カリノが王城に移送されて十日後。彼女の刑を確定するための裁判が開かれるという。
その間、フィアナは王都の宝石店で起こった盗難事件の担当となり、そちらをナシオンと共に調査していた。というのも、ここの宝石店が『怪しい』というたれ込みがあったからだ。事件そのものは第一騎士団が追っている。フィアナたちはむしろ、そのたれ込みが事実かどうかを調べていたのだ。
その間、新しい聖女が誕生したという話が、国内を駆け巡った。聖女ラクリーアは地方聖堂への巡礼の途中で事故にあい亡くなったということにされている。
どこもかしこも隠し事が得意らしい。
フィアナはカリノから話を聞くことのできた担当騎士とのことで、彼女の裁判で証言できるようになった。もちろんこれはイアンの差し金だ。大聖堂側からの依頼という形になっている。
裁判官は王族貴族の中でも、中立派と呼ばれるシリウル公爵が務める。
立法権が国王にしかないファーデン国において、その権利を貴族にも持たせるべきだと主張する一派がいる。そしてもちろん、権力が貴族に集中しないように、現状のままでよいと考える一派もいる。前者は改革派と呼ばれ、それに対して後者は穏健派と呼ばれる。
明らかにそれらに属しているとわかる者が裁判官になるのはふさわしくないことから、たいていはどちらにも属さない中立派の人間が選ばれるのだが、今回は容疑者も被害者も大聖堂の人間ということもあるため、地位あるシリウル公爵が選ばれたのだ。
フィアナもシリウル公爵のことはよく知っており、信頼のおける人物だ。彼なら公正な判断をしてくれるだろう。
たいてい裁判は、貴族間の争いで開かれることが多く、今回のように容疑者、被害者が揃うような裁判が開かれるのは何年ぶりかわからない。
それだけ事件が起こらない平和な国なのではなく、事件はそれなりに起こるものの、裁判に発展しないようにもみ消されているだけだということを、フィアナは知っている。
この国の裁判の流れはいたってシンプルだ。裁判官が容疑者に質問し、容疑者が騎士団によって移送された人物に間違いないかどうかを確かめる。そのあと、どうして移送されたかを確認し、審判の対象を明確にしておく。
そのあと、騎士団の人間が容疑者の罪をつらつらと説明し、罪に対する刑を請求する。
それに対して関係者は反論、もしくは情状酌量を訴え、請求された刑をできるだけ軽くしようと努める。もちろん、その逆の考えの者もいる。
そういった内容から、裁判官が最終的に刑を決め、法廷でのやりとりは終わる。
今回の場合、騎士団の人間は間違いなく極刑を望んでくるから、それをいかにして軽くするかが焦点となる。
たいていは容疑者と被害者は敵対するような関係であることが多く、裁判はわかりやすくすすむのだが、今回はどちらも大聖堂側の人間で、カリノはラクリーアを憎んでいたわけでもない。
動機が不明というなかですすめる裁判も、裁判官としては気が気ではないだろう。
それでも相手はシリウル公爵。同情する者には温情を示すものの、嘘は鋭く見抜き、そういった者には容赦はない。
証言台に立つカリノを、年配のシリウル公爵が法壇から穏やかな視線で見つめていた。
この法廷内には、大聖堂側の関係者と裁判の行方を見守る高位貴族、そして国王と王太子の姿もあった。
もちろん、この事件を捜査した騎士団関係者の姿も見える。フィアナもよく知っている騎士団総帥と、捜査本部を取り仕切った本部長。それから第一騎士団から団長、副団長、他数名。
なによりも聖女ラクリーアは、巡礼の途中の不慮の事故で亡くなったのだ。だから事実を知る者は必要最小限にしたい。その必要最小限とされる面々だった。
「ファデル大聖堂の巫女カリノ。あなたは聖女ラクリーアを殺害しその死体を損壊した。その理由であなたはここにいます」
朗々としたシリウル公爵の声が、法廷内へと響く。
カリノはまっすぐにシリウル公爵を見つめたまま、何も言わない。
「言いたくないことは言わなくても問題ありません。ですが、事実と異なることがあるのならば、はっきりと陳述するように」
「……はい」
裁判はシリウル公爵によって進行される。
「では、カリノさん。本件について何か言いたいことは?」
法廷内はしんと静まり返り、誰もがカリノの言葉を待っているように見えた。
フィアナは、騎士団の人間でありながらもカリノについて証言するため、大聖堂側の人間と共に座っていた。だからフィアナが前を見れば、騎士団総帥たちの顔がある。その顔は「なぜお前はそこにいる」と言っているように見えた。
この場にはナシオンやタミオスの姿はない。つまり騎士団の人間でフィアナの味方になってくれるような者はいないのだ。
「……わたし」
小さな身体が凛とした声色を発する。
「聖女ラクリーア様を殺していません」
どよどよとざわめきが生まれる。
「静粛に」
カツーンと木槌の音が響き、また静まり返る。
フィアナは傍聴席に座るアルテールにチラリと視線を向けた。彼は唇をまっすぐに結んで、カリノの後ろ姿を睨みつけている。
「カリノさん。それはどういう意味ですか?」
「言葉のとおりです。わたしは聖女様を殺していません。ただ、聖女様の首を切断したことだけは認めます」
またざわざわと傍聴席がどよめいた。
「つまり、聖女ラクリーアを殺した犯人は別にいるわけですね?」
「はい」
「あなたは、その犯人を知っていますか?」
「それは……」
シリウル公爵の追求にカリノは言い淀む。アルテールの名前をここで出していいかどうかを考えているのだろう。
「裁判長」
フィアナが手を挙げれば、その場にいる者たちの視線が一斉にフィアナに向いた。
「なぜカリノさんを移送したのか、それを彼らに聞くのが先ではないでしょうか」
フィアナは堂々と騎士団総帥を見据えた。
「なるほど。では、カリノさんを移送した理由を教えてください」
シリウル公爵の顔が騎士団側に向いたことで、フィアナはほっと胸をなでおろす。
「はい」
野太い声を発したのは、第一騎士団の団長である。
「本人の自供によるものです。彼女は、聖女を殺したと自首してきました。その後の取り調べでもその主張を貫きとおしたため、移送した次第です」
彼が言っていることは間違いではないし、移送の理由としても合っている。なによりも、あの場ではカリノ以外の犯人像が浮かび上がってこなかったのだから。
だがそれが巧みに隠されたものだとしたら。
あの場でそれを暴いたとしても、もみ消されるのが目に見えているのだとしたら。
むしろ真実を明らかにする勝負は、この場しかない。
高位貴族の中には、改革派の人間もいる。そんな彼らにとって、王族の失態は喉から手が出るほどほしい話題だ。
仮にここでアルテールが聖女殺しの犯人だとしたら、改革派の人間は一気に動き、国王から立法権を取り上げるだろう。
それを考えれば、貴族の中でも改革派の人間はこちらの味方となる。
「カリノさん。あなたは、自分が聖女を殺したと、伝えたのですね?」
シリウル公爵を見上げるカリノは、「はい」と首を縦に振る。
「どうして、その場で本当のこと――聖女を殺していないと伝えなかったのですか?」
この場にいる誰もがそう思っているだろう。なぜ最初に「殺していない」と言わなかったのか。
もちろんフィアナはその理由を知っているから、カリノの行動も理解できるのだが。
「……それは……そう、言われた、から……です」
カリノの歯切れが悪い。
「そう言われた?」
シリウル公爵も目をすがめる。
「はい……そう言わないと、わたしの大事な人を傷つけると……」
傍聴席が騒がしくなった。もちろん、この言葉に動揺を見せているのは騎士団の人間だろう。
「静粛に、静粛に」
木槌を振り上げながら、シリウル公爵が声を張り上げる。ぴたりと静寂が生まれた。
「この場で嘘をつくことは許されません」
「はい」
カリノはけして嘘はつかないと、宣言した。
「それを前提に私はカリノさんに尋ねます。あなたは誰に何を言われたのですか?」
張り詰めた空気が感覚を研ぎ澄ます。この場にいる誰もがカリノの言葉を待っている。
「聖女ラクリーア様を殺したのは、アルテール王太子殿下です。殿下は、ご自分の短剣でラクリーア様を、こうやって……」
カリノは自身の腹部の前で、短剣を両手で掴むような構えを見せた。これはフィアナにも見せたあの仕草だ。
「驚いて声を出したからか、殿下に気づかれてしまいました。そして、わたしに自首しろと……そう、おっしゃって……」
フィアナがアルテールに視線を向ければ、彼は青い顔をしながらわなわなと震えている。
それに対して勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは改革派の高位貴族たちだろう。
これはフィアナも読んでいたとおりだ。
「なるほど。カリノさんの主張はわかりました。ですが、そうであれば、この事実に気づかなかった騎士団の調査不足でもあります。カリノさんを逆移送し、もう一度調査し直すべきだと考えますが?」
シリウル公爵は一人一人の顔を確認するかのように、法廷内をぐるりと見回した。
「よろしいでしょうか?」
もちろん反旗を翻すのは騎士団側の人間、第一騎士団の団長だ。
「どうぞ」
「我々としましては、逆移送の前にその証言の信憑性を確認すべきかと。この場だからといって、何を言っても許されるわけでもありません」
「そのとおりです。ですから私は、最初に嘘をつくことは許されないと、カリノさんには言いました」
「ええ。我々は、聖女様が殺害された現場を隅々まで捜査したつもりです」
その「つもり」が穴だらけだったのだ。いや、意図的に穴を開けたような捜査だったのかもしれない。団長は言葉を続ける。
「仮に、アルテール殿下が聖女様を殺したとしましょう。その凶器はどこにあるのでしょう? アルテール殿下が持って帰り隠したとでも言うのですか? いくら殿下であっても、血まみれの短剣を持ち帰れば、それなりに気づかれるかと?」
その言葉に「そうだ」とでも言わんばかりに、アルテールが大きく頷いている。味方を見つけた彼は、水を得た魚かと思わせるほどらんらんと目を輝かせていた。
「うぅむ……」
シリウル公爵も異なる主張を聞き、どうしたものかと悩んでいる。
「まずは、カリノさん側の話を聞きましょう。そのために集まってもらっているのですから」
どうやらシリウル公爵は、大聖堂側の話を聞くことを優先させたようだ。
フィアナとしては、手元に隠してある証拠の短剣をどのタイミングで出すべきか、それだけが気がかりであった。
大聖堂側が用意した人間は三人。カリノと同室であったメッサと聖騎士イアン、そしてフィアナだ。
メッサはカリノが普段どういった人物であるかを、おどおどとしながら説明した。彼女だってまだ成人していない子どもだ。このような場に立たされ、話をするというだけでも緊張するだろう。
彼女の話を聞いただけでは、カリノがラクリーアを殺す動機など微塵も感じられない。それに、カリノが大聖堂側に恨み辛みを持っているとか、そういったこともない。
ただ、日々の生活に感謝をし、聖女を敬愛し、粛々と生きていた。ただそれだけだ。
シリウル公爵もメッサを慮ってか、それ以上の追求はしなかった。それに彼女が嘘をついているとは思えなかったのだろう。ただきょどきょどとしていたものの、嘘をつくような素振りも見られなかった。
メッサの話を聞き終えたシリウル公爵は、眉間に深くしわを刻む。
カリノはラクリーアを慕っていた。巫女になったのも、戦争孤児として生きていかねばならないところを、ラクリーアに声をかけられたから。
「話はわかりました。ありがとうございます」
メッサは退室した。大人が多くいるこの場にいるのは、彼女にとっても負担だったにちがいない。
これからのことを考えれば、メッサはいないほうがいい。この場にいても、心の傷が深くなるだけだ。
次に、イアンが話し始めた。彼はいつものように飄々とした語り口で、そこから感情はいっさい読み取れない。
ラクリーアが亡くなった悲しみ、カリノへの同情、アルテールへの憎しみ。少なからず誰もが抱く感情を、イアンからはまったく感じられなかった。
「カリノの言うことも一理あるかと思います。アルテール王太子殿下が、聖女ラクリーア様に求婚したのは、大聖堂側の人間であれば誰でも知っている話です。ただ、変に噂が立たぬよう、けして口外しないようにと強く言ったのは認めます。ですから、そういった事実があったことは、外には漏れていないはずです。断られたアルテール王太子殿下自らが、吹聴していないかぎりは」
ざわりと周囲が色めきだつ。アルテールの顔はまた青くなった。だが、国王だけは難しい顔をしている。
アルテールがラクリーアに求婚したという話を、ここにいる者たちは知らなかったように見えた。アルテールが巧妙に隠していたのか。
求婚したのに振られたのだから、一国の王太子であれば隠しておきたいにちがいあるまい。
「とにかく、ラクリーア様は殿下の求婚をお断りしたわけです。それによって殿下がラクリーア様を恨んでいるのではありませんか?」
傍聴席にいるアルテールに発言権はない。発言するためには、この場まで下りてこなければならないのだ。
だというのに、イアンはアルテールを挑発するような言葉を投げかけている。
「傍聴席の人間に呼びかけないように。あなたは知っていることだけを話してください」
シリウル公爵が冷静な声で言い放つと、イアンは首をすくめた。
「失礼しました。私も聖女様、そして巫女らが王族によって穢された事実に、少し腹立たしく思っているようです」
ギリギリと唇を噛みしめるアルテールは、イアンを黙って睨みつけていた。
「その後も何度かアルテール殿下はラクリーア様に会いに来られましたが、ラクリーア様がそれを拒みました。そのたびに、アルテール殿下は近場にいた者に八つ当たりするものですから、ラクリーア様もほとほと困っておられまして……。しかし、そういったことも続けばラクリーア様もアルテール殿下と話し合いをしなければならないと思ったようです。ラクリーア様のほうから王城へと向かうようになりました。殿下がこちらに来られて、年若い巫女や聖騎士見習いに手を出すのを避けたかった。それが理由です」
この場合の手を出すとは、どういった意味があるのかと、フィアナは思ったのだが、深く考えるのをやめた。これは追求したらぼろぼろと出てくる案件ではないだろうか。
「ラクリーア様は自らを犠牲とし、殿下のお気持ちをすべて一人で受け止めていたのです。他の者が害されないようにと。我々はそれを知っておきながらラクリーア様を王城までおつれしておりました」
ラクリーアが王城へ向かうときには、五人も聖騎士が護衛としてついていたとも聞いている。
だが、大聖堂と王城。その行き来に聖騎士が五人というのも、いささか大げさな気もしたのだ。
「アルテール殿下はラクリーア様に手をあげることもございました」
その一言で、会場にいる者たちが息を呑むのが伝わってきた。
「ラクリーア様は必死にそれを隠しておられましたが、我々から見れば、ぎこちない動作などですぐにわかります。ラクリーア様の身の回りの世話をしている者からも、王城を訪れたあとには、身体に新しい痣があったと聞いております」
身を固くしながら話を聞いているのは、もちろんアルテールだ。いたずらをした子どもでもあるまいし、隠すならもっとうまく隠せばいいものを。
「ですから我々は、アルテール殿下がラクリーア様を殺害するには十分な動機があったと思っています。しかし、その犯人に巫女であるカリノの名があがり困惑しておりました。ただ、今までの話を聞いて納得できた点もあります。カリノは脅されていたのですね。そして大聖堂を守るために、一人でそれに耐えていた。本来であれば、我々のような大人が手を差し伸べてやるべきだったのに……」
まるで同情を誘うかのようなその言い方に、その場にいた者も固唾を飲んで見守っている。
「……あなたの話はわかりました。ありがとうございます」
シリウル公爵も、これ以上イアンに話をさせてはならないと思ったのだろう。このままではカリノに同情が集まりアルテールには批難が集まる。公正な判断ができる状況と言い難いかもしれない。
「アルテール殿下。弁解しますか?」
その言葉でアルテールに視線が集まった。ここにいる誰もが、アルテールの言葉を待っているのだ。
「ええ。是非ともお願いします」
青ざめたり身を固くしたりしていたアルテールだが、なぜか今は自信に溢れていた。
隣に座る国王と目配せしている様子からも、アルテールは身の潔白によほど自信があるにちがいあるまい。
洗練された身のこなしで証言台へと下り立ったアルテールは、ゆっくりと周囲を見回したものの、その視線を一点で止めた。その先にはカリノがいる。
フィアナは彼女を安心させるように台の下で手を伸ばし、見えない場所で手をつないだ。
「何か誤解されているようですね。私のほうから、説明させていただきます」
堂々たる振る舞いは、慣れたものだ。
「まず、私が聖女ラクリーアに求婚したというのは事実です。ですが、残念ながら振られてしまいましたが」
両手を広げて肩をすくめ、おどけた様子を見せつける。
「ですが、私は常々考えておりました。王族と聖女――いや、大聖堂とはもう少し近づくべきではないかと。同じくファデル神を信仰する人間です。もっと互いに手を取り合い一つになっていくべきではないかと考えたわけです」
それらしい言葉で、内部の空気が一気にかわった。
「私の求婚を受け入れてもらえないのであれば、せめて仲良くしてほしいと、そうお願いしました。仲良くと言っても、言葉だけで示すのはなかなか難しいところです。ですから、私の二十二歳の誕生日パーティーに私のパートナーとして出席してほしいと、そう頼んだのです。今まで彼女は、そういった社交界に姿を見せたことはありません」
傍聴席でアルテールの語りに耳を傾けている貴族たちは、うんうんと大きく頷いている。
「彼女が王城を訪れていたのは、ダンスの練習をするためですよ。社交の場に出たことのない彼女ですから、少しでも事前に慣れていたほうがいいだろうと、そう思ったからです。彼女が王城を訪れるたびに、身体に痣ができたというのは、それもダンスレッスンのせいですね。ダンスも初めてだという彼女は、よくバランスを崩して倒れていましたから」
フィアナは今の話の信憑性を確認するために、イアンに顔を向けた。だが、彼は首を横に振る。
つまり、どちらの言い分も証明できないということだ。ラクリーアの身体の痣が、アルテールが殴ってつけたものか、ダンスレッスンのときに身体をぶつけたからできたものか、今となっては証明する手段がない。
なによりもラクリーア本人がここにはいない。
「わかりました」
シリウル公爵がゆっくりと頷いている様子から、彼がアルテールの言葉を信じているようにも見えた。
「では、アルテール殿下は、聖女ラクリーアが亡くなった日に、現場には足を運んだのでしょうか?」
それはカリノの証言の真偽を確認するためだろう。その場にアルテールがいたと、彼女は口にした。
「まさか。彼女が亡くなったのは夜中だと聞いています。そのような時間帯に、私が部屋を抜け出して彼女の側へ行くとでも? まして川の近くとか、そんな変な場所に?」
フィアナはひくりとこめかみを動かした。
ラクリーアの殺害現場は、場所が場所なだけに公にはしていない。
というのも、川の水は民にとって生活に必要不可欠なもの。そのような場で事件が起これば、水が穢されたと騒ぐ者もいると考え、情報が漏れるのを防ぐためにも、殺害現場は資料にすら残していない。ただ捜査会議で情報共有されただけ。
だからこの裁判の冒頭でも、シリウル公爵は殺害現場については口にはしなかった。資料に記載されていないからだ。
それなのにアルテールがその場を知っているというのは、やはりその場にいたと考えるのが妥当だろう。
「では、カリノさんが嘘をついていると、殿下はおっしゃるわけですね?」
「もしくは他の男性を私と見間違えたか。夜ですよね? 暗闇の中、男性というだけで私であると思い込んだのかもしれません。ですが、間違いは誰でも起こることです。見間違いによって私を犯人だと攻めたことを、咎める気はありません」
犯人アルテール節が一気にひっくり返った。
今の話にはいくつか矛盾があるというのに、それすら事実だと思わせてしまうような巧みな話し方。これが王太子の魅力なのだろう。
そもそもここにいる者のほとんどが、アルテールに味方するような者たちばかりだ。
フィアナは視線だけを動かして、傍聴席を見る。悔しそうにしているのは、改革派の貴族たち。
「アルテール殿下。他にも何か言いたいことは?」
「いいえ。私からは以上です。私は彼女を殴ったり、まして殺害したりなんかはしておりませんから」
なんとも気まずい空気が流れる中、アルテールは傍聴席へと戻った。
満足そうに微笑んでいるのは国王だ。
「では、最後の証言をお願いします」
フィアナの番がやってきた。カリノとつないでいた手をはなし、すっと立ち上がる。
静かに証言台の前に立つ。
「王国騎士団情報部所属、フィアナ・フラシスです。私はカリノさんの取り調べを担当しました。彼女はまだ幼く、更生の余地があります。そのため、この場に立つ決意をいたしました」
騎士団の人間でありながらも、大聖堂側の人間として立つ理由。それを、捜査をとおして決めたと一言添えるだけで、周囲への印象は異なるだろう。あくまでも自分は騎士団の人間だという印象を残すためだ。
「カリノさんは最初から一貫して、聖女様を殺したと主張しておりました」
第一騎士団の団長なんかは、満足そうに頷いている。
「ですが、彼女から話を聞くうちに疑問に感じる点がいくつか出てきたのです。そもそも、彼女のような幼い子が、成人女性の首を切断することなど可能でしょうか? いつも薪割りに使っている斧で切断したとのことですが、大聖堂での薪割りは聖騎士見習いの仕事になっています。巫女の仕事ではありません」
傍聴席がざわりとし始める。団長は眉根を寄せて、フィアナを睨みつけるかのような視線を投げつけてきた。
「それから、聖女様の身体は無残にも切り刻まれておりました。特に、損傷が酷かったのは内臓部分です」
淡々と話すフィアナの言葉に、顔をしかめる者すらいる。
「その理由をカリノさんに問いただしても、彼女は殺したかったから、そうしたかったからと、まるで真の理由を隠すような、そういったことしか言いませんでした」
「それで、あなたはどうされたのですか?」
シリウル公爵は、興味深そうに話を聞き出そうとしている。
「彼女が口を閉ざす以上は、話を聞き出すことはできません。ですから、他の人たちから話を聞くことにしました」
他の巫女たちから話を聞くのは第一騎士団の彼らの代わりであったが、イアンやアルテールから話を聞いたのは、フィアナの意志だ。
「カリノさんからこれ以上の情報を得られないと思ったため、私は聖騎士イアンさんとアルテール王太子殿下から話を聞くことにしました」
「どうしてその二人を選んだのですか?」
「聖騎士イアンさんは、所属は違えど同じ騎士です。それに以前、仕事で顔を合わせたこともありましたので、話を聞くには都合がよかったのです。アルテール殿下については、先ほどもお話がありましたように、聖女様との接点が見つかったからです」
シリウル公爵は、ふむぅと頷き思案する。
「さらに私は、カリノさんから話を聞くうちに、彼女は聖女様を殺害していないと、そう確信しました。だからカリノさんに、この場では真実を言葉にするようにと、助言しただけです」
カリノが聖女を殺したと言っていたのに、この場で主張を変えた理由を、フィアナは説明したつもりだ。
だが、今の発言で騎士団長のこめかみはふるえているし、アルテールもその瞳に怒りを滲ませている。少なくとも、この二人は敵に回した。
「カリノさんが聖女様を殺害したと仮定した場合、その凶器がまだわかっておりません。また、動機も不明です。彼女自身が犯人だと言ったとしても、そこの裏付けはきちんととるべきかと」
団長なんかは、今にも向こうから飛びだしてきそうな勢いだ。
「そもそも、カリノさんが一人で聖女様殺害を行うには無理があると考えました。少なくとも共犯者がいるはずです。ですが、カリノさんは何も言いませんでした。そうなれば、脅されているのではと考えるのが妥当と判断しました」
室内にいる誰もがしんと静まり返る。
「カリノさんは、聖女様を殺した凶器についてもけして口にはしませんでした。頭部を切断したのは、薪割り用の斧。だけど、それは死後に切断したのであって、直接の死因とは関係ありません」
第一騎士団では追求しなかった凶器。死因は失血死とされているが、致命傷となったのは腹部の傷か、もしくは持ち去られた左手首を、先に大きく傷つけたか。
「つまり、致命傷や凶器について、誰も知らないというわけですね?」
シリウル公爵の言葉に、フィアナは神妙な面持ちで首肯する。
「はい。残念ながらそういった証拠を見つけることができませんでした。今回の捜査は極秘で行われたものです。ですから、協力者を得ることが難しかったのも原因かもしれません」
できるだけ第一騎士団に日がないようにと、フィアナは言葉を選びながら続けた。
「なるほど。制限された中での捜査は、骨が折れましたね」
そうやって捜査にあたった者を気遣う姿を見せるのは、シリウル公爵の人柄もあるのだろう。
「……ですが、捜査は終わってしまいましたが。私がたまたま散歩をしたときに、見つけたものがあるのです」
わざとらしかったかなと思いつつも、これ以外の表現がフィアナには考えつかなかった。
法廷内が騒がしくなる。
「それを今、提出してもよろしいですか?」
「今回の事件に関するものであれば」
「では、こちらを差証拠品として裁判官に提出します」
フィアナは例の短剣の入った布袋を取り出した。それはベルトに挟んでいた。
フィアナから布袋を受け取ったシリウル公爵は、中から短剣を取り出し、目を細くして睨みつけるような視線を向けた。
「これは、短剣ですね? 土で汚れているようですが……ん? 血痕ですか? これをどこで?」
「聖女様の殺害現場の近くに埋められていました。不自然に土が掘り返された跡があったため、掘り起こしてみたところ、これが出てきたのです。この短剣、誰のものか、ご存知ではありませんか?」
シリウル公爵の白い手袋は、泥と血ですでに汚れていた。だが、それすら気にもせず、彼はじっくりと短剣を観察する。
「この赤い紋章は……」
シリウル公爵の呟きにより、誰もがアルテールへと顔を向けた。
「この血痕が誰のものか調べていただきたいところですが、聖女様のご遺体はすでに埋葬されたと聞いております」
損傷が酷いため、大聖堂側はその遺体が戻ってきてすぐに、裏手の墓地に埋葬したとのこと。
フィアナがわざとらしく顔を伏せると、シリウル公爵は「方法はないのか?」と問うかのように、その場にいる人たちの顔を見回した。
ふと、イアンが口を開く。
「大聖堂では、聖女様の遺髪を保管しておりますので、そちらから検査は可能かと思います」
その言葉にシリウル公爵は満足そうに頷く。つまり、すぐに確認しろという意味だろう。
「裁判官。私のほうからアルテール殿下に質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
証拠も出ていないのに何を言うのだと、シリウル公爵の顔は訴えていた。だが、彼はすぐに平静を装う。
「この短剣が王家のものである以上、質問は妥当であると判断します。アルテール殿下、こちらへ」
アルテールから、先ほどまでの堂々たる振る舞いは薄れつつある。さすがに短剣は言い逃れができないとでも思っているのだろう。
だが、こうやって傍聴席からこちら側へ歩いている間に、あれこれと思案しているようにも見えた。
フィアナは証言台から下がり、その場をアルテールに譲った。
「それで、私に質問とはなんでしょう?」
アルテールが顔を横に向け、刺すような視線で睨みつける。
「お時間をいただきありがとうございます。一つだけ確認したいことがありました。アルテール殿下は、どうして聖女様がお亡くなりになられた場所をご存知だったのでしょう?」
また室内は騒がしくなる。
この質問の意図には、すぐに騎士団の面々も気がついたようだ。殺害現場が公表されていないのは彼らだって知っている。
だが王家の犬の王国騎士団だ。もしかしたらアルテールの味方をするかもしれない。そうなれば、すべてが水の泡となってしまうのだが。
これはフィアナにとっての一か八かの賭けでもあった。
「……それは、冒頭に裁判官がそう言いましたから」
アルテールの言葉に顔色を変えていくのは、騎士団の彼らだ。
「さようですか。裁判官、もう一度、冒頭の言葉をちょうだいしてもよろしいでしょうか」
シリウル公爵は頷き、手元の資料を見ながら言葉を発する。
「ファデル大聖堂の巫女カリノ。あなたは聖女ラクリーアを殺害しその死体を損壊した。その理由であなたはここにいます」
「アルテール殿下。お聞きになりましたか? 裁判官は、冒頭で聖女様が殺害された場所を口にしておりません」
「そんな……いや、冒頭では事件のあらましを説明するのが常じゃないか」
「はい。ですが、今回の事件は特殊であることから、聖女様の殺害現場を公表しておりません。それは、そちらの騎士団の方々に確認してもらってもよろしいかと?」
フィアナの言葉で、アルテールは騎士団の総帥を睨みつける。
だがそのような睨みで怯むような総帥でもない。威風堂々としており、ゆっくりと口を動かす。
「そのとおりですね。今回の事件は、被害者が聖女様。そして、殺害された場所が、大聖堂近くのアロス川。この川はファーデン国の水源でもありますからね。そのような場所で事件が起こったとなれば、国民が混乱するでしょう。ですから我々は、現場については口頭での情報共有のみで、いっさい文字では残しておりません」
「アルテール殿下は、どうして聖女様が殺された場所を川だと特定されたのですか?」
総帥の言葉にたたみかけるようにして、フィアナが問う。その答えを、シリウル公爵が待っているように見えた。
「……くそっ」
アルテールが悔しそうに歯を噛みしめているものの、必死に言い訳でも考えているにちがいない。
「アルテール殿下、お答えいただけますか?」
シリウル公爵にまで促され、渋々とアルテールが口を開いた。
「……呼び出されたんだ。ラクリーアに……」
「呼び出された?」
そうだ、とアルテールは大きく頷いた。
「もう、ここまできたら誤魔化したってしかたないだろう。だったら本当のことを言って、私が犯人ではないと決めてもらったほうがいい」
これはアルテールの開き直りなのか、それとも言い逃れができるという自信の表れか。
「魔石を使った魔道具だが、あれに遠くの者と言葉のやりとりができるものがある」
ざわざわっと傍聴席の人間が騒がしくなる。
そんなものを聞いたことがない。見たことがない、と口々に小さく言葉にする。
しかしイアンだけはその存在を知っていたのか、顔色一つ変えない。
「まだ、公にはなっていないようだった。だが、ラクリーアはその魔道具を私に持たせてくれたのだよ。それを使えば、わざわざ行き来しなくても話ができると言っていた」
カリノも言っていた。魔道具は聖女の力を道具にしたもの。そして、今はそうやって遠くにいる者と自由に話ができる魔道具を考えているところだったと。
だが、それがどんな形でどういったものなのかなど、まったく想像ができない。
「……あの日は、そろそろ休もうかと思ったときに、その魔道具が鳴った。ラクリーアからの知らせだと思って、魔道具を使って声をかけると、やはりラクリーアからだった」
――アルテール殿下。お話があります。大聖堂近くのアロス川に来ていただけませんか?
「このような深夜に、いったい何事かと思った。だが、私がラクリーアに懸想していたのは事実。今思い返せば、その気持ちを逆手にとられたのかもしれない」
ラクリーアから連絡を受けたアルテールは上着を羽織り、侍従の目を盗んで部屋を抜け出した。
彼女が指示した場所は、アルテールも知っている場所だった。
「だが、私がその場所に着いたときには、すでにラクリーアは血を流して死んでいた」
ひゅぅっと、誰もが息を呑む。
「このままでは私が犯人にされると思い、すぐさまその場から逃げ出した」
「そのときにこの短剣を落としたのですか? ですが、この短剣にある血痕は……おそらく聖女様のものかと?」
シリウル公爵の言葉に、アルテールは「違う」と声を荒らげる。
「私がラクリーアの姿を見たとき、彼女にその短剣は刺さっていなかった。だが、その短剣は間違いなく私のものだ……実は、数日前から、短剣をなくしていた……」
叩けば埃がぽろぽろと出てくるものだ。
「なくした理由をお聞きしてもよろしいですか?」
フィアナが尋ねれば、アルテールが睨みつけてくる。
「そもそも、騎士団の人間であるおまえが、なぜ大聖堂の味方をしている」
「それは、最初に申し上げたはずです。カリノさんのためです」
「ちっ……まあ、いい。どうせ俺は殺していないからな」
アルテールの言葉遣いがくずれてきた。それだけ余裕を失いつつあるようだ。
「短剣は、少し前に使った。そのとき、置き忘れたか落としたか、何かしたのだろう」
「短剣を使うような事件が起こったのですか? そういった情報は入ってきておりませんが……」
アルテールが暴漢などに襲われたという話は聞いていない。
「理由は……今は関係ない。とにかく、俺は短剣をなくした。その短剣を拾った誰かが、それを使ってラクリーアを殺したのだろう」
「なかなか苦しい言い訳ですね」
今まで黙っていたイアンの言葉は、他の者の視線を集めた。
「なんだと……?」
「あなた様がラクリーア様を何がなんでも手に入れたいと思っていたのは、我々も重々承知しております。だからこそ、ラクリーア様をあなた様のような人に近づけてはならないと」
「ずいぶんな言い草だな。俺が、お前たちが大聖堂で巫女らに何をしているか知らないとでも思っているのか?」
これではまるっきり王族対聖職者の構図である。
「ラクリーア。あいつは純潔じゃなかった。すでに奪われたあとだったよ。聖女なのに、おかしいよな?」
アルテールは勝ち誇ったかのように、ニタリと笑った。
**~*~*~**
「お兄ちゃん……?」
「カリノ……」
「ラクリーアさまは……?」
「うん……」
「どうして……?」
血を流し倒れているラクリーアは、すでに命の灯火を消したあとだった。
「僕もやることをやったら、ラクリーアの側にいくよ……」
「お兄ちゃん?」
「だけど、すぐにアルテール殿下がここにやってくる。ラクリーアを殺したのは彼だ……」
「どういう、こと?」
目の前の現実を受け止め切れていないというのに、キアロの言うことはさっぱりとわからなかった。
「大丈夫だ、カリノ。僕の言うとおりにすればいい……」
とにかくアルテールがやってくるまで、隠れて身を潜める。必要なのは、アルテールがこの現場に足を運んだという事実。
心臓はドクドクと大きく波打ち、呼吸もままならない。少しでも気を抜けば、目からは大粒の涙が溢れそうになる。
「カリノ。落ち着いて話を聞いてくれ」
コクコクと頷いてはみるが、呼吸が少しずつ短くなっていく。
「カリノ。ゆっくりと呼吸をして。大丈夫だから。カリノは何も悪くない……悪いのは、枢機卿たちと……アルテール殿下だ……」
呼吸が落ち着くまで、キアロはやさしく背をなでてくれた。
「僕たちは、騙されたんだ……もちろん、ラクリーアも……」
ふぅ、ふぅ、とゆっくり息を吐きながら、カリノは黙ってキアロの話を聞いていた。
「大聖堂は……巫女を聖女にするために、魔石を取り込ませていた……。おそらくカリノも、これからそうなるだろうと、ラクリーアは言っていた……」
「魔石……聖女……?」
「魔石に馴染んだ者が聖女になる。ただそうなった場合、今後は定期的に魔石を取り込む必要がある。それをやめると、我慢できないほどの激痛に襲われるらしい……」
「ラクリーアさま、も?」
そうだ、とキアロが首を縦に振った。
「だが、魔石は枢機卿や教皇が管理している。ラクリーアは彼らの許可がなければ魔石をもらえない。魔石をもらうために彼女は……いや……」
それ以上の言葉をキアロは続けなかった。
「僕は、ラクリーアと約束したんだ。大聖堂の、彼らの本性を暴くと……。この国は、腐っている……」
そう言い終えたとき、人の気配を感じた。
「しっ……」
キアロに制され、カリノは自分の口と鼻を両手でゆるりと塞いだ。
キアロの言うとおり、やってきた人物はアルテールだった。だが、倒れているラクリーアを見つけると、「ひっ」と小さな悲鳴をあげて、すぐさま逃げ帰った。
「いいかい? カリノ。枢機卿らに言われても、絶対に魔石に触れてはならないよ? 彼らから出された特別なお菓子も食べてはいけない。魔石に気に入られた巫女は聖女になる。もしくは聖女とまではいかなくても上巫女だ。だけど、それには代償が伴う。僕は、カリノには普通の幸せを手に入れてもらいたい。いや、それはラクリーアの願いでもある……」
血を流すラクリーアの側にいてキアロの話を聞いているうちに、カリノの心も次第に麻痺していった。
キアロはラクリーアの身体を、切り刻んだ。そして内臓からとあるものを取り出した。それから左手を切断し大事に抱える。
「カリノ、ごめん。僕は行くよ……」
「どこ、に?」
「ラクリーアのところに……」
「お兄ちゃん?」
「カリノ。どうか君だけは幸せになって……」
その場を去りゆくキアロの背を、カリノは追うことはできなかった。
ただ、この場にキアロがいた事実を消し去りたかった。
その間、フィアナは王都の宝石店で起こった盗難事件の担当となり、そちらをナシオンと共に調査していた。というのも、ここの宝石店が『怪しい』というたれ込みがあったからだ。事件そのものは第一騎士団が追っている。フィアナたちはむしろ、そのたれ込みが事実かどうかを調べていたのだ。
その間、新しい聖女が誕生したという話が、国内を駆け巡った。聖女ラクリーアは地方聖堂への巡礼の途中で事故にあい亡くなったということにされている。
どこもかしこも隠し事が得意らしい。
フィアナはカリノから話を聞くことのできた担当騎士とのことで、彼女の裁判で証言できるようになった。もちろんこれはイアンの差し金だ。大聖堂側からの依頼という形になっている。
裁判官は王族貴族の中でも、中立派と呼ばれるシリウル公爵が務める。
立法権が国王にしかないファーデン国において、その権利を貴族にも持たせるべきだと主張する一派がいる。そしてもちろん、権力が貴族に集中しないように、現状のままでよいと考える一派もいる。前者は改革派と呼ばれ、それに対して後者は穏健派と呼ばれる。
明らかにそれらに属しているとわかる者が裁判官になるのはふさわしくないことから、たいていはどちらにも属さない中立派の人間が選ばれるのだが、今回は容疑者も被害者も大聖堂の人間ということもあるため、地位あるシリウル公爵が選ばれたのだ。
フィアナもシリウル公爵のことはよく知っており、信頼のおける人物だ。彼なら公正な判断をしてくれるだろう。
たいてい裁判は、貴族間の争いで開かれることが多く、今回のように容疑者、被害者が揃うような裁判が開かれるのは何年ぶりかわからない。
それだけ事件が起こらない平和な国なのではなく、事件はそれなりに起こるものの、裁判に発展しないようにもみ消されているだけだということを、フィアナは知っている。
この国の裁判の流れはいたってシンプルだ。裁判官が容疑者に質問し、容疑者が騎士団によって移送された人物に間違いないかどうかを確かめる。そのあと、どうして移送されたかを確認し、審判の対象を明確にしておく。
そのあと、騎士団の人間が容疑者の罪をつらつらと説明し、罪に対する刑を請求する。
それに対して関係者は反論、もしくは情状酌量を訴え、請求された刑をできるだけ軽くしようと努める。もちろん、その逆の考えの者もいる。
そういった内容から、裁判官が最終的に刑を決め、法廷でのやりとりは終わる。
今回の場合、騎士団の人間は間違いなく極刑を望んでくるから、それをいかにして軽くするかが焦点となる。
たいていは容疑者と被害者は敵対するような関係であることが多く、裁判はわかりやすくすすむのだが、今回はどちらも大聖堂側の人間で、カリノはラクリーアを憎んでいたわけでもない。
動機が不明というなかですすめる裁判も、裁判官としては気が気ではないだろう。
それでも相手はシリウル公爵。同情する者には温情を示すものの、嘘は鋭く見抜き、そういった者には容赦はない。
証言台に立つカリノを、年配のシリウル公爵が法壇から穏やかな視線で見つめていた。
この法廷内には、大聖堂側の関係者と裁判の行方を見守る高位貴族、そして国王と王太子の姿もあった。
もちろん、この事件を捜査した騎士団関係者の姿も見える。フィアナもよく知っている騎士団総帥と、捜査本部を取り仕切った本部長。それから第一騎士団から団長、副団長、他数名。
なによりも聖女ラクリーアは、巡礼の途中の不慮の事故で亡くなったのだ。だから事実を知る者は必要最小限にしたい。その必要最小限とされる面々だった。
「ファデル大聖堂の巫女カリノ。あなたは聖女ラクリーアを殺害しその死体を損壊した。その理由であなたはここにいます」
朗々としたシリウル公爵の声が、法廷内へと響く。
カリノはまっすぐにシリウル公爵を見つめたまま、何も言わない。
「言いたくないことは言わなくても問題ありません。ですが、事実と異なることがあるのならば、はっきりと陳述するように」
「……はい」
裁判はシリウル公爵によって進行される。
「では、カリノさん。本件について何か言いたいことは?」
法廷内はしんと静まり返り、誰もがカリノの言葉を待っているように見えた。
フィアナは、騎士団の人間でありながらもカリノについて証言するため、大聖堂側の人間と共に座っていた。だからフィアナが前を見れば、騎士団総帥たちの顔がある。その顔は「なぜお前はそこにいる」と言っているように見えた。
この場にはナシオンやタミオスの姿はない。つまり騎士団の人間でフィアナの味方になってくれるような者はいないのだ。
「……わたし」
小さな身体が凛とした声色を発する。
「聖女ラクリーア様を殺していません」
どよどよとざわめきが生まれる。
「静粛に」
カツーンと木槌の音が響き、また静まり返る。
フィアナは傍聴席に座るアルテールにチラリと視線を向けた。彼は唇をまっすぐに結んで、カリノの後ろ姿を睨みつけている。
「カリノさん。それはどういう意味ですか?」
「言葉のとおりです。わたしは聖女様を殺していません。ただ、聖女様の首を切断したことだけは認めます」
またざわざわと傍聴席がどよめいた。
「つまり、聖女ラクリーアを殺した犯人は別にいるわけですね?」
「はい」
「あなたは、その犯人を知っていますか?」
「それは……」
シリウル公爵の追求にカリノは言い淀む。アルテールの名前をここで出していいかどうかを考えているのだろう。
「裁判長」
フィアナが手を挙げれば、その場にいる者たちの視線が一斉にフィアナに向いた。
「なぜカリノさんを移送したのか、それを彼らに聞くのが先ではないでしょうか」
フィアナは堂々と騎士団総帥を見据えた。
「なるほど。では、カリノさんを移送した理由を教えてください」
シリウル公爵の顔が騎士団側に向いたことで、フィアナはほっと胸をなでおろす。
「はい」
野太い声を発したのは、第一騎士団の団長である。
「本人の自供によるものです。彼女は、聖女を殺したと自首してきました。その後の取り調べでもその主張を貫きとおしたため、移送した次第です」
彼が言っていることは間違いではないし、移送の理由としても合っている。なによりも、あの場ではカリノ以外の犯人像が浮かび上がってこなかったのだから。
だがそれが巧みに隠されたものだとしたら。
あの場でそれを暴いたとしても、もみ消されるのが目に見えているのだとしたら。
むしろ真実を明らかにする勝負は、この場しかない。
高位貴族の中には、改革派の人間もいる。そんな彼らにとって、王族の失態は喉から手が出るほどほしい話題だ。
仮にここでアルテールが聖女殺しの犯人だとしたら、改革派の人間は一気に動き、国王から立法権を取り上げるだろう。
それを考えれば、貴族の中でも改革派の人間はこちらの味方となる。
「カリノさん。あなたは、自分が聖女を殺したと、伝えたのですね?」
シリウル公爵を見上げるカリノは、「はい」と首を縦に振る。
「どうして、その場で本当のこと――聖女を殺していないと伝えなかったのですか?」
この場にいる誰もがそう思っているだろう。なぜ最初に「殺していない」と言わなかったのか。
もちろんフィアナはその理由を知っているから、カリノの行動も理解できるのだが。
「……それは……そう、言われた、から……です」
カリノの歯切れが悪い。
「そう言われた?」
シリウル公爵も目をすがめる。
「はい……そう言わないと、わたしの大事な人を傷つけると……」
傍聴席が騒がしくなった。もちろん、この言葉に動揺を見せているのは騎士団の人間だろう。
「静粛に、静粛に」
木槌を振り上げながら、シリウル公爵が声を張り上げる。ぴたりと静寂が生まれた。
「この場で嘘をつくことは許されません」
「はい」
カリノはけして嘘はつかないと、宣言した。
「それを前提に私はカリノさんに尋ねます。あなたは誰に何を言われたのですか?」
張り詰めた空気が感覚を研ぎ澄ます。この場にいる誰もがカリノの言葉を待っている。
「聖女ラクリーア様を殺したのは、アルテール王太子殿下です。殿下は、ご自分の短剣でラクリーア様を、こうやって……」
カリノは自身の腹部の前で、短剣を両手で掴むような構えを見せた。これはフィアナにも見せたあの仕草だ。
「驚いて声を出したからか、殿下に気づかれてしまいました。そして、わたしに自首しろと……そう、おっしゃって……」
フィアナがアルテールに視線を向ければ、彼は青い顔をしながらわなわなと震えている。
それに対して勝ち誇ったような笑みを浮かべているのは改革派の高位貴族たちだろう。
これはフィアナも読んでいたとおりだ。
「なるほど。カリノさんの主張はわかりました。ですが、そうであれば、この事実に気づかなかった騎士団の調査不足でもあります。カリノさんを逆移送し、もう一度調査し直すべきだと考えますが?」
シリウル公爵は一人一人の顔を確認するかのように、法廷内をぐるりと見回した。
「よろしいでしょうか?」
もちろん反旗を翻すのは騎士団側の人間、第一騎士団の団長だ。
「どうぞ」
「我々としましては、逆移送の前にその証言の信憑性を確認すべきかと。この場だからといって、何を言っても許されるわけでもありません」
「そのとおりです。ですから私は、最初に嘘をつくことは許されないと、カリノさんには言いました」
「ええ。我々は、聖女様が殺害された現場を隅々まで捜査したつもりです」
その「つもり」が穴だらけだったのだ。いや、意図的に穴を開けたような捜査だったのかもしれない。団長は言葉を続ける。
「仮に、アルテール殿下が聖女様を殺したとしましょう。その凶器はどこにあるのでしょう? アルテール殿下が持って帰り隠したとでも言うのですか? いくら殿下であっても、血まみれの短剣を持ち帰れば、それなりに気づかれるかと?」
その言葉に「そうだ」とでも言わんばかりに、アルテールが大きく頷いている。味方を見つけた彼は、水を得た魚かと思わせるほどらんらんと目を輝かせていた。
「うぅむ……」
シリウル公爵も異なる主張を聞き、どうしたものかと悩んでいる。
「まずは、カリノさん側の話を聞きましょう。そのために集まってもらっているのですから」
どうやらシリウル公爵は、大聖堂側の話を聞くことを優先させたようだ。
フィアナとしては、手元に隠してある証拠の短剣をどのタイミングで出すべきか、それだけが気がかりであった。
大聖堂側が用意した人間は三人。カリノと同室であったメッサと聖騎士イアン、そしてフィアナだ。
メッサはカリノが普段どういった人物であるかを、おどおどとしながら説明した。彼女だってまだ成人していない子どもだ。このような場に立たされ、話をするというだけでも緊張するだろう。
彼女の話を聞いただけでは、カリノがラクリーアを殺す動機など微塵も感じられない。それに、カリノが大聖堂側に恨み辛みを持っているとか、そういったこともない。
ただ、日々の生活に感謝をし、聖女を敬愛し、粛々と生きていた。ただそれだけだ。
シリウル公爵もメッサを慮ってか、それ以上の追求はしなかった。それに彼女が嘘をついているとは思えなかったのだろう。ただきょどきょどとしていたものの、嘘をつくような素振りも見られなかった。
メッサの話を聞き終えたシリウル公爵は、眉間に深くしわを刻む。
カリノはラクリーアを慕っていた。巫女になったのも、戦争孤児として生きていかねばならないところを、ラクリーアに声をかけられたから。
「話はわかりました。ありがとうございます」
メッサは退室した。大人が多くいるこの場にいるのは、彼女にとっても負担だったにちがいない。
これからのことを考えれば、メッサはいないほうがいい。この場にいても、心の傷が深くなるだけだ。
次に、イアンが話し始めた。彼はいつものように飄々とした語り口で、そこから感情はいっさい読み取れない。
ラクリーアが亡くなった悲しみ、カリノへの同情、アルテールへの憎しみ。少なからず誰もが抱く感情を、イアンからはまったく感じられなかった。
「カリノの言うことも一理あるかと思います。アルテール王太子殿下が、聖女ラクリーア様に求婚したのは、大聖堂側の人間であれば誰でも知っている話です。ただ、変に噂が立たぬよう、けして口外しないようにと強く言ったのは認めます。ですから、そういった事実があったことは、外には漏れていないはずです。断られたアルテール王太子殿下自らが、吹聴していないかぎりは」
ざわりと周囲が色めきだつ。アルテールの顔はまた青くなった。だが、国王だけは難しい顔をしている。
アルテールがラクリーアに求婚したという話を、ここにいる者たちは知らなかったように見えた。アルテールが巧妙に隠していたのか。
求婚したのに振られたのだから、一国の王太子であれば隠しておきたいにちがいあるまい。
「とにかく、ラクリーア様は殿下の求婚をお断りしたわけです。それによって殿下がラクリーア様を恨んでいるのではありませんか?」
傍聴席にいるアルテールに発言権はない。発言するためには、この場まで下りてこなければならないのだ。
だというのに、イアンはアルテールを挑発するような言葉を投げかけている。
「傍聴席の人間に呼びかけないように。あなたは知っていることだけを話してください」
シリウル公爵が冷静な声で言い放つと、イアンは首をすくめた。
「失礼しました。私も聖女様、そして巫女らが王族によって穢された事実に、少し腹立たしく思っているようです」
ギリギリと唇を噛みしめるアルテールは、イアンを黙って睨みつけていた。
「その後も何度かアルテール殿下はラクリーア様に会いに来られましたが、ラクリーア様がそれを拒みました。そのたびに、アルテール殿下は近場にいた者に八つ当たりするものですから、ラクリーア様もほとほと困っておられまして……。しかし、そういったことも続けばラクリーア様もアルテール殿下と話し合いをしなければならないと思ったようです。ラクリーア様のほうから王城へと向かうようになりました。殿下がこちらに来られて、年若い巫女や聖騎士見習いに手を出すのを避けたかった。それが理由です」
この場合の手を出すとは、どういった意味があるのかと、フィアナは思ったのだが、深く考えるのをやめた。これは追求したらぼろぼろと出てくる案件ではないだろうか。
「ラクリーア様は自らを犠牲とし、殿下のお気持ちをすべて一人で受け止めていたのです。他の者が害されないようにと。我々はそれを知っておきながらラクリーア様を王城までおつれしておりました」
ラクリーアが王城へ向かうときには、五人も聖騎士が護衛としてついていたとも聞いている。
だが、大聖堂と王城。その行き来に聖騎士が五人というのも、いささか大げさな気もしたのだ。
「アルテール殿下はラクリーア様に手をあげることもございました」
その一言で、会場にいる者たちが息を呑むのが伝わってきた。
「ラクリーア様は必死にそれを隠しておられましたが、我々から見れば、ぎこちない動作などですぐにわかります。ラクリーア様の身の回りの世話をしている者からも、王城を訪れたあとには、身体に新しい痣があったと聞いております」
身を固くしながら話を聞いているのは、もちろんアルテールだ。いたずらをした子どもでもあるまいし、隠すならもっとうまく隠せばいいものを。
「ですから我々は、アルテール殿下がラクリーア様を殺害するには十分な動機があったと思っています。しかし、その犯人に巫女であるカリノの名があがり困惑しておりました。ただ、今までの話を聞いて納得できた点もあります。カリノは脅されていたのですね。そして大聖堂を守るために、一人でそれに耐えていた。本来であれば、我々のような大人が手を差し伸べてやるべきだったのに……」
まるで同情を誘うかのようなその言い方に、その場にいた者も固唾を飲んで見守っている。
「……あなたの話はわかりました。ありがとうございます」
シリウル公爵も、これ以上イアンに話をさせてはならないと思ったのだろう。このままではカリノに同情が集まりアルテールには批難が集まる。公正な判断ができる状況と言い難いかもしれない。
「アルテール殿下。弁解しますか?」
その言葉でアルテールに視線が集まった。ここにいる誰もが、アルテールの言葉を待っているのだ。
「ええ。是非ともお願いします」
青ざめたり身を固くしたりしていたアルテールだが、なぜか今は自信に溢れていた。
隣に座る国王と目配せしている様子からも、アルテールは身の潔白によほど自信があるにちがいあるまい。
洗練された身のこなしで証言台へと下り立ったアルテールは、ゆっくりと周囲を見回したものの、その視線を一点で止めた。その先にはカリノがいる。
フィアナは彼女を安心させるように台の下で手を伸ばし、見えない場所で手をつないだ。
「何か誤解されているようですね。私のほうから、説明させていただきます」
堂々たる振る舞いは、慣れたものだ。
「まず、私が聖女ラクリーアに求婚したというのは事実です。ですが、残念ながら振られてしまいましたが」
両手を広げて肩をすくめ、おどけた様子を見せつける。
「ですが、私は常々考えておりました。王族と聖女――いや、大聖堂とはもう少し近づくべきではないかと。同じくファデル神を信仰する人間です。もっと互いに手を取り合い一つになっていくべきではないかと考えたわけです」
それらしい言葉で、内部の空気が一気にかわった。
「私の求婚を受け入れてもらえないのであれば、せめて仲良くしてほしいと、そうお願いしました。仲良くと言っても、言葉だけで示すのはなかなか難しいところです。ですから、私の二十二歳の誕生日パーティーに私のパートナーとして出席してほしいと、そう頼んだのです。今まで彼女は、そういった社交界に姿を見せたことはありません」
傍聴席でアルテールの語りに耳を傾けている貴族たちは、うんうんと大きく頷いている。
「彼女が王城を訪れていたのは、ダンスの練習をするためですよ。社交の場に出たことのない彼女ですから、少しでも事前に慣れていたほうがいいだろうと、そう思ったからです。彼女が王城を訪れるたびに、身体に痣ができたというのは、それもダンスレッスンのせいですね。ダンスも初めてだという彼女は、よくバランスを崩して倒れていましたから」
フィアナは今の話の信憑性を確認するために、イアンに顔を向けた。だが、彼は首を横に振る。
つまり、どちらの言い分も証明できないということだ。ラクリーアの身体の痣が、アルテールが殴ってつけたものか、ダンスレッスンのときに身体をぶつけたからできたものか、今となっては証明する手段がない。
なによりもラクリーア本人がここにはいない。
「わかりました」
シリウル公爵がゆっくりと頷いている様子から、彼がアルテールの言葉を信じているようにも見えた。
「では、アルテール殿下は、聖女ラクリーアが亡くなった日に、現場には足を運んだのでしょうか?」
それはカリノの証言の真偽を確認するためだろう。その場にアルテールがいたと、彼女は口にした。
「まさか。彼女が亡くなったのは夜中だと聞いています。そのような時間帯に、私が部屋を抜け出して彼女の側へ行くとでも? まして川の近くとか、そんな変な場所に?」
フィアナはひくりとこめかみを動かした。
ラクリーアの殺害現場は、場所が場所なだけに公にはしていない。
というのも、川の水は民にとって生活に必要不可欠なもの。そのような場で事件が起これば、水が穢されたと騒ぐ者もいると考え、情報が漏れるのを防ぐためにも、殺害現場は資料にすら残していない。ただ捜査会議で情報共有されただけ。
だからこの裁判の冒頭でも、シリウル公爵は殺害現場については口にはしなかった。資料に記載されていないからだ。
それなのにアルテールがその場を知っているというのは、やはりその場にいたと考えるのが妥当だろう。
「では、カリノさんが嘘をついていると、殿下はおっしゃるわけですね?」
「もしくは他の男性を私と見間違えたか。夜ですよね? 暗闇の中、男性というだけで私であると思い込んだのかもしれません。ですが、間違いは誰でも起こることです。見間違いによって私を犯人だと攻めたことを、咎める気はありません」
犯人アルテール節が一気にひっくり返った。
今の話にはいくつか矛盾があるというのに、それすら事実だと思わせてしまうような巧みな話し方。これが王太子の魅力なのだろう。
そもそもここにいる者のほとんどが、アルテールに味方するような者たちばかりだ。
フィアナは視線だけを動かして、傍聴席を見る。悔しそうにしているのは、改革派の貴族たち。
「アルテール殿下。他にも何か言いたいことは?」
「いいえ。私からは以上です。私は彼女を殴ったり、まして殺害したりなんかはしておりませんから」
なんとも気まずい空気が流れる中、アルテールは傍聴席へと戻った。
満足そうに微笑んでいるのは国王だ。
「では、最後の証言をお願いします」
フィアナの番がやってきた。カリノとつないでいた手をはなし、すっと立ち上がる。
静かに証言台の前に立つ。
「王国騎士団情報部所属、フィアナ・フラシスです。私はカリノさんの取り調べを担当しました。彼女はまだ幼く、更生の余地があります。そのため、この場に立つ決意をいたしました」
騎士団の人間でありながらも、大聖堂側の人間として立つ理由。それを、捜査をとおして決めたと一言添えるだけで、周囲への印象は異なるだろう。あくまでも自分は騎士団の人間だという印象を残すためだ。
「カリノさんは最初から一貫して、聖女様を殺したと主張しておりました」
第一騎士団の団長なんかは、満足そうに頷いている。
「ですが、彼女から話を聞くうちに疑問に感じる点がいくつか出てきたのです。そもそも、彼女のような幼い子が、成人女性の首を切断することなど可能でしょうか? いつも薪割りに使っている斧で切断したとのことですが、大聖堂での薪割りは聖騎士見習いの仕事になっています。巫女の仕事ではありません」
傍聴席がざわりとし始める。団長は眉根を寄せて、フィアナを睨みつけるかのような視線を投げつけてきた。
「それから、聖女様の身体は無残にも切り刻まれておりました。特に、損傷が酷かったのは内臓部分です」
淡々と話すフィアナの言葉に、顔をしかめる者すらいる。
「その理由をカリノさんに問いただしても、彼女は殺したかったから、そうしたかったからと、まるで真の理由を隠すような、そういったことしか言いませんでした」
「それで、あなたはどうされたのですか?」
シリウル公爵は、興味深そうに話を聞き出そうとしている。
「彼女が口を閉ざす以上は、話を聞き出すことはできません。ですから、他の人たちから話を聞くことにしました」
他の巫女たちから話を聞くのは第一騎士団の彼らの代わりであったが、イアンやアルテールから話を聞いたのは、フィアナの意志だ。
「カリノさんからこれ以上の情報を得られないと思ったため、私は聖騎士イアンさんとアルテール王太子殿下から話を聞くことにしました」
「どうしてその二人を選んだのですか?」
「聖騎士イアンさんは、所属は違えど同じ騎士です。それに以前、仕事で顔を合わせたこともありましたので、話を聞くには都合がよかったのです。アルテール殿下については、先ほどもお話がありましたように、聖女様との接点が見つかったからです」
シリウル公爵は、ふむぅと頷き思案する。
「さらに私は、カリノさんから話を聞くうちに、彼女は聖女様を殺害していないと、そう確信しました。だからカリノさんに、この場では真実を言葉にするようにと、助言しただけです」
カリノが聖女を殺したと言っていたのに、この場で主張を変えた理由を、フィアナは説明したつもりだ。
だが、今の発言で騎士団長のこめかみはふるえているし、アルテールもその瞳に怒りを滲ませている。少なくとも、この二人は敵に回した。
「カリノさんが聖女様を殺害したと仮定した場合、その凶器がまだわかっておりません。また、動機も不明です。彼女自身が犯人だと言ったとしても、そこの裏付けはきちんととるべきかと」
団長なんかは、今にも向こうから飛びだしてきそうな勢いだ。
「そもそも、カリノさんが一人で聖女様殺害を行うには無理があると考えました。少なくとも共犯者がいるはずです。ですが、カリノさんは何も言いませんでした。そうなれば、脅されているのではと考えるのが妥当と判断しました」
室内にいる誰もがしんと静まり返る。
「カリノさんは、聖女様を殺した凶器についてもけして口にはしませんでした。頭部を切断したのは、薪割り用の斧。だけど、それは死後に切断したのであって、直接の死因とは関係ありません」
第一騎士団では追求しなかった凶器。死因は失血死とされているが、致命傷となったのは腹部の傷か、もしくは持ち去られた左手首を、先に大きく傷つけたか。
「つまり、致命傷や凶器について、誰も知らないというわけですね?」
シリウル公爵の言葉に、フィアナは神妙な面持ちで首肯する。
「はい。残念ながらそういった証拠を見つけることができませんでした。今回の捜査は極秘で行われたものです。ですから、協力者を得ることが難しかったのも原因かもしれません」
できるだけ第一騎士団に日がないようにと、フィアナは言葉を選びながら続けた。
「なるほど。制限された中での捜査は、骨が折れましたね」
そうやって捜査にあたった者を気遣う姿を見せるのは、シリウル公爵の人柄もあるのだろう。
「……ですが、捜査は終わってしまいましたが。私がたまたま散歩をしたときに、見つけたものがあるのです」
わざとらしかったかなと思いつつも、これ以外の表現がフィアナには考えつかなかった。
法廷内が騒がしくなる。
「それを今、提出してもよろしいですか?」
「今回の事件に関するものであれば」
「では、こちらを差証拠品として裁判官に提出します」
フィアナは例の短剣の入った布袋を取り出した。それはベルトに挟んでいた。
フィアナから布袋を受け取ったシリウル公爵は、中から短剣を取り出し、目を細くして睨みつけるような視線を向けた。
「これは、短剣ですね? 土で汚れているようですが……ん? 血痕ですか? これをどこで?」
「聖女様の殺害現場の近くに埋められていました。不自然に土が掘り返された跡があったため、掘り起こしてみたところ、これが出てきたのです。この短剣、誰のものか、ご存知ではありませんか?」
シリウル公爵の白い手袋は、泥と血ですでに汚れていた。だが、それすら気にもせず、彼はじっくりと短剣を観察する。
「この赤い紋章は……」
シリウル公爵の呟きにより、誰もがアルテールへと顔を向けた。
「この血痕が誰のものか調べていただきたいところですが、聖女様のご遺体はすでに埋葬されたと聞いております」
損傷が酷いため、大聖堂側はその遺体が戻ってきてすぐに、裏手の墓地に埋葬したとのこと。
フィアナがわざとらしく顔を伏せると、シリウル公爵は「方法はないのか?」と問うかのように、その場にいる人たちの顔を見回した。
ふと、イアンが口を開く。
「大聖堂では、聖女様の遺髪を保管しておりますので、そちらから検査は可能かと思います」
その言葉にシリウル公爵は満足そうに頷く。つまり、すぐに確認しろという意味だろう。
「裁判官。私のほうからアルテール殿下に質問があるのですが、よろしいでしょうか?」
証拠も出ていないのに何を言うのだと、シリウル公爵の顔は訴えていた。だが、彼はすぐに平静を装う。
「この短剣が王家のものである以上、質問は妥当であると判断します。アルテール殿下、こちらへ」
アルテールから、先ほどまでの堂々たる振る舞いは薄れつつある。さすがに短剣は言い逃れができないとでも思っているのだろう。
だが、こうやって傍聴席からこちら側へ歩いている間に、あれこれと思案しているようにも見えた。
フィアナは証言台から下がり、その場をアルテールに譲った。
「それで、私に質問とはなんでしょう?」
アルテールが顔を横に向け、刺すような視線で睨みつける。
「お時間をいただきありがとうございます。一つだけ確認したいことがありました。アルテール殿下は、どうして聖女様がお亡くなりになられた場所をご存知だったのでしょう?」
また室内は騒がしくなる。
この質問の意図には、すぐに騎士団の面々も気がついたようだ。殺害現場が公表されていないのは彼らだって知っている。
だが王家の犬の王国騎士団だ。もしかしたらアルテールの味方をするかもしれない。そうなれば、すべてが水の泡となってしまうのだが。
これはフィアナにとっての一か八かの賭けでもあった。
「……それは、冒頭に裁判官がそう言いましたから」
アルテールの言葉に顔色を変えていくのは、騎士団の彼らだ。
「さようですか。裁判官、もう一度、冒頭の言葉をちょうだいしてもよろしいでしょうか」
シリウル公爵は頷き、手元の資料を見ながら言葉を発する。
「ファデル大聖堂の巫女カリノ。あなたは聖女ラクリーアを殺害しその死体を損壊した。その理由であなたはここにいます」
「アルテール殿下。お聞きになりましたか? 裁判官は、冒頭で聖女様が殺害された場所を口にしておりません」
「そんな……いや、冒頭では事件のあらましを説明するのが常じゃないか」
「はい。ですが、今回の事件は特殊であることから、聖女様の殺害現場を公表しておりません。それは、そちらの騎士団の方々に確認してもらってもよろしいかと?」
フィアナの言葉で、アルテールは騎士団の総帥を睨みつける。
だがそのような睨みで怯むような総帥でもない。威風堂々としており、ゆっくりと口を動かす。
「そのとおりですね。今回の事件は、被害者が聖女様。そして、殺害された場所が、大聖堂近くのアロス川。この川はファーデン国の水源でもありますからね。そのような場所で事件が起こったとなれば、国民が混乱するでしょう。ですから我々は、現場については口頭での情報共有のみで、いっさい文字では残しておりません」
「アルテール殿下は、どうして聖女様が殺された場所を川だと特定されたのですか?」
総帥の言葉にたたみかけるようにして、フィアナが問う。その答えを、シリウル公爵が待っているように見えた。
「……くそっ」
アルテールが悔しそうに歯を噛みしめているものの、必死に言い訳でも考えているにちがいない。
「アルテール殿下、お答えいただけますか?」
シリウル公爵にまで促され、渋々とアルテールが口を開いた。
「……呼び出されたんだ。ラクリーアに……」
「呼び出された?」
そうだ、とアルテールは大きく頷いた。
「もう、ここまできたら誤魔化したってしかたないだろう。だったら本当のことを言って、私が犯人ではないと決めてもらったほうがいい」
これはアルテールの開き直りなのか、それとも言い逃れができるという自信の表れか。
「魔石を使った魔道具だが、あれに遠くの者と言葉のやりとりができるものがある」
ざわざわっと傍聴席の人間が騒がしくなる。
そんなものを聞いたことがない。見たことがない、と口々に小さく言葉にする。
しかしイアンだけはその存在を知っていたのか、顔色一つ変えない。
「まだ、公にはなっていないようだった。だが、ラクリーアはその魔道具を私に持たせてくれたのだよ。それを使えば、わざわざ行き来しなくても話ができると言っていた」
カリノも言っていた。魔道具は聖女の力を道具にしたもの。そして、今はそうやって遠くにいる者と自由に話ができる魔道具を考えているところだったと。
だが、それがどんな形でどういったものなのかなど、まったく想像ができない。
「……あの日は、そろそろ休もうかと思ったときに、その魔道具が鳴った。ラクリーアからの知らせだと思って、魔道具を使って声をかけると、やはりラクリーアからだった」
――アルテール殿下。お話があります。大聖堂近くのアロス川に来ていただけませんか?
「このような深夜に、いったい何事かと思った。だが、私がラクリーアに懸想していたのは事実。今思い返せば、その気持ちを逆手にとられたのかもしれない」
ラクリーアから連絡を受けたアルテールは上着を羽織り、侍従の目を盗んで部屋を抜け出した。
彼女が指示した場所は、アルテールも知っている場所だった。
「だが、私がその場所に着いたときには、すでにラクリーアは血を流して死んでいた」
ひゅぅっと、誰もが息を呑む。
「このままでは私が犯人にされると思い、すぐさまその場から逃げ出した」
「そのときにこの短剣を落としたのですか? ですが、この短剣にある血痕は……おそらく聖女様のものかと?」
シリウル公爵の言葉に、アルテールは「違う」と声を荒らげる。
「私がラクリーアの姿を見たとき、彼女にその短剣は刺さっていなかった。だが、その短剣は間違いなく私のものだ……実は、数日前から、短剣をなくしていた……」
叩けば埃がぽろぽろと出てくるものだ。
「なくした理由をお聞きしてもよろしいですか?」
フィアナが尋ねれば、アルテールが睨みつけてくる。
「そもそも、騎士団の人間であるおまえが、なぜ大聖堂の味方をしている」
「それは、最初に申し上げたはずです。カリノさんのためです」
「ちっ……まあ、いい。どうせ俺は殺していないからな」
アルテールの言葉遣いがくずれてきた。それだけ余裕を失いつつあるようだ。
「短剣は、少し前に使った。そのとき、置き忘れたか落としたか、何かしたのだろう」
「短剣を使うような事件が起こったのですか? そういった情報は入ってきておりませんが……」
アルテールが暴漢などに襲われたという話は聞いていない。
「理由は……今は関係ない。とにかく、俺は短剣をなくした。その短剣を拾った誰かが、それを使ってラクリーアを殺したのだろう」
「なかなか苦しい言い訳ですね」
今まで黙っていたイアンの言葉は、他の者の視線を集めた。
「なんだと……?」
「あなた様がラクリーア様を何がなんでも手に入れたいと思っていたのは、我々も重々承知しております。だからこそ、ラクリーア様をあなた様のような人に近づけてはならないと」
「ずいぶんな言い草だな。俺が、お前たちが大聖堂で巫女らに何をしているか知らないとでも思っているのか?」
これではまるっきり王族対聖職者の構図である。
「ラクリーア。あいつは純潔じゃなかった。すでに奪われたあとだったよ。聖女なのに、おかしいよな?」
アルテールは勝ち誇ったかのように、ニタリと笑った。
**~*~*~**
「お兄ちゃん……?」
「カリノ……」
「ラクリーアさまは……?」
「うん……」
「どうして……?」
血を流し倒れているラクリーアは、すでに命の灯火を消したあとだった。
「僕もやることをやったら、ラクリーアの側にいくよ……」
「お兄ちゃん?」
「だけど、すぐにアルテール殿下がここにやってくる。ラクリーアを殺したのは彼だ……」
「どういう、こと?」
目の前の現実を受け止め切れていないというのに、キアロの言うことはさっぱりとわからなかった。
「大丈夫だ、カリノ。僕の言うとおりにすればいい……」
とにかくアルテールがやってくるまで、隠れて身を潜める。必要なのは、アルテールがこの現場に足を運んだという事実。
心臓はドクドクと大きく波打ち、呼吸もままならない。少しでも気を抜けば、目からは大粒の涙が溢れそうになる。
「カリノ。落ち着いて話を聞いてくれ」
コクコクと頷いてはみるが、呼吸が少しずつ短くなっていく。
「カリノ。ゆっくりと呼吸をして。大丈夫だから。カリノは何も悪くない……悪いのは、枢機卿たちと……アルテール殿下だ……」
呼吸が落ち着くまで、キアロはやさしく背をなでてくれた。
「僕たちは、騙されたんだ……もちろん、ラクリーアも……」
ふぅ、ふぅ、とゆっくり息を吐きながら、カリノは黙ってキアロの話を聞いていた。
「大聖堂は……巫女を聖女にするために、魔石を取り込ませていた……。おそらくカリノも、これからそうなるだろうと、ラクリーアは言っていた……」
「魔石……聖女……?」
「魔石に馴染んだ者が聖女になる。ただそうなった場合、今後は定期的に魔石を取り込む必要がある。それをやめると、我慢できないほどの激痛に襲われるらしい……」
「ラクリーアさま、も?」
そうだ、とキアロが首を縦に振った。
「だが、魔石は枢機卿や教皇が管理している。ラクリーアは彼らの許可がなければ魔石をもらえない。魔石をもらうために彼女は……いや……」
それ以上の言葉をキアロは続けなかった。
「僕は、ラクリーアと約束したんだ。大聖堂の、彼らの本性を暴くと……。この国は、腐っている……」
そう言い終えたとき、人の気配を感じた。
「しっ……」
キアロに制され、カリノは自分の口と鼻を両手でゆるりと塞いだ。
キアロの言うとおり、やってきた人物はアルテールだった。だが、倒れているラクリーアを見つけると、「ひっ」と小さな悲鳴をあげて、すぐさま逃げ帰った。
「いいかい? カリノ。枢機卿らに言われても、絶対に魔石に触れてはならないよ? 彼らから出された特別なお菓子も食べてはいけない。魔石に気に入られた巫女は聖女になる。もしくは聖女とまではいかなくても上巫女だ。だけど、それには代償が伴う。僕は、カリノには普通の幸せを手に入れてもらいたい。いや、それはラクリーアの願いでもある……」
血を流すラクリーアの側にいてキアロの話を聞いているうちに、カリノの心も次第に麻痺していった。
キアロはラクリーアの身体を、切り刻んだ。そして内臓からとあるものを取り出した。それから左手を切断し大事に抱える。
「カリノ、ごめん。僕は行くよ……」
「どこ、に?」
「ラクリーアのところに……」
「お兄ちゃん?」
「カリノ。どうか君だけは幸せになって……」
その場を去りゆくキアロの背を、カリノは追うことはできなかった。
ただ、この場にキアロがいた事実を消し去りたかった。