空港にたどり着くと、思ったよりも多くの人でごった返しており、私は左右をキョロキョロと見渡した。視界不良なことが仇となり、人混みの中からたった一人の彼を探し出すことができない。泣きそうな気分になっていると、後ろからポンと肩を叩かれた。

「鈴ちゃん」

 はっきりとした彼の声がして、私ははたと振り返る。
 そこには大きなキャリーケースを持った綾人くんが笑顔で立っていた。叔父さんはいない。私たちに遠慮して、そっとしておいてくれているのかもしれない。

「ああ、綾人くん。よかった〜見つけられないかと思って」

「この人混みだもんね。大丈夫。どんな時も、俺がいちばんに鈴ちゃんを見つけるよ」

「……うん」

 “どんな時も”という言葉が胸に染みる。
 そうだ。これから私は、綾人くんがそばにいない世界を生きるのだ。いつもいつも、彼に見つけてもらえるわけではない。その事実がようやく現実味を帯びた。

「荷物預けてから少し時間があるから、あっちで話そう」

「分かった」

 綾人くんと一緒にキャリーケースを預ける列へと並び、順番を待った。無事に荷物を預け終えると、すぐに保安検査に向かうことなく、端の方へと移動する。保安検査の向こうまでは私は入れない。だからこの場で最後のお別れをするのだ。
 事態が突然胸に差し迫ってきて、ぎゅうっと胸が絞られるように切ない気持ちに襲われる。綾人くんはずっと笑顔を絶やさないまま、私とお別れしようとしていた。だったら私も、彼の期待に応えなければ。

「今まで、楽しかったね。いろいろあったけれど、綾人くんと出会ってからの日々は、毎日がショートケーキみたいに甘くて、瑞々しいいちごを食べているみたいだった」

「何その例え。めっちゃいいじゃん」

「でしょ。昨日から考えてた台詞」


「ははっ。用意周到だな〜。でも俺も、鈴ちゃんと出会ってから、毎日ケーキ三昧な日々だったよ。もうとっくに胃もたれしてる」

「それ、ちょっとひどい……。私の方が何倍も胃もたれ中だって」

「実際ケーキもたくさん食べてもらったしね」

 こんな時なのに冗談ばかり出てくる私たち。ぎゅっと絞られていた気持ちが柔らかく溶けていく。本当に綾人くんといると、いちばん安心できる。彼の隣で、この先も歩いていきたいと強く思った。

「とまあ、冗談は置いておいて。鈴ちゃん、今まで本当にありがとう。不安にさせたこともあったよね。これからも、離れることで不安にさせちゃうかもしれない。でもこれだけは覚えていて。俺は、どんなに遠く離れても鈴ちゃんをずっと想ってる。毎日、きみのことを考え続けるよ。鈴ちゃんに光を見せ続けるから」

「……本当に? 向こうで浮気したりしない?」

「浮気なんてするわけない。俺の目にはもう鈴ちゃんしか見えないんだから」

 鈴ちゃんが見えない。
 綾人くんから衝撃の告白を受けた日のことを思い出す。
 あの時、本当に苦しくてどうしようもなかった。でも綾人くんはトラウマを乗り越えて、私をまた見つけてくれた。絶望の淵に落ちてしまいそうだった私を救い上げてくれた。
 だったら私も、綾人くんの言葉を信じるしかない。

「分かった。信じるよ。私だって、綾人くんが見せてくれる光しか見えないんだから」

『十一時発、フランスパリ行きの飛行機に搭乗予定のお客様、保安検査へお進みください』 

 アナウンスが鳴り響き、私たちにタイムリミットを告げる。

「……そろそろ行かないとね」

「ああ」

 突如、しんみりとした空気が二人の間に漂う。
 綾人くんに伝えたいことはすべて伝えた。私は綾人くんを待ち続ける。彼は向こうで私のことを考え続けてくれる。それだけで十分だ。

「それじゃあ、元気でね」

「おう」

 綾人くんが保安検査のゲートの方へと向かって歩いていく。
 その刹那、私は言いようもないほどの寂しさに襲われた。
 いやだ。
 行かないで。
 私のそばにいて。
 寂しい。寂しいよ。
 綾人くんがいないと私は——。

「綾人くんっ」

 気がつけば彼の背中に呼びかけていた。彼は瞬時にばっと私の方を振り返る。その目はしっかりと私を捉えていた。

「綾人くん、私は、大丈夫だから! 一人でも歩けるから! だから綾人くんも、自分の道を、歩いてっ」

 寂しくて仕方がないのに、口から出てきた言葉は精一杯の強がりだった。

 綾人くんの瞳がふるりと揺れる。目の淵には涙が溜まっているけれど、決して流れることはない。グッと力強い表情へと変わり、片手を上げた。

「ああ! もちろん! 向こうで頑張ってくる。鈴ちゃんを想いながら、自分の信じる道をいくよ」

 だから心配しないで。
 お互いが最後に投げかけた言葉を、しっかりと受け止める。
 彼が振り返って、保安検査のゲートへと吸い込まれていく。
 その背中を、私は穴が開くほど見つめていた。

「綾人くん、元気でね。ばいばい——」

 私はもう一人だ。でも、彼と心で繋がっている。それだけで、明日への一歩を踏み出せる気がした。