ホームセンターのペット用品売り場で買って来たキャリーは、子猫にはまだ大き過ぎたみたいだった。試しに入れてみれば、猫は落ち着かなさそうに中でウロウロと動き回っている。以前に飼っていた白猫なら、標準サイズの猫用キャリーではパンパンに詰まって身動きすら取れなかったはずだ。愛華がまだ幼い頃だったからあまり覚えてはいないが、とにかく大きな猫だったという記憶しかない。

 「みーみー」と不安気に鳴き続ける白黒猫へ、蓋の格子から覗き込みながら佳奈が優しく声を掛ける。格子の間から差し込まれた佳奈の細い指に、子猫が甘えるようにすり寄っていく。随分と人懐っこい。親と一緒に今まで人に飼われていたのは間違いないだろう。野良猫ならチビでももっと威嚇行動をするはずだ。

「怖くないからね。大丈夫だよ」

 帰って来てからずっと、佳奈はリビングに置かれた箱に張り付いている。いつもなら学校から戻ると速攻で部屋に閉じこもってしまうのに、子猫の存在は妹の行動パターンをがらりと変えてしまっていた。

 愛華が昼間に買って来ておいた猫用のトイレや玩具などをリビングの隅に見つけると、佳奈はパッと表情を明るくしていた。これまでは一度もペットを飼ったことが無かったから、初めて動物を飼えることになったのが相当嬉しいみたいだ。

 以前にいた白猫もお世話になっていた動物病院は、家から通りを三つ越えたところにある。たまに前を通る時はあったが、建物の老朽化も著しく、とっくに閉院しているかと思って事前にネットで調べたが、今もひっそりと開業しているようだった。当時でもかなり年配だと思っていた老獣医は、診察台の上に乗せられたキャリーを覗き込んでからニヤリと笑った。

「これはまた、ヤンチャになるぞ」

 蓋を開けてお爺ちゃん先生がキャリーの中に手を突っ込むと、隅っこへ逃げながらも子猫はシャーという威嚇の声を出して抵抗していた。愛華達にはそんな声を発することが無かったのに、ここでは身の危険でも感じたのだろうか。急に表したチビ猫なりの野生に、獣医の横から首を伸ばしてキャリーを覗いていた佳奈も少しビクついていた。

「生後1か月半とちょっと、ってところか。性別は――うん、メスだね。ノミもダニもいないし、野良ではないな」

 子猫の身体を片手で掴んで、耳や尻尾を引っ張ったり、お腹を指で触診してみたりと全身をくまなく診察していく。大きな手で軽々とひっくり返したりされて、子猫はされるがままだ。掴み方に何かコツがあるのか、どんなに暴れても獣医の手からは逃れられない。

「念の為に血液検査はしておくけど、健康状態は特に問題はなさそうだね。このサイズなら一回目のワクチンは今日打っておける。二回目はまた来月。去勢手術は生後半年を過ぎてからでいい」

 特に問題が無さそうなら結果は電話で問い合わせるだけでもいいから、と獣医が子猫を愛華へと手渡して、一旦は診察室を出て行く。猫用ワクチンを準備しに行っただけのようだったが、ドアが閉まり切る前には受付側から話し声が聞こえてくる。他の患畜の家族に捕まって、何か質問を受けているようだった。犬同士が吠え合う声も聞こえる。

「大丈夫だよ。注射なんて、怖くないからね」

 あまり広くはない診察室には、愛華達姉妹と子猫だけが残されていた。患畜の鳴き声が外へ漏れにくい防音仕様になっているのか、ドアが完全に閉まってしまうと周囲の音も聞こえづらくて意外と静かになる。愛華が抱っこしている子猫の頭を、佳奈が手を伸ばして撫でながら励ましている。診察中、佳奈は終始心配そうな顔で猫の様子を見守っていた。

「次に来る時までに、名前を決めてあげないとね」
「名前……」
「受付で猫の名前を書く欄があったけど、今日は空欄のままにしちゃった。もしかして、名前はもう考えてた?」

 昨日の今日だから、そこまで頭が回っていなかったと、佳奈はフルフルと首を横に振る。「名前、どうしよ……」と呟きながら、子猫の顔を覗き込んでいた。
 昨日連れて帰って来た後、濡れタオルでしっかり拭いてあげて、今日も朝から佳奈に二度拭きされていたから、公園にいた時よりは随分とキレイな毛色になった。左右対称のきれいな八割れ模様に、黒ブチの身体と真っ白な尻尾。女の子だと判明したから、相応しい可愛い名前を考えてあげたい。命名権は拾い主である佳奈にあるのだから。

 戻ってきた獣医の手でさくっとワクチンを接種された後、再びキャリーへと入れられた子猫は若干諦めたように隅で丸まってしまい、とても静かになった。チビ猫なりに、ここで抗っても無駄だと悟ったのだろうか。

 愛華が受付で支払いと、次回の予約を取っている間、佳奈は待合スペースで大事そうにキャリーを抱えながら椅子に座って待っていた。リードに繋がれた犬が前を通過していく時には、猫を守るべくギュッとキャリーを抱え直す仕草をする。

「終わったよ。帰ろっか」
「うん!」

 猫の飼育に関するパンプレットや子猫用フードのサンプルなどが入ったビニールバッグを片手に、愛華が待合スペースへと声を掛ける。慣れない動物病院の雰囲気にずっと緊張していたのか、ようやく帰れると分かると佳奈がここに来て初めての笑顔を見せた。