入院生活が始まって一ヶ月が経った頃、ギプスが取れた。
 可動域訓練が始まって、看護婦さんが私の右足をゆっくりと動かし始める。いわゆるリハビリが開始したのだ。

「早く歩けるようになりたいでしょう?」

「はい。私、受験も控えているのでできるだけ早く退院したいです」

「そうね。それなら頑張らなくちゃね」

 そう。世間は今クリスマスムードに包まれているのだが、年が明ければ私は大学受験をする。今は必死に病室で勉強をしているところだった。幸い、授業で習う範囲はすべて終わっているので、あとは試験に向けて一直線に駆け抜けるだけだ。
 看護婦さんが病室を去ったあと、私は最近また再開したブログの仕事をしていた。
 病気の進行が思いの外早くて絶望したこと。
 命を蔑ろにしようとしたこと。
 それでも、大切な人が私を引き留めてくれたこと。
 そのあと怪我をしてしまったこと。
 揺れ動く感情を細かく表現して、私だけの記事を書き上げる。あとは校正さんからチェックが来るのを待つだけだ。
 頭も疲れてきたことだし、一休みしようとベッドに仰向けになった時だった。

「鈴ちゃん、いる?」

 外からコンコンと病室の扉をノックする音が聞こえて、私は瞬時に身を起こす。この声は伯母さんだ。今日は時間的に一人だろうか。私は気軽に「はーい」と返事をした。

「失礼します」

 ゆっくりと開かれた扉の向こうに立っていた人物を見て、私は絶句する。

「お母さん……」

 なんとそこに立っていたのは、伯母さんと、サングラスとマスクをつけた母——羽島陽子だった。母の手に握られているものを見てさらに息をのむ。

「白杖……? なんで?」

 そう。母は私と同じように、白杖を握って立っていた。隣に並んでいる伯母さんの眉根が下がる。現状を理解することができない私だけが、とても混乱していた。

「鈴、久しぶり」

 伯母さんとお母さんが病室の中にゆっくりと進んでくる。お母さんは白杖を器用に使い、ベッドの傍らの椅子に腰を下ろした。サングラスとマスクを外すと、私がよく知っている母そのものなのに、お母さんがとても遠い存在に思えて動悸が止まらない。

「鈴ちゃん、突然驚かせてごめんなさい。鈴ちゃんが入院したことを陽子に伝えたら、どうしても今会いに行きたいって言うから」

 伯母さんはちらりとお母さんの方に視線を移した。お母さんは、私をじっと見つめている。でも、見えにくいのか目を細めたり開いたりを繰り返す。凛とした表情をするお母さんしか知らない私は戸惑いを隠せなかった。

「鈴、今まで会いに来られなくてごめん。仕事を休んで、落ち着いたら会いに行こうと思ってたの。でもその前に、芽衣子から鈴が怪我をしたって聞いて。それも、病気のせいだと知っていてもたってもいられなくなったの」

「病気のこと、知ってたの……?」

「そりゃ知ってるわよ。芽衣子とはずっと連絡を取り合っていたもの。あなたを芽衣子の家に預けてからずっとね」

「そうなんだ……」

 私はお母さんと、それほど頻繁に連絡が取れていたわけではない。高校生になってからは特に、仕事が忙しかったのか、お母さんは私に連絡をしなくなった。それに私も、お母さんから嫌われていると思い込んで、自分から連絡する勇気がなかったのだ。親子なのに、私たちの関係はどこかちぐはぐだった。
 伯母さんがそっと立ち上がり、病室の窓を開ける。肌寒い風が舞い込んできて、部屋の温度を下げていく。今はその冷たさが心地よかった。
 反応に困っている私に向かって、お母さんが悲しそうな、寂しそうな表情を向けた。彼女の中に起こった感情の変化についていけず、私は「どうしたの」と思わず声をかける。

「鈴……私さ、鈴に黙ってたことがある。鈴を芽衣子の家に預けた理由。それを伝えにきた」

「私を伯母さんの家に預けた理由……」

「ええ。今から話すことは鈴にとってとてもつらい話だと思う。だから、聞きたくないって思ったらそう言ってくれて構わないわ」

 お母さんの目がまっすぐに私を見据える。
 お母さんが私を吉田家に置いて行った理由なんて一つしかないと思っていた。仕事で忙しく駆け回るお母さんにとって、私がお荷物だったから。お母さんとは違い、不細工な娘に愛想を尽かしてしまったから。それ以外に何か理由があるのだろうか。
 そんな私の疑問に答えるように、お母さんはゆっくりと真相を話し始めた。