「おはようございます」
司令室に入ったフィアナはタミオスの視線に気がついた。チラリと顔を向けると目が合う。
こいこいと、タミオスが手を振っている。朝から大声で呼ばれなかっただけマシだと思うことにした。
荷物を自席に置いたフィアナは、小さくため息をついてからタミオスの元へと向かう。
「おはようございます、部長。何かありましたか?」
「昨日は、何をして過ごしたんだ?」
タミオスが私的なことを聞いているわけではないとわかっているのだが、周囲にはそう思わせる必要がある。だけど、上司であるタミオスが、あまりにもフィアナの私的な内容に踏み込んでしまえば、上司からの嫌がらせと思われる可能性もある。
「はい。ナシオンさんとデートしておりました」
「なるほどな。で、どうだった? デートは、楽しかったか?」
「どうと言いましても……。二人で川沿いを散歩して、お弁当を食べておしまいです。あ、ナシオンさんからは素敵なプレゼントをいいただきました。どうやらナシオンさんは、宝探しが上手なようです」
フィアナがにっこりと微笑むと「なるほど」とタミオスも頷く。
「久しぶりの休暇を満喫できたようで何よりだ」
だがな、とそこでタミオスの声が低くなる。それは、周囲に聞こえないようにという彼なりの配慮の仕方だ。
「嬢ちゃんの移送が決まった。今日の午後だ」
フィアナはすぐには言葉が出てこなくて、ぱくぱくと口を開けた。大きく息を吸って、やっとの思いで小さく尋ねる。
「まだ、時間はあるはずですよね?」
「ああ、上から圧力がかかった。何よりも亡くなったのが聖女様だからな」
「つまり、大聖堂側はそろそろこの件を公表するということですか?」
昨日、イアンと話をしたときには、そういった内容を聞いていない。
「それは知らん。だが、聖女様の遺体の引き渡しを要求されたようだ。聖女様の遺体がなければ、次の聖女様も指名できないとかなんとからしい。となれば、さっさと事件としては解決させておきたいところだ。ようは、こっちとしては、何かのどんでん返しがあって、もう一度、聖女様の遺体を調べなければならない状況を懸念してるんだよ」
タミオスの言わんとしていることがなんとなくわかった。
大聖堂は聖女の遺体の返還を求めている。しかし、犯人がカリノだと断定できていない今では、遺体を返すことはできない。
だからさっさとカリノを王城へ移送させ、聖女の遺体を大聖堂に返すという手順を踏みたいのだろう。
「ですが、聖女様の遺体を返すのは、カリノさんの移送とは関係ないですよね?」
そうでなければ、犯人が確定しない間は、被害者の遺体をずっと保管しておかなければならなくなる。
「そうなんだが。今回は何よりも被害者が聖女様だからな。きっちりと犯人が決まったところで、遺体を返したいらしい。大聖堂側からあれこれ文句つけられて、再捜査となることを懸念しているんだ。そのときに聖女様の遺体は、こちら側にあったほうが自由にできるからな」
「でしたら、矛盾しませんか? カリノさんを移送したところで、彼らが再捜査を要求しないとは限らないですよね?」
「何よりも、嬢ちゃん本人が自供している。自分でやったとな。だから、再捜査にはならないと、上は睨んだようだ」
話を整理すると、大聖堂側からの反論にそなえて聖女の遺体を保管していたが、大聖堂側が遺体を返せと言ってきたため、カリノを犯人として王城に移送し、そこで遺体を返す。
矛盾しているような気もしないでもないが、これはどちらかといえば、鶏が先か卵が先かの話に近いのかもしれない。
だが、上が決めたというのであれば、今は従うしかない。
「カリノさんが移送される前に、話せますか?」
フィアナの言葉にタミオスはにたりと笑う。
「お前さんのことだから、そう言うと思っていた。移送は午後からだ」
今回の件は取り調べとは異なる。フィアナが個人的に話をしたいだけなのだ。
そしてカリノが王城へ移送となったら、フィアナは手出しができない。だから今のうちにカリノと話をしておきたかった。
「根回ししとくから、嬢ちゃんに今後のこと、説明してくれないか?」
「今後のこと、ですか?」
タミオスのやろうとしていることにピンときた。
「ああ。今日の午後、移送が決まったことはまだ嬢ちゃんの耳には届いていない。お前から、嬢ちゃんに伝えてほしい。それから、王城移送後、刑確定のための裁判が開かれることもだな。今回は事件が事件なだけに、裁判を早める予定のようだ」
「わかりました」
フィアナからみたら、願ってもない話だ。
「朝会で嬢ちゃんのことが報告される。だから俺のほうから、移送の手続きはお前にやらせるように伝える。それでいいな?」
「はい。ありがとうございます」
移送前にカリノと話ができる機会があるのは大きい。
これもタミオスのおかげなのだが、彼も騎士団では上層部に片足を突っ込んでいる人間であるのに、その考えに染められていないところは、やはり情報部という特殊な部門に属しているからかもしれない。
カリノには何をどこまで、どうやって伝えるべきか。
アルテールの短剣が見つかったことは言うべきか否か。
なにしろ、第一騎士団にも報告していない証拠品だ。これは、ここぞというときの切り札にしておきたい。
たとえそれが、証拠隠蔽だと言われようが。
タミオスが言ったように、カリノを王城へ移送させるという話は、朝会で報告された。
それが終われば、この捜査本部も解散となるだろう。カリノの移送が終わった今日の夕方には「解散」の号令がかかるはずだ。
凶器が見つからない、動機がわからない、聖女の遺体の一部が見つからない。
そうやってないないづくしであっても、犯人さえ王城へと送ってしまえば、あとは王城にいる彼らが処遇を決める。つまり、騎士団の管轄からは外れるというわけだ。
「では、容疑者移送補佐はフィアナ・フラシス、頼んだぞ」
総帥に名を呼ばれ、フィアナも「はい」と凛とした声で答える。
タミオスの根回しにより、フィアナはカリノの移送補佐として指名された。
それに不満そうなのはナシオンだった。
「今日はフィアナだけだ」
朝会が終わり、それぞれが持ち場へ戻ろうとしたとき、そんなナシオンの肩をタミオスがポンと叩いた。
「いやいや。二人一組が基本ですよね?」
「それは捜査のときな? 今日は取り調べで嬢ちゃんのところにいくわけではないからな?」
「ナシオンさんも、ずいぶんとカリノさんのことが気に入ったようですね」
とにかくナシオンはぶうぶうと文句を垂れていた。そんなに彼もカリノと話をしたかったのだろうか。
自席に戻り、今回の事件のあらましをまとめた報告書に最初から目をとおす。
カリノが聖女ラクリーアの頭部を持って東分所を訪れたのは、六日前。そのときから、聖女を殺したのは自分自身だと言っていた。
そのわりには凶器についても証言しないし、ラクリーアの身体を刻んだ理由も言わない。
殺したかったから。そうしたかったから。
そういった表向きの言葉を並び立てるだけ。
だけどそれが、アルテールをかばっての言動だったら?
そして彼女が、アルテールに脅されているとしたら?
十分に考えられる。
それにナシオンも言っていたように、大聖堂にいる巫女や聖騎士見習いは後ろ盾のない弱い人間だ。その彼らを人質のように扱われたら、幼いカリノは逆らえないだろう。
もしかして、キアロが姿を消したのはアルテールに囚われているから、とか。
できれば、その辺の話をカリノから聞いてみたい。
ナシオンもいないだろうし、見張りも外にいるだろうから、こっそりと聞けば答えてくれるだろうか。
そんなことを考えながら、いつもの取り調べ室へと足を向けた。
「こんにちは、騎士様」
「こんにちは、カリノさん」
「今日は、騎士様、おひとりなんですか? いつもの方はどうされたのですか? クビになったのですか?」
カリノはナシオンをきちんと認識していたようだ。
「はい。今日は私、一人です。彼とも話をしたかったのでしょうか?」
カリノは黙って首を横に振る。
「今日は、カリノさんのこれからについて説明をしにきました」
フィアナの言葉に、彼女は首肯する。そういった身のこなしの一つ一つを見ても、年齢の割には大人びている。
ただ、地下牢での拘束も六日目となったためか、その顔に疲労の色は濃く出ていた。強がる口ぶり、凛とした姿勢を見せても、目の下の隈や、かさついた唇は隠しきれない。
「本日の午後、カリノさんは王城の地下牢へと移送されます」
その瞬間、カリノの目は大きく開かれた。少しだけ唇を震わせたのち、すぐさま平静を装う。
「今は騎士団管轄になっていますが、王城へと移送されたあとはそちらの管轄となります。王城関係者、つまり貴族たちが中心となり、カリノさんの裁判を行います」
「わたしが聖女様を殺したと、やっと認められたわけですね?」
「それはちがいます。むしろ、裁判は真実を明らかにする場。これ以上、騎士団で調査を続けても、今以上の成果が得られないと判断されたためです」
つまり、騎士団の力不足を露呈させたようなものだ。いや、彼らのやる気のなさか。
ただ、聖女ラクリーアが被害者であっただけ、なんとか体裁を保つための調査を行ったようなものだろう。
組織としては、最初からカリノを犯人として、さっさと王城へ移送させたかったのだ。捜査本部を立てたのも、大聖堂側へ「きちんと調べていますよ」と見せつけたかったからだ。
きゅっと唇を引き締めていたカリノだが、それをゆるりと開いた。
「騎士様。わたしは斬首刑ですか? 絞首刑ですか? きっと聖女様と同じようにされるのでしょうね」
「カリノさん。裁判は刑を確定させるとともに、真実を明らかにする場所です。もしカリノさんが隠していることがあるならば、その場ではっきりと伝えてください」
「わたしが隠していることですか? 何もありませんよ?」
こてんと首を倒すカリノは、心に大きな壁を作ったように見えた。これ以上、踏み込んではならないと。
だが、フィアナだって罪のない人間を裁くようなことはしたくない。それが、組織ぐるみで行おうとしている内容であるならば、なおのこと。まして相手は、このように幼さが残る少女だ。
「カリノさんの捜し物が見つかりましたよ。それは、私が大事に預かっております」
カリノがひゅっと息を呑んだ。
「カリノさん。脅されているのではないですか? たまたまそこに居合わせ、それを目撃してしまったために、犯人にされているわけではないのですか?」
かさかさに乾いているカリノの唇は、小刻みに揺れている。
「わたし……わたし……」
少女の眦に涙が浮かぶ。
言葉を紡ぎ出そうと、心を奮い立たせている様子が伝わってきた。
「カリノさん……ここには、私しかおりません。カリノさんから本当のことを聞くために、彼もおいてきました」
はっとカリノは大きく目を見開いてから、つつっと一筋の涙をこぼす。
「わたし、聖女様を殺していません……」
かすれたような声でカリノがつぶやいた。
だけどフィアナは、ずっとその言葉を聞きたかったのだ。
「わかりました。私たちはカリノさんを信じます。すべては裁判で決着をつけましょう」
カリノがこくりと頷いた。そしてきょろきょろと周囲を見回し、声を低くする。その顔は、先ほど涙を流した少女とは思えないほど、凛々しいものだ。
「騎士様は、わたしの言うことを信じてくださるのですか?」
「それが真実であるならば、信じます」
カリノの青い目が不安そうに揺れている。
「わたし……」
「ゆっくりでいいです。あの日、何があったのか。教えていただけますか?」
フィアナの言葉にカリノは大きく頷いた。
ぽつりぽつりとカリノが話し始める。それはもちろん、フィアナも初めて耳にすることだった。
カリノは満月の夜になると自室を抜け出して、あの川辺へと足を向けていた。そこで聖女ラクリーアと聖騎士キアロと顔を合わせ、他愛もない話をして、寂しさを紛らわせていた。
「ラクリーア様と出会ったのは、たまたまなのです。それからなんとなく、満月の夜に外へ出るようになりました。特に約束をしたわけでもないのですが……」
「キアロさんも、その場にはいたのですか?」
「はい。お兄ちゃんを誘ったのはわたしです」
ここでカリノの素顔を見たような気がした。今まで「兄」と口にしていたキアロを「お兄ちゃん」と言った。できることなら、ここでキアロの情報も手に入れておきたい。
「キアロさんは、聖女様の専属騎士にという話もあったようですね?」
「……はい」
「ですが、それは叶わなかったと」
「はい。ラクリーア様が反対されたのです……」
ぼそぼそと喋っているカリノは、背中を丸めた。下を向いてテーブルの上の一点を見つめているため、どのような表情なのかをうかがうことはできない。
「聖女様が? 枢機卿たちが年齢を理由に反対されたと聞きましたが……」
「それは、表向きの理由です……騎士様は、聖騎士のイアン様とお会いしたことがありますか?」
「はい。今回の件について、協力いただいております」
それでもカリノは顔をあげず、小刻みに身体を揺らしている。
「……騎士様は、イアン様とお会いになられて、どう思いましたか?」
どう、と言われても、綺麗な男性だという印象だ。そもそも聖騎士と呼ばれる彼らは、王国騎士団に所属する騎士らと別の生き物ではないかと思えてしまうほど、線の細い男性が多い。
「そうですね。こちらの騎士団の彼らとは異なりますね。中性的といいますか、綺麗な方ですよね」
そこでカリノがはっと顔をあげる。
「そのような男性が聖騎士となるのも事実ですが、イアン様は、他の聖騎士よりも群を抜いて綺麗な方だと思いませんか?」
フィアナを真っ直ぐに見つめるカリノの瞳は、力強く燃えていた。何かを決心したかのようにも見える。
「そうですね。私から見ても、うらやましいくらいにお綺麗な方です」
「イアン様は、ラクリーア様の前の聖女様の専属でした。ですから、その……子を望めないそうです……」
言いにくいのか、恥ずかしいのか、カリノの視線は再び下を向く。
カリノが言いにくそうにしている様子が気になった。
だが、このくらいの年齢であれば、子を授かる行為を口にするのが恥ずかしいというのもわかる。
「イアン様がお綺麗なのはそれが原因であると、ラクリーア様がおっしゃっておりました。そして、それをお兄ちゃんには望まないと」
カリノの話を、フィアナを手早く頭の中で整理する。
男性でありながら中性的な魅力を持つイアンは、以前は聖女の専属護衛を担当していた。そして彼は子を望めない。
つまり、聖女との間に間違いがあってはならないように、処置をされているということだろうか。どこかの国の後宮にいる男性のように。
「……わかりました」
しかしフィアナはその考えの答え合わせをするつもりはなかった。
ただ、そういった処置が必要となるのであれば、ラクリーアもキアロも専属護衛について考えることがあったのだろう。
「聖女ラクリーア様の専属護衛には、ほかの聖騎士の方が選ばれたと聞いております」
「そうですね。聖女様の専属護衛。それは、聖騎士にとっては名誉なことですから。そのようなことであっても、なりたいと思う人はいるようです」
イアンの大聖堂での立ち位置を見れば、その地位にあこがれを持ってもおかしくはないだろう。
「念のための確認ですが。聖女様には、四六時中、護衛が付き添っているわけではないのですよね?」
そうであれば、ラクリーアがあのような場で殺されるわけはないだろう。
「はい。基本的に護衛につくのは、人前に出るようなときと聞いております。いくら護衛といえども、ラクリーア様だってずっと誰かと一緒にいたら、息がつまってしまいますから」
となれば、やはりラクリーアが一人になる時間はあったということだ。だからといって、専属護衛を攻めるのはお門違いというものなのだが。
その彼が今、どのように過ごしているのかは確認していない。そこはフィアナの管轄外だ。
大聖堂の巫女から話を聞くこと。カリノから話を聞くこと。その裏付けをとるために、イアンから話を聞いたこと。そこから、ラクリーアの護衛の話には発展しなかったのだ。
きっと専属護衛本人から、第一騎士団の騎士が話を聞いているものと思いたい。
「カリノさん。あの日、何を見たのか、教えてもらえますか?」
フィアナの言葉でぱっと顔をあげたカリノだが、かすかに唇を震わせてから、また下を向く。
「あの日は、満月ではありませんでしたよね?」
むしろ新月だ。月明かりのない暗闇の中、どうやって聖女ラクリーアを殺して切り刻んだのか。そこに、王太子アルテールが絡んでいるというのであれば、今のうちに確認しておきたい。
「たまたまです。眠れなくて、それで外に出ました」
「いつもと違って周囲もよく見えなかったのではないですか? 明かりは手にしなかったのですか?」
「はい。明かりを持つと、ほかの人に知られてしまいますから。こっそりと抜け出すときは、いつも明かりを準備しません。それに、新月だといっても星の明かりはありますし、少し過ぎれば目も慣れますから」
カリノの年齢であれば、暗闇への順応も早いのだろう。
「なんとなくですが。騎士様も、胸騒ぎするといいますか。そういうときってありませんか?」
フィアナにも心当たりはある。第六感というのか、何かが働いて嫌な予感がするとき。それのおかげでフィアナが気づき、命拾いした者もいるくらいだ。
「その日はそんな感じがしたのです。眠れないというのもありましたが。それに、いつものように慣れた道というのもあったので、暗闇はさほど気になりませんでした」
フィアナも川沿いを歩いてみたが、慣れない者にとっては非常に歩きにくい場所だった。まして暗闇でとなれば、転んでもおかしくはない。
カリノにとっては定期的に訪れていた場所だから、勝手がわかっているのだろう。
「ですがあの日は、いつもと違いました。誰もいないだろうと思っていたあの場所で、男女の言い争いが聞こえました」
「その声は、大きな声でしたか?」
「いえ。本当に近づかないと聞こえないような、ボソボソとした声で、何をしゃべっているのかはわかりませんでした。ただ、遠くからでも二人の人間が向かい合っているのだけはわかって……だけど、そのうち……」
カリノはその瞬間を遠くから見ていたのかもしれない。
「だから、わたしも慌ててそこへ行くと、女の人が倒れていて、それがラクリーア様でした……」
「そこに、アルテール王太子殿下の姿もあったのですね?」
カリノが小さく頷くと、無造作に結ばれている髪も小刻みに揺れる。
ただフィアナもなんとなく今の話にひっかかりを覚えたものの、それがなんなのかはわからなかった。
「アルテール王太子殿下が、短刀でラクリーア様を、こうやって……」
カリノはお腹のまで両手で短刀を構える姿勢をとった。
「あのお方が聖女様のどこを刺したのか、わかりますか?」
これ以上、フィアナの口からアルテールの名を出すのはまずいだろう。言い方を濁す。
カリノは、首を横に振った。
「驚いて声をあげたら、アルテール王太子殿下に気づかれてしまって」
そこからはフィアナが予想していたとおりの内容が、カリノの口から飛び出してきた。
たまたまその場にいたことで、アルテールに脅され、犯人として自首しろと言われたこと。
致命傷を誤魔化しアルテールの痕跡を消すために、ラクリーアの死体を切り刻んだこと。
ただ、そうやって指示を出したアルテールはある程度見届けたものの、慌てて逃げ出していったため、短剣を落としたことにすら気づかなかったようだ。だからそれをカリノが人の目から隠すように土の中に埋めたとのこと。
これは何かあったときに、逆にカリノがアルテールを脅すための切り札としてとっておいたのだろう。
「なるほど。その切り札がこうやって役に立つときがきましたね」
「はい。騎士様ならそれを見つけてくださるだろうと思いましたし、それを隠すこともせずに、わたしが望むようにしてくれるのではないかと、そんな期待を込めました」
「もし、私がアレをもみ消したら、どうされるおつもりですか?」
「そのときは、ラクリーア様のお側にいくだけです」
カリノが満足そうに微笑んだ。もう、後悔はない。やり残したことはない。
まるで、そう言うかのように。
「カリノさん。再度の確認ですが、聖女様の身体をめちゃくちゃにしたのは、あの方の指示で間違いないのですね?」
その言葉に、彼女はゆっくりと首を縦に振る。
「……はい。ラクリーア様の身体に、アルテール王太子殿下の痕跡が残るようなことはあってはならないと……」
「すべて、あの方の指示なのですね? 首を切断したのも?」
「そのほうが、みな、驚くだろうって。衝撃を与えるだろうって」
東分所で対応した騎士らにとっては衝撃だったろう。今でも若手の騎士のアロンは、部屋に閉じこもっていると聞いている。
「だから、大聖堂に戻って、いつも薪割りに使っている斧を持ってきました。首を切断したのはアルテール殿下です」
「それから、あのお方は……」
「逃げていきました」
これで話はつながった。
だが、この内容を明らかにするのは今ではない。
ここで騎士団に報告したとしても、すべてはもみ消されてしまう。なによりも王太子アルテールがかかわっているからだ。
「カリノさん。言いにくいことなのに、教えてくださってありがとうございます」
「今日は、あの人がいなかったから……」
あの人。ナシオンのことにちがいない。
「わたし、あまり男の人が得意ではありません。ごめんなさい」
それは、大聖堂で会った他の巫女らも同様だった。
「こちらこそ配慮不足で申し訳ありませんでした。あの人は、私の相棒なので」
「相棒? それは騎士様と恋人同士ってことですか?」
「それとはまた違いますね。仕事をするうえでの仲間です。私たちは、単独行動が禁じられています。そして女性騎士は少ないため、どうしても男性と組む必要が出てきてしまうのです」
カリノが小さく顎を引いたのを見て、なんとか納得してくれたようだと胸をなでおろす。
「ですが、今日のこのことについては、彼にも協力を頼む必要があります。それは、よろしいですか?」
「はい。騎士様が信頼されている方であれば」
「ありがとうございます。私は、真実を明らかにしたいと思っています」
「その結果、王族を敵にまわすことになってもですか? わたしは怖くて、アルテール殿下の言葉に従っています。誰かに助けを求めたとしても、同じ巫女では力にならないですし、聖騎士様に伝えても、相手が王国騎士団では勝ち目がありません。枢機卿や教皇様には、私からは伝える手段がありません。雲の上のような方たちですから」
今の話によって、一般的な巫女と、枢機卿や教皇との関係性が見えた。
「ところで、キアロさんはどちらにいらっしゃるのですか?」
キアロについては先ほど、曖昧に終わってしまった。ここまで話を聞いたのだから、キアロについてもはっきりとさせておきたかった。
「あの方に人質にとられているとか、そういったことはありませんか?」
ふるふると、カリノは勢いよく首を横に振った。
「それは、ありません。ですが、わたしもお兄ちゃんがどこにいるかはわかりません。ドランの聖堂に派遣される話は聞いていました。ですが、ドランにいないとなれば、わかりません」
それはカリノの心からの言葉なのだろう。
そのあと、彼女の心を落ち着けるかのように他愛のない話をしてから、フィアナは取り調べ室を出た。入り口に立っていた女性騎士に目配せをする。それはもちろん「終わった」という合図だ。
フィアナがカリノにしてやれることは、今はもう、何もない。
いや、移送された先の王城の地下牢での待遇を改善してもらうように、お願いすることだけはできるかもしれない。
**~*~*~**
ざわざわと胸騒ぎがした。これはあのとき、両親を失った夜に似ている。
毛布にくるまって何度も寝返りを打ちつつも、眠れなかったあの日。
突然、キアロが「逃げるぞ」と言ってカリノの手を引っ張ったあの夜。
両親の背を、キアロと一緒に追いかけていたのに、目の前に閃光が走ったあのとき。
何が起こったのかなんてわからなかった。
『カリノ、こっちだ』
『お父さんとお母さんは?』
『わからない。だけど、あっちには行けない』
とにかく無我夢中で走って、逃げて、走って――。
空が白み始めた頃には森の中にいた。
町を見下ろす場所に広がっている森。そこから見下ろすと、ごぉごぉと炎が音を立てて、建物を燃やしていた。
森の中には同じように逃げてきた人がいるものの、誰もが呆然と立ち尽くす。
『お兄ちゃん……』
カリノはキアロにひしっと抱きついて、町の火が消えるのをただただ待った。
燃やすものがなくなれば、火は自然と消える。次の日に少し雨が降ったのも幸いしたのだろう。
まだ熾火がくすぶっているのは、弱い雨の力ではすべての火を消さなかったからだ。
家があっただろう場所には、燃えかすしかない。まだ熱気が残り、きな臭いにおい。
『ここは、駄目だな。他の場所で食料を探そう』
何もかも燃えてしまった。
だけど、カリノは生きている。生きているからお腹は空くし、眠くなる。
キアロの手をしっかりと握りしめ、食べられそうなものを捜し歩く。
『……あっ』
真っ白いローブを羽織っている女性が、こちらに向かって歩いてきた。後ろには、白い騎士服を着ている騎士たち。
彼女は途方に暮れている人たちに向かって声をかけ、食べ物を分け、希望を与えていた。
その彼女がラクリーアだったのだ。
(ラクリーア様……?)
同室のメッサがすやすやと寝息を立てているのを確認してから、カリノはそろりと部屋を出た。
部屋と部屋をつなぐ通路は、もちろん真っ暗だ。だけど、それもしばらくすればうっすらと見えるようになるのを知っている。
心の中で十数えれば、どこに何があるのかを把握できるようになるのだ。
いつものように足音を立てずに、素早く歩く。建物から出てしまえば、少しは緊張も解けた。
外は、いつもより暗く感じた。今日は新月だった。星の光は小さく地上に降り注ぐ。
それでも足元や少し先が見えるほど明るい。
慣れた道、いつも使っている道。
それから秘密の抜け穴をくぐって、敷地外へと出る。川を流れる水の音が次第に大きく聞こえるようになってきたのは、それだけ川に近づいてきた証拠でもある。
ここからもっと川辺に向かえば、いつもラクリーアとキアロと座って話をしている場所に着く。
ボソボソと人の声が聞こえた。
こんな時間、こんな場所に誰がいるというのか。
できるだけ足音を立てないように、ゆっくりと彼らに近づく。なぜか、その彼らが気になった。
ぼんやりとだが、その人物が誰であるかを確認できる距離まで近づいたとき、一人の身体が大きく傾いて崩れ落ちていく。
(何……? どうしたの?)
一人は倒れ、一人はそれを見下ろしていた。
だが、なぜその者が倒れなければならないのか。その原因をカリノはしっかりと見てしまった。
「お兄ちゃん……?」
カリノの言葉に、立っている人物が、身体を大きく震わせた。
驚いたようにカリノに視線を向けたその者の手の中には、血で汚れた短刀が握られていた。
司令室に入ったフィアナはタミオスの視線に気がついた。チラリと顔を向けると目が合う。
こいこいと、タミオスが手を振っている。朝から大声で呼ばれなかっただけマシだと思うことにした。
荷物を自席に置いたフィアナは、小さくため息をついてからタミオスの元へと向かう。
「おはようございます、部長。何かありましたか?」
「昨日は、何をして過ごしたんだ?」
タミオスが私的なことを聞いているわけではないとわかっているのだが、周囲にはそう思わせる必要がある。だけど、上司であるタミオスが、あまりにもフィアナの私的な内容に踏み込んでしまえば、上司からの嫌がらせと思われる可能性もある。
「はい。ナシオンさんとデートしておりました」
「なるほどな。で、どうだった? デートは、楽しかったか?」
「どうと言いましても……。二人で川沿いを散歩して、お弁当を食べておしまいです。あ、ナシオンさんからは素敵なプレゼントをいいただきました。どうやらナシオンさんは、宝探しが上手なようです」
フィアナがにっこりと微笑むと「なるほど」とタミオスも頷く。
「久しぶりの休暇を満喫できたようで何よりだ」
だがな、とそこでタミオスの声が低くなる。それは、周囲に聞こえないようにという彼なりの配慮の仕方だ。
「嬢ちゃんの移送が決まった。今日の午後だ」
フィアナはすぐには言葉が出てこなくて、ぱくぱくと口を開けた。大きく息を吸って、やっとの思いで小さく尋ねる。
「まだ、時間はあるはずですよね?」
「ああ、上から圧力がかかった。何よりも亡くなったのが聖女様だからな」
「つまり、大聖堂側はそろそろこの件を公表するということですか?」
昨日、イアンと話をしたときには、そういった内容を聞いていない。
「それは知らん。だが、聖女様の遺体の引き渡しを要求されたようだ。聖女様の遺体がなければ、次の聖女様も指名できないとかなんとからしい。となれば、さっさと事件としては解決させておきたいところだ。ようは、こっちとしては、何かのどんでん返しがあって、もう一度、聖女様の遺体を調べなければならない状況を懸念してるんだよ」
タミオスの言わんとしていることがなんとなくわかった。
大聖堂は聖女の遺体の返還を求めている。しかし、犯人がカリノだと断定できていない今では、遺体を返すことはできない。
だからさっさとカリノを王城へ移送させ、聖女の遺体を大聖堂に返すという手順を踏みたいのだろう。
「ですが、聖女様の遺体を返すのは、カリノさんの移送とは関係ないですよね?」
そうでなければ、犯人が確定しない間は、被害者の遺体をずっと保管しておかなければならなくなる。
「そうなんだが。今回は何よりも被害者が聖女様だからな。きっちりと犯人が決まったところで、遺体を返したいらしい。大聖堂側からあれこれ文句つけられて、再捜査となることを懸念しているんだ。そのときに聖女様の遺体は、こちら側にあったほうが自由にできるからな」
「でしたら、矛盾しませんか? カリノさんを移送したところで、彼らが再捜査を要求しないとは限らないですよね?」
「何よりも、嬢ちゃん本人が自供している。自分でやったとな。だから、再捜査にはならないと、上は睨んだようだ」
話を整理すると、大聖堂側からの反論にそなえて聖女の遺体を保管していたが、大聖堂側が遺体を返せと言ってきたため、カリノを犯人として王城に移送し、そこで遺体を返す。
矛盾しているような気もしないでもないが、これはどちらかといえば、鶏が先か卵が先かの話に近いのかもしれない。
だが、上が決めたというのであれば、今は従うしかない。
「カリノさんが移送される前に、話せますか?」
フィアナの言葉にタミオスはにたりと笑う。
「お前さんのことだから、そう言うと思っていた。移送は午後からだ」
今回の件は取り調べとは異なる。フィアナが個人的に話をしたいだけなのだ。
そしてカリノが王城へ移送となったら、フィアナは手出しができない。だから今のうちにカリノと話をしておきたかった。
「根回ししとくから、嬢ちゃんに今後のこと、説明してくれないか?」
「今後のこと、ですか?」
タミオスのやろうとしていることにピンときた。
「ああ。今日の午後、移送が決まったことはまだ嬢ちゃんの耳には届いていない。お前から、嬢ちゃんに伝えてほしい。それから、王城移送後、刑確定のための裁判が開かれることもだな。今回は事件が事件なだけに、裁判を早める予定のようだ」
「わかりました」
フィアナからみたら、願ってもない話だ。
「朝会で嬢ちゃんのことが報告される。だから俺のほうから、移送の手続きはお前にやらせるように伝える。それでいいな?」
「はい。ありがとうございます」
移送前にカリノと話ができる機会があるのは大きい。
これもタミオスのおかげなのだが、彼も騎士団では上層部に片足を突っ込んでいる人間であるのに、その考えに染められていないところは、やはり情報部という特殊な部門に属しているからかもしれない。
カリノには何をどこまで、どうやって伝えるべきか。
アルテールの短剣が見つかったことは言うべきか否か。
なにしろ、第一騎士団にも報告していない証拠品だ。これは、ここぞというときの切り札にしておきたい。
たとえそれが、証拠隠蔽だと言われようが。
タミオスが言ったように、カリノを王城へ移送させるという話は、朝会で報告された。
それが終われば、この捜査本部も解散となるだろう。カリノの移送が終わった今日の夕方には「解散」の号令がかかるはずだ。
凶器が見つからない、動機がわからない、聖女の遺体の一部が見つからない。
そうやってないないづくしであっても、犯人さえ王城へと送ってしまえば、あとは王城にいる彼らが処遇を決める。つまり、騎士団の管轄からは外れるというわけだ。
「では、容疑者移送補佐はフィアナ・フラシス、頼んだぞ」
総帥に名を呼ばれ、フィアナも「はい」と凛とした声で答える。
タミオスの根回しにより、フィアナはカリノの移送補佐として指名された。
それに不満そうなのはナシオンだった。
「今日はフィアナだけだ」
朝会が終わり、それぞれが持ち場へ戻ろうとしたとき、そんなナシオンの肩をタミオスがポンと叩いた。
「いやいや。二人一組が基本ですよね?」
「それは捜査のときな? 今日は取り調べで嬢ちゃんのところにいくわけではないからな?」
「ナシオンさんも、ずいぶんとカリノさんのことが気に入ったようですね」
とにかくナシオンはぶうぶうと文句を垂れていた。そんなに彼もカリノと話をしたかったのだろうか。
自席に戻り、今回の事件のあらましをまとめた報告書に最初から目をとおす。
カリノが聖女ラクリーアの頭部を持って東分所を訪れたのは、六日前。そのときから、聖女を殺したのは自分自身だと言っていた。
そのわりには凶器についても証言しないし、ラクリーアの身体を刻んだ理由も言わない。
殺したかったから。そうしたかったから。
そういった表向きの言葉を並び立てるだけ。
だけどそれが、アルテールをかばっての言動だったら?
そして彼女が、アルテールに脅されているとしたら?
十分に考えられる。
それにナシオンも言っていたように、大聖堂にいる巫女や聖騎士見習いは後ろ盾のない弱い人間だ。その彼らを人質のように扱われたら、幼いカリノは逆らえないだろう。
もしかして、キアロが姿を消したのはアルテールに囚われているから、とか。
できれば、その辺の話をカリノから聞いてみたい。
ナシオンもいないだろうし、見張りも外にいるだろうから、こっそりと聞けば答えてくれるだろうか。
そんなことを考えながら、いつもの取り調べ室へと足を向けた。
「こんにちは、騎士様」
「こんにちは、カリノさん」
「今日は、騎士様、おひとりなんですか? いつもの方はどうされたのですか? クビになったのですか?」
カリノはナシオンをきちんと認識していたようだ。
「はい。今日は私、一人です。彼とも話をしたかったのでしょうか?」
カリノは黙って首を横に振る。
「今日は、カリノさんのこれからについて説明をしにきました」
フィアナの言葉に、彼女は首肯する。そういった身のこなしの一つ一つを見ても、年齢の割には大人びている。
ただ、地下牢での拘束も六日目となったためか、その顔に疲労の色は濃く出ていた。強がる口ぶり、凛とした姿勢を見せても、目の下の隈や、かさついた唇は隠しきれない。
「本日の午後、カリノさんは王城の地下牢へと移送されます」
その瞬間、カリノの目は大きく開かれた。少しだけ唇を震わせたのち、すぐさま平静を装う。
「今は騎士団管轄になっていますが、王城へと移送されたあとはそちらの管轄となります。王城関係者、つまり貴族たちが中心となり、カリノさんの裁判を行います」
「わたしが聖女様を殺したと、やっと認められたわけですね?」
「それはちがいます。むしろ、裁判は真実を明らかにする場。これ以上、騎士団で調査を続けても、今以上の成果が得られないと判断されたためです」
つまり、騎士団の力不足を露呈させたようなものだ。いや、彼らのやる気のなさか。
ただ、聖女ラクリーアが被害者であっただけ、なんとか体裁を保つための調査を行ったようなものだろう。
組織としては、最初からカリノを犯人として、さっさと王城へ移送させたかったのだ。捜査本部を立てたのも、大聖堂側へ「きちんと調べていますよ」と見せつけたかったからだ。
きゅっと唇を引き締めていたカリノだが、それをゆるりと開いた。
「騎士様。わたしは斬首刑ですか? 絞首刑ですか? きっと聖女様と同じようにされるのでしょうね」
「カリノさん。裁判は刑を確定させるとともに、真実を明らかにする場所です。もしカリノさんが隠していることがあるならば、その場ではっきりと伝えてください」
「わたしが隠していることですか? 何もありませんよ?」
こてんと首を倒すカリノは、心に大きな壁を作ったように見えた。これ以上、踏み込んではならないと。
だが、フィアナだって罪のない人間を裁くようなことはしたくない。それが、組織ぐるみで行おうとしている内容であるならば、なおのこと。まして相手は、このように幼さが残る少女だ。
「カリノさんの捜し物が見つかりましたよ。それは、私が大事に預かっております」
カリノがひゅっと息を呑んだ。
「カリノさん。脅されているのではないですか? たまたまそこに居合わせ、それを目撃してしまったために、犯人にされているわけではないのですか?」
かさかさに乾いているカリノの唇は、小刻みに揺れている。
「わたし……わたし……」
少女の眦に涙が浮かぶ。
言葉を紡ぎ出そうと、心を奮い立たせている様子が伝わってきた。
「カリノさん……ここには、私しかおりません。カリノさんから本当のことを聞くために、彼もおいてきました」
はっとカリノは大きく目を見開いてから、つつっと一筋の涙をこぼす。
「わたし、聖女様を殺していません……」
かすれたような声でカリノがつぶやいた。
だけどフィアナは、ずっとその言葉を聞きたかったのだ。
「わかりました。私たちはカリノさんを信じます。すべては裁判で決着をつけましょう」
カリノがこくりと頷いた。そしてきょろきょろと周囲を見回し、声を低くする。その顔は、先ほど涙を流した少女とは思えないほど、凛々しいものだ。
「騎士様は、わたしの言うことを信じてくださるのですか?」
「それが真実であるならば、信じます」
カリノの青い目が不安そうに揺れている。
「わたし……」
「ゆっくりでいいです。あの日、何があったのか。教えていただけますか?」
フィアナの言葉にカリノは大きく頷いた。
ぽつりぽつりとカリノが話し始める。それはもちろん、フィアナも初めて耳にすることだった。
カリノは満月の夜になると自室を抜け出して、あの川辺へと足を向けていた。そこで聖女ラクリーアと聖騎士キアロと顔を合わせ、他愛もない話をして、寂しさを紛らわせていた。
「ラクリーア様と出会ったのは、たまたまなのです。それからなんとなく、満月の夜に外へ出るようになりました。特に約束をしたわけでもないのですが……」
「キアロさんも、その場にはいたのですか?」
「はい。お兄ちゃんを誘ったのはわたしです」
ここでカリノの素顔を見たような気がした。今まで「兄」と口にしていたキアロを「お兄ちゃん」と言った。できることなら、ここでキアロの情報も手に入れておきたい。
「キアロさんは、聖女様の専属騎士にという話もあったようですね?」
「……はい」
「ですが、それは叶わなかったと」
「はい。ラクリーア様が反対されたのです……」
ぼそぼそと喋っているカリノは、背中を丸めた。下を向いてテーブルの上の一点を見つめているため、どのような表情なのかをうかがうことはできない。
「聖女様が? 枢機卿たちが年齢を理由に反対されたと聞きましたが……」
「それは、表向きの理由です……騎士様は、聖騎士のイアン様とお会いしたことがありますか?」
「はい。今回の件について、協力いただいております」
それでもカリノは顔をあげず、小刻みに身体を揺らしている。
「……騎士様は、イアン様とお会いになられて、どう思いましたか?」
どう、と言われても、綺麗な男性だという印象だ。そもそも聖騎士と呼ばれる彼らは、王国騎士団に所属する騎士らと別の生き物ではないかと思えてしまうほど、線の細い男性が多い。
「そうですね。こちらの騎士団の彼らとは異なりますね。中性的といいますか、綺麗な方ですよね」
そこでカリノがはっと顔をあげる。
「そのような男性が聖騎士となるのも事実ですが、イアン様は、他の聖騎士よりも群を抜いて綺麗な方だと思いませんか?」
フィアナを真っ直ぐに見つめるカリノの瞳は、力強く燃えていた。何かを決心したかのようにも見える。
「そうですね。私から見ても、うらやましいくらいにお綺麗な方です」
「イアン様は、ラクリーア様の前の聖女様の専属でした。ですから、その……子を望めないそうです……」
言いにくいのか、恥ずかしいのか、カリノの視線は再び下を向く。
カリノが言いにくそうにしている様子が気になった。
だが、このくらいの年齢であれば、子を授かる行為を口にするのが恥ずかしいというのもわかる。
「イアン様がお綺麗なのはそれが原因であると、ラクリーア様がおっしゃっておりました。そして、それをお兄ちゃんには望まないと」
カリノの話を、フィアナを手早く頭の中で整理する。
男性でありながら中性的な魅力を持つイアンは、以前は聖女の専属護衛を担当していた。そして彼は子を望めない。
つまり、聖女との間に間違いがあってはならないように、処置をされているということだろうか。どこかの国の後宮にいる男性のように。
「……わかりました」
しかしフィアナはその考えの答え合わせをするつもりはなかった。
ただ、そういった処置が必要となるのであれば、ラクリーアもキアロも専属護衛について考えることがあったのだろう。
「聖女ラクリーア様の専属護衛には、ほかの聖騎士の方が選ばれたと聞いております」
「そうですね。聖女様の専属護衛。それは、聖騎士にとっては名誉なことですから。そのようなことであっても、なりたいと思う人はいるようです」
イアンの大聖堂での立ち位置を見れば、その地位にあこがれを持ってもおかしくはないだろう。
「念のための確認ですが。聖女様には、四六時中、護衛が付き添っているわけではないのですよね?」
そうであれば、ラクリーアがあのような場で殺されるわけはないだろう。
「はい。基本的に護衛につくのは、人前に出るようなときと聞いております。いくら護衛といえども、ラクリーア様だってずっと誰かと一緒にいたら、息がつまってしまいますから」
となれば、やはりラクリーアが一人になる時間はあったということだ。だからといって、専属護衛を攻めるのはお門違いというものなのだが。
その彼が今、どのように過ごしているのかは確認していない。そこはフィアナの管轄外だ。
大聖堂の巫女から話を聞くこと。カリノから話を聞くこと。その裏付けをとるために、イアンから話を聞いたこと。そこから、ラクリーアの護衛の話には発展しなかったのだ。
きっと専属護衛本人から、第一騎士団の騎士が話を聞いているものと思いたい。
「カリノさん。あの日、何を見たのか、教えてもらえますか?」
フィアナの言葉でぱっと顔をあげたカリノだが、かすかに唇を震わせてから、また下を向く。
「あの日は、満月ではありませんでしたよね?」
むしろ新月だ。月明かりのない暗闇の中、どうやって聖女ラクリーアを殺して切り刻んだのか。そこに、王太子アルテールが絡んでいるというのであれば、今のうちに確認しておきたい。
「たまたまです。眠れなくて、それで外に出ました」
「いつもと違って周囲もよく見えなかったのではないですか? 明かりは手にしなかったのですか?」
「はい。明かりを持つと、ほかの人に知られてしまいますから。こっそりと抜け出すときは、いつも明かりを準備しません。それに、新月だといっても星の明かりはありますし、少し過ぎれば目も慣れますから」
カリノの年齢であれば、暗闇への順応も早いのだろう。
「なんとなくですが。騎士様も、胸騒ぎするといいますか。そういうときってありませんか?」
フィアナにも心当たりはある。第六感というのか、何かが働いて嫌な予感がするとき。それのおかげでフィアナが気づき、命拾いした者もいるくらいだ。
「その日はそんな感じがしたのです。眠れないというのもありましたが。それに、いつものように慣れた道というのもあったので、暗闇はさほど気になりませんでした」
フィアナも川沿いを歩いてみたが、慣れない者にとっては非常に歩きにくい場所だった。まして暗闇でとなれば、転んでもおかしくはない。
カリノにとっては定期的に訪れていた場所だから、勝手がわかっているのだろう。
「ですがあの日は、いつもと違いました。誰もいないだろうと思っていたあの場所で、男女の言い争いが聞こえました」
「その声は、大きな声でしたか?」
「いえ。本当に近づかないと聞こえないような、ボソボソとした声で、何をしゃべっているのかはわかりませんでした。ただ、遠くからでも二人の人間が向かい合っているのだけはわかって……だけど、そのうち……」
カリノはその瞬間を遠くから見ていたのかもしれない。
「だから、わたしも慌ててそこへ行くと、女の人が倒れていて、それがラクリーア様でした……」
「そこに、アルテール王太子殿下の姿もあったのですね?」
カリノが小さく頷くと、無造作に結ばれている髪も小刻みに揺れる。
ただフィアナもなんとなく今の話にひっかかりを覚えたものの、それがなんなのかはわからなかった。
「アルテール王太子殿下が、短刀でラクリーア様を、こうやって……」
カリノはお腹のまで両手で短刀を構える姿勢をとった。
「あのお方が聖女様のどこを刺したのか、わかりますか?」
これ以上、フィアナの口からアルテールの名を出すのはまずいだろう。言い方を濁す。
カリノは、首を横に振った。
「驚いて声をあげたら、アルテール王太子殿下に気づかれてしまって」
そこからはフィアナが予想していたとおりの内容が、カリノの口から飛び出してきた。
たまたまその場にいたことで、アルテールに脅され、犯人として自首しろと言われたこと。
致命傷を誤魔化しアルテールの痕跡を消すために、ラクリーアの死体を切り刻んだこと。
ただ、そうやって指示を出したアルテールはある程度見届けたものの、慌てて逃げ出していったため、短剣を落としたことにすら気づかなかったようだ。だからそれをカリノが人の目から隠すように土の中に埋めたとのこと。
これは何かあったときに、逆にカリノがアルテールを脅すための切り札としてとっておいたのだろう。
「なるほど。その切り札がこうやって役に立つときがきましたね」
「はい。騎士様ならそれを見つけてくださるだろうと思いましたし、それを隠すこともせずに、わたしが望むようにしてくれるのではないかと、そんな期待を込めました」
「もし、私がアレをもみ消したら、どうされるおつもりですか?」
「そのときは、ラクリーア様のお側にいくだけです」
カリノが満足そうに微笑んだ。もう、後悔はない。やり残したことはない。
まるで、そう言うかのように。
「カリノさん。再度の確認ですが、聖女様の身体をめちゃくちゃにしたのは、あの方の指示で間違いないのですね?」
その言葉に、彼女はゆっくりと首を縦に振る。
「……はい。ラクリーア様の身体に、アルテール王太子殿下の痕跡が残るようなことはあってはならないと……」
「すべて、あの方の指示なのですね? 首を切断したのも?」
「そのほうが、みな、驚くだろうって。衝撃を与えるだろうって」
東分所で対応した騎士らにとっては衝撃だったろう。今でも若手の騎士のアロンは、部屋に閉じこもっていると聞いている。
「だから、大聖堂に戻って、いつも薪割りに使っている斧を持ってきました。首を切断したのはアルテール殿下です」
「それから、あのお方は……」
「逃げていきました」
これで話はつながった。
だが、この内容を明らかにするのは今ではない。
ここで騎士団に報告したとしても、すべてはもみ消されてしまう。なによりも王太子アルテールがかかわっているからだ。
「カリノさん。言いにくいことなのに、教えてくださってありがとうございます」
「今日は、あの人がいなかったから……」
あの人。ナシオンのことにちがいない。
「わたし、あまり男の人が得意ではありません。ごめんなさい」
それは、大聖堂で会った他の巫女らも同様だった。
「こちらこそ配慮不足で申し訳ありませんでした。あの人は、私の相棒なので」
「相棒? それは騎士様と恋人同士ってことですか?」
「それとはまた違いますね。仕事をするうえでの仲間です。私たちは、単独行動が禁じられています。そして女性騎士は少ないため、どうしても男性と組む必要が出てきてしまうのです」
カリノが小さく顎を引いたのを見て、なんとか納得してくれたようだと胸をなでおろす。
「ですが、今日のこのことについては、彼にも協力を頼む必要があります。それは、よろしいですか?」
「はい。騎士様が信頼されている方であれば」
「ありがとうございます。私は、真実を明らかにしたいと思っています」
「その結果、王族を敵にまわすことになってもですか? わたしは怖くて、アルテール殿下の言葉に従っています。誰かに助けを求めたとしても、同じ巫女では力にならないですし、聖騎士様に伝えても、相手が王国騎士団では勝ち目がありません。枢機卿や教皇様には、私からは伝える手段がありません。雲の上のような方たちですから」
今の話によって、一般的な巫女と、枢機卿や教皇との関係性が見えた。
「ところで、キアロさんはどちらにいらっしゃるのですか?」
キアロについては先ほど、曖昧に終わってしまった。ここまで話を聞いたのだから、キアロについてもはっきりとさせておきたかった。
「あの方に人質にとられているとか、そういったことはありませんか?」
ふるふると、カリノは勢いよく首を横に振った。
「それは、ありません。ですが、わたしもお兄ちゃんがどこにいるかはわかりません。ドランの聖堂に派遣される話は聞いていました。ですが、ドランにいないとなれば、わかりません」
それはカリノの心からの言葉なのだろう。
そのあと、彼女の心を落ち着けるかのように他愛のない話をしてから、フィアナは取り調べ室を出た。入り口に立っていた女性騎士に目配せをする。それはもちろん「終わった」という合図だ。
フィアナがカリノにしてやれることは、今はもう、何もない。
いや、移送された先の王城の地下牢での待遇を改善してもらうように、お願いすることだけはできるかもしれない。
**~*~*~**
ざわざわと胸騒ぎがした。これはあのとき、両親を失った夜に似ている。
毛布にくるまって何度も寝返りを打ちつつも、眠れなかったあの日。
突然、キアロが「逃げるぞ」と言ってカリノの手を引っ張ったあの夜。
両親の背を、キアロと一緒に追いかけていたのに、目の前に閃光が走ったあのとき。
何が起こったのかなんてわからなかった。
『カリノ、こっちだ』
『お父さんとお母さんは?』
『わからない。だけど、あっちには行けない』
とにかく無我夢中で走って、逃げて、走って――。
空が白み始めた頃には森の中にいた。
町を見下ろす場所に広がっている森。そこから見下ろすと、ごぉごぉと炎が音を立てて、建物を燃やしていた。
森の中には同じように逃げてきた人がいるものの、誰もが呆然と立ち尽くす。
『お兄ちゃん……』
カリノはキアロにひしっと抱きついて、町の火が消えるのをただただ待った。
燃やすものがなくなれば、火は自然と消える。次の日に少し雨が降ったのも幸いしたのだろう。
まだ熾火がくすぶっているのは、弱い雨の力ではすべての火を消さなかったからだ。
家があっただろう場所には、燃えかすしかない。まだ熱気が残り、きな臭いにおい。
『ここは、駄目だな。他の場所で食料を探そう』
何もかも燃えてしまった。
だけど、カリノは生きている。生きているからお腹は空くし、眠くなる。
キアロの手をしっかりと握りしめ、食べられそうなものを捜し歩く。
『……あっ』
真っ白いローブを羽織っている女性が、こちらに向かって歩いてきた。後ろには、白い騎士服を着ている騎士たち。
彼女は途方に暮れている人たちに向かって声をかけ、食べ物を分け、希望を与えていた。
その彼女がラクリーアだったのだ。
(ラクリーア様……?)
同室のメッサがすやすやと寝息を立てているのを確認してから、カリノはそろりと部屋を出た。
部屋と部屋をつなぐ通路は、もちろん真っ暗だ。だけど、それもしばらくすればうっすらと見えるようになるのを知っている。
心の中で十数えれば、どこに何があるのかを把握できるようになるのだ。
いつものように足音を立てずに、素早く歩く。建物から出てしまえば、少しは緊張も解けた。
外は、いつもより暗く感じた。今日は新月だった。星の光は小さく地上に降り注ぐ。
それでも足元や少し先が見えるほど明るい。
慣れた道、いつも使っている道。
それから秘密の抜け穴をくぐって、敷地外へと出る。川を流れる水の音が次第に大きく聞こえるようになってきたのは、それだけ川に近づいてきた証拠でもある。
ここからもっと川辺に向かえば、いつもラクリーアとキアロと座って話をしている場所に着く。
ボソボソと人の声が聞こえた。
こんな時間、こんな場所に誰がいるというのか。
できるだけ足音を立てないように、ゆっくりと彼らに近づく。なぜか、その彼らが気になった。
ぼんやりとだが、その人物が誰であるかを確認できる距離まで近づいたとき、一人の身体が大きく傾いて崩れ落ちていく。
(何……? どうしたの?)
一人は倒れ、一人はそれを見下ろしていた。
だが、なぜその者が倒れなければならないのか。その原因をカリノはしっかりと見てしまった。
「お兄ちゃん……?」
カリノの言葉に、立っている人物が、身体を大きく震わせた。
驚いたようにカリノに視線を向けたその者の手の中には、血で汚れた短刀が握られていた。