「ただいま……」

 意気消沈したまま玄関の扉を開けると、伯母さんと伯父さんがリビングで揃ってテレビに釘付けになっていた。いつもならすぐに「おかえり」と言ってくれる二人が、私の方を見向きもせずにじっと画面を見つめている。私も、つられて視線をテレビへと向ける。流れてくる音声が、ぱっと私の耳に飛び込んできた。

「数々のドラマ、映画に出演する人気女優の羽島陽子さんが、療養のため、活動休止を発表しました。活動再開の目処は立っていないということです。羽島さんは『ファンの皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、いち早く回復できるように療養に努めてまいります』とコメントしました。ファンはSNSで『とても残念だけれど、どうかお大事になさってください』と心配する声を寄せています。なお、羽島さんの病気については、事務所より『彼女のプライバシーに関わることですので、一切の情報をお伝えできかねます』ということです。以上、夕方のニュースでした」

 テレビ画面に映し出された母親の画像と、活動休止を訴える文面を見て、私はその場に固まっていた。
 お母さんが、病気?
 いったい何の病気なの? 突然活動休止だなんて、よっぽど重い病気なんじゃ……。
 実の娘でさえ知らない母の病気についての報道を、私は複雑な気持ちで眺めるしかなかった。

「鈴ちゃん、帰ってたの」

 ようやく私の存在に気づいた伯母さんと伯父さんが、後ろで呆然と立ち尽くす私に声をかけてきた。

「う、うん。ただいま……」

 三人の間に気まずい沈黙が流れる。伯母さんと伯父さんは、お母さんの病気のことを知っていたのだろうか。だとすればこうして世間に公表されるまで私に隠していたということ……?
 二人はまだ何も言ってないのに、妄想だけがどんどん膨らんで、息ができなくなるくらいに胸が締め付けられる。

「鈴ちゃんあのね、ちょっと前に、お母さんから最近連絡はなかったかって聞いたことあったわよね? 覚えてる?」

 伯母さんに問われて、私は記憶を探る。そういえば、ゴールデンウィークが明けた頃に、伯母さんからそんなことを聞かれたような気がする。

「うん、覚えてるよ」

「そっか。その時にね、伯母さん陽子から連絡を受けていたの。もしかしたら、活動を辞めるかもしれないって。それで、鈴ちゃんにも聞いたのよ。陽子は鈴ちゃんにそのことを話しているのか気になって」

「……何も、聞いてなかった」

 伯母さんがお母さんから受けた連絡について、私は何一つ知らない。
 私が首を横に振ったのを見て、伯母さんは「ふう」と大きくため息をつく。

「やっぱり、そうじゃないかって思って、あの時鈴ちゃんに連絡が来ていないか聞いたのよ。あの子、なんで大事なことを鈴ちゃんに話さないのかしら……」

 目を細めて妹であるお母さんのことを慮る伯母さん。私には、伯母さんは本当はお母さんの気持ちを知っているように映った。伯母さんはきっと、お母さんの気持ちを知った上で、お母さんに私ときちんと向き合ってほしいと思っているんだ——……。

「ねえ伯母さん。お母さんの病気はなに? どうして私に隠してるの?」

 私は咄嗟に気になっていることを聞いた。伯母さんも、私にそう聞かれることを予感していたのだろう。ふっと優しく、切ない表情になり、こう言った。

「それは、私の口から今言えることではないわ。陽子が鈴ちゃんに話してないってことは、まだそのタイミングではないってことだと思うから。でも一つ言っておくと、命に関わるような病気ではないの。それだけは伝えておくわね」

 伯母さんが私の頭を撫でる。私は、いいように丸め込まれた気分にさせられたけれど、伯母さんの言うことにも納得がいく。
 お母さんが自分の病気のことを私に隠す理由は。
 きっとまだ私に話せるタイミングじゃないということ。
 お母さんが、一番に私に大切な話をしてくれなかったのは悔しいし、とてもやるせない。やっぱりお母さんの中で、私の存在は二の次三の次なんじゃないかって思ってしまう。でも、私にできることは何もない。きっと私からお母さんに連絡しても、お母さんは返事をくれないだろう。お母さんは、いつだって自分の信念を持っていて、私の一言二言に、決意を揺るがせるような人間じゃないから。


 その日の夜、私はなかなか寝つくことができなかった。
 お母さんのこともあるが、それ以上に綾人くんとの今後が気がかりすぎて。あれから何度もスマホをチェックしているけれど、彼から連絡はない。
 私は、私たちは一体どうすればいいのだろう……。
 私が失っていく光を、綾人くんならずっと与えてくれると思っていた。綾人くんの隣にいれば、私は希望を失わなくて済むって。
 でも、そんな彼も大切な光を失ってしまった。
 部屋の電気を消して、暗闇に目が慣れても、私の視界の端っこは、真っ暗なまま。
 彼の目の前に広がる景色は、いまどんなふうに映っているんだろう?
 私は彼に、絶望以外の光を与えてあげられるの?
 自問しながら瞼を閉じる。目尻からこぼれ落ちる涙は、明日の朝まで枕に染みをつくり続けるだろう。真っ暗になった視界の奥に、彼が絶望感に苛まれる姿がぼうっと浮かび続けていた。