7月に入ると、周囲が一気にソワソワし始める。大学生になって初めての夏季休暇。これまでとは比べ物にならないほど長い休みがやってくる。淡い下心を抱きながらリゾート地でのアルバイトを申し込んだり、初めての海外旅行を計画したり、バイトをさらに掛け持ちしてこの期間に稼ぐ気満々だったりと、とにかく皆浮足立っていた。これまでは家族が中心だった夏が、自分達を中心に自由に回り出す。お金も時間も自分の意思で好きなように使えるのは今だけだ。

「休み中も相変わらずコンビニバイトだけ? 愛華も一緒に離島バイトに行こうよー」
「えーっ、暑いところはあんまりなんだけど……」

 求人情報サイトの短期アルバイトのページをスクロールしながら、少し不貞腐れた顔で真由が上目遣いしてくる。三食賄い付きの住み込みバイトは休日にリゾートをめいっぱい満喫できるという夢のようなキャッチコピー付きで特集されていて、とても魅力的だ。夏と言えば海でしょ、と真由はさっきから海沿いの案件ばかりを選んで見ていた。

 ただ残っている求人条件をよく見てみれば、良いところはすでに決まってしまっているみたいで、真由も何だかんだ言っている割には二の足を踏んでエントリーできずにいた。申し込めるのは休みが極端に少なかったり、勤務時間が早朝から昼まで&夕方から深夜までという中抜けありの一日二回労働で、その合間の数時間に遊ぶなんて無理でしょっていうものだったり、住み込みなのに食事代は福利厚生に含まれてなかったり、酷いものだと交通費の支給上限が低くて行くだけで赤字になりそうなものまであった。

 バイトしながら夏を満喫なんて、コネも無くて甘い話はそうそう転がってはいないということか。巷の噂では好条件の物は代々先輩からの紹介で引き継がれているから、求人サイトには出にくいとかなんとか。真実かどうかは分からないけれど……。

「まぁ、小学生を一人で家に置いてけないかー」
「確かにそれもある。お盆には親も帰ってくるし、夏休みは佳奈ちゃんも忙しそうだしね。受験生だから」

 外部受験生用の特別特訓には参加しないらしいが、それでも講習は夏の間に二週間近くもある。その上、まだ新婚旅行に行っていない両親が佳奈の休みに合わせて家族旅行をしようと言い出していた。さすがに愛華はバイトとクルミの世話を理由に遠慮したが、新しい娘との親睦を深めたい父が必要以上に張り切っている。

「ハァ……私も今年の夏は諦めて、バイトのシフトを多めに入れて貰おっかな」

 一人で出稼ぎに出るのはイヤだと、真由は諦めたように大きな溜め息を吐いていた。真由は親戚が経営するお総菜屋さんでアルバイトをしている。そこは別に本人が希望したのではなく、高校卒業と同時に親が「料理の勉強にもなるし知り合いの店だから安心よね」と勝手に働くことを決めてきたらしい。

 「身内の店だから、バイトっていうかお手伝いしてお駄賃貰ってる感覚。社会性とかは全く育めない」らしく、真由本人は一日でも早く他のバイトを探したがっている。何よりも「若い男子がくるような店じゃないし、出会いが全く無い!」ってのが辞めたがっている理由のトップだ。さらに常に親戚の監視があるのだから、気持ちは分からないでもない。

 結局、特別な予定も立てないままだったが、他の大学に通っている友達の何人かが既に車の運転免許を取得したと聞いて、「車中泊でいいから、ぶらり女旅でもしよう」という話にはなったので、それなりに今年の夏は充実しそうな予感がした。

「夏休みに塾の無い日、家に友達を呼んでもいい? 一緒に宿題する約束してて、猫も見たいって言ってるから――」

 7月の登校終了日――佳奈の学校は二期制だから終業式とは言わないらしい。学校から帰って来た妹が、昼食の準備をしていた愛華へ遠慮がちに聞いてくる。日頃から愛華に迷惑はかけるなと母親から口を酸っぱくして言われ続けているせいか、申し訳なさそうな顔をしていた。

「え、そんなの別に好きなだけ呼んだらいいよ」

 逆に、今まで佳奈が放課後に友達と遊んだりしないのが不思議だった。塾のある日は仕方ないにしても、無い日もずっと家にいるから学校外で会うのは禁止とかいう厳しい校則でもあるのかと思っていたくらいだ。

「普段はみんな、習い事で忙しいから。でも、夏休みなら夕方まで遊べる時間あるし」
「そっか、じゃあお菓子とジュースは多めに買っとかないとだね。私、夏休みはいないこと多いけど、大丈夫だよね?」

 愛華の言葉に、佳奈はぱあっと表情を明るくする。ここはもう佳奈の家でもあるんだから好きにすればいいのにと思ったが、妹の反応からまだまだそういう訳にはいかないのだろう。血の繋がらない家族はいつまで経っても他人だったことから抜け出せない。

 ふと、夢の中で聞いた子供の声を思い出す。

「あの子はよその子。血が繋がってないから、妹なんかじゃないんだよ」

 意地悪な兄弟が、愛華に囁いてきた言葉。全く別の家庭で育ち、今は一緒に暮らしている姉妹に血の繋がりは確かに無い。親同士の再婚という、戸籍上の姉妹。修司と柚月が離婚するというのは今は考えられないが、この先どうなるかは分からない。もしそうなることがあれば、佳奈とはあっさりと他人に戻ってしまう。それは親の都合で生まれた、とても脆い関係に思えた。