアシートで拭いていると、歳の離れた妹が階段を降りてくるのに気付く。まだ寝ていると思ってたから起こさないように掃除機を使わないでいたけれど、時間になればちゃんと一人で起きれるのは偉いなと感心する。愛華も自覚はあるが、片親で一人っ子という境遇だと子供は嫌でもしっかりせざるをえない。
割と柚月は娘中心で佳奈のことをよく気に掛けてあげている方だとは思うが、修司は愛華のことは完全に祖母に任せきりだった。そのおかげで、家事全般が得意になったのだが。
佳奈は聞こえるか聞こえないかという小さな声で「おはよう……」と返してくると、顔を洗いに洗面所へ向かったようだ。いつも愛華は部屋着のまま朝食を済ませた後に顔を洗うが、新しい妹は着替えて洗顔してからご飯を食べるタイプらしい。育った家庭によって細かいところで違いがあるのが面白い。
先回りしてダイニングに戻ると、愛華は冷蔵庫からヨーグルトドリンクを出してグラスに注ぎ入れ、朝食用のバターロールの入った袋をダイニングテーブルに用意する。
四人掛けのテーブルは夫婦が向かい合って座り、その横にそれぞれの娘が座るという形で、昨晩の夕食時に何となく席決めされたみたいだった。二人の時は向かい合っていた父が隣に座るのにはまだ慣れないが、これが新しい家族での自分のポジションなんだと、あっさり受け入れることにした。
「お母さんから通学定期の更新を頼まれてるから、後で出してくれる? 始業式って8日だっけ? なら、定期も8日からのでいいよね?」
黙々と朝食を食べ始めた佳奈の向かいの席に腰を下ろすと、愛華も自分のグラスにヨーグルトドリンクを注ぎ入れる。佳奈はこくんと頷き返してから、口の中のパンをドリンクで流し込んで言う。
「学年が変わるから、在学証明書も一緒にいると思う」
「あ、そっか。じゃあそれも」
愛華のバイト先が駅前のコンビニだから、出勤ついでに寄ってくれるよう頼まれた。そもそも家族の定期の更新なんて初めての経験で、姉としての頼み事に少し浮かれていたのかもしれない。危うく年度初めだということを忘れていた。
――イマドキの小学生って、こんなにしっかりしてるんだっけ?
修司からのまた聞きにはなるが、確か佳奈の小学校入学を前に柚月と前夫は離婚したらしい。佳奈が通っている附属小は父親の母校だったのだが、娘は絶対に母校へと言ってくる割に受験に関しては妻に丸投げで、結局は何の協力もしなかったとか何とか……。とにかくまあ、佳奈の本当の父親はまだ健在だということは聞いている。
朝食を済ませた後、午前中から塾の自習室が開いているからと、佳奈は母親が作っておいてくれた弁当を持って出かけて行った。附属中へは内部進学でほぼエスカレーター式だが、一応は形だけの試験と面接も控えているからと、外部生と同じ対策をしておく生徒が多いらしい。佳奈も塾では中学受験のクラスに在籍しているのだという。公立出身の愛華には想像ができない世界だ。
そう考えると、今は一番時間に余裕のあるのが愛華だ。大学の入学式までの残り一週間は友達との約束をいろいろ入れてはいるが、それでも今まで通りに家事をこなす余裕はある。冷蔵庫の中身を確認して、夕ご飯の献立に頭を悩ませる。父だけの時とは違い、四人分にもなると少しだけプレッシャーを感じてしまう。
「ハァ……人が作ってくれたご飯を家で食べられるなんて、幸せ過ぎるわぁ」
帰宅して速攻でメイクを落とし、髪を無造作にまとめ直した柚月がしみじみと声を漏らす。先にメールで伝えていたのに、新しい母は帰宅後にすでに用意されている食卓に本気で感動していた。
修司からは少し遅くなるという連絡があったので、女三人で食卓を囲んでいるところだ。
「修司さんから、愛華ちゃんが料理が得意だとは聞いてたけど、こんなに上手だとは思ってなかったわ。こういうのって学校の家庭科で習うの? 修司さんは家事は全くできないって言ってたし」
「亡くなった祖母から少し……でも、大抵のことはネットで調べられるから」
「ああ、料理動画とかも沢山あるものねぇ。私もテレビの3分クッキングはよく見てたけど、あれって結局3分じゃ作れないのよね……」
確かに料理は嫌いじゃないが、今日の生姜焼きは特に美味しくできたかもしれない。味付けは勿論だけれど、いつもよりも柔らかく上手に焼き上がった。佳奈には生姜が強すぎたかなと心配していたが、箸の動きを見る限りは平気そうでホッとする。
気を使ってくれているのか食事中もずっと饒舌な柚月とは正反対に、佳奈はほとんど会話に参加してこない。終始、黙々とお行儀よく、食べ終わると静かに手を合わせてから「ごちそうさまでした」と呟く。そして、そのままダイニングを出て二階の自室へと行ってしまうのだ。
「ごめんなさいね、ただ人見知りしてるだけだと思うの……」
娘が出て行った後のドアへ視線を送りながら、柚月が困り顔をしている。別に平気だと首を横に振ってから、愛華は自分の食器をキッチンへと運んでいく。
急に新しい家族が出来て困惑しているのは何も佳奈だけのことじゃない。愛華だって十分に戸惑っているし、再婚を決めた当人達だって悩んでいることはあるはずだ。ただ、この中で一番幼い妹は、気持ちの整理や切り替えに大きく時間が掛かっているだけなのだ。