新型コロナウイルスが世界中に蔓延り始めたのはちょうど中学二年生になった頃だ。
日本中の人間がマスクをつけ始め、むしろつけていないと白い目で見られるようになったのは、私にとって好都合だった。
「マスク忘れたやつ、取りに来い」
担任の先生が、強制的に一人一人にマスクをつけさせるのが定例化すると、みんなの顔は半分見えなくなった。特に鼻と口がコンプレックスだった私は、男性用の大きめのマスクをつけて、目の下までマスクで顔を隠す。
自然と、私の顔の悪口を言う人間は減っていった。
見えなければ、誰のことも不快にさせることはないだろうなあ。
単純な方程式が、余計に心を抉った。でも、誰かから陰口を言われるよりはよっぽどましだ。
中学校を卒業するまで、私はなんとか平穏な日々を過ごすことができた。決して楽しくはない時間だった。
入学した光が丘高校は、中学からの知り合いがほとんどいない。偏差値はそれなりに高く、受験勉強を必死に頑張って無事に合格した。知り合いがほぼいない高校を選んだのは、もちろん平穏な生活を守るためだ。
そんな努力が功を奏し、入学当初からマスクをつけていたこともあって、私は高校では不細工だと笑われたことがない。ドジをすることはやっぱり多いけれど、容姿についてやいのやいの言われないだけで耐えられた。
高校二年生に上がる頃、マスク解禁の宣言が出た。
「あーやっとマスクから解放される!」
「運動会と文化祭も今年はやるよね?」
「修学旅行もだ! やった!」
教室中から上がる歓喜の声。私たちは中学二年生の頃からコロナで行事が潰れてきた学年なので、みんなが喜ぶのは無理もない。でも私は、熱に浮かされたみんなの声を聞かないようにして、耳を塞ぎ、マスクをつけ続けた。
「羽島ってなんでずっとマスクつけてんの」
というクラスメイトからの疑問の声も、ニュースで「マスク離れできない人が増加中」の報道がされると、次第に収まっていった。
ああ、あの子はね。
きっとコロナ禍でマスク依存症になっちゃったんだよ。
そんな噂話を耳にしたこともあるけれど、どうってことはなかった。
素顔を見られさえしなければ大丈夫。友達はあんまりいないけれど、静かな日常が送れるならそれでいい。
本気でそう、思っていた。
三年生になっても、私は相変わらずマスクをつけたまま。
今日は授業中にとんでもない声を上げてしまったけれど、普段は基本的に学校では誰とも口を利かない。社交辞令的に会話をする友達はいるけれど、仲の良い友達は一人も——。
「鈴、何ぼーっとしてんの」
放課後、後ろから声をかけられた。いつのまにか私のクラス、三年二組の教室に入ってきていたその人は、まだ春だというのに日焼けした肌がトレードマークの男の子だ。
「わ、圭っ」
幼馴染の赤城圭の気配に気づかなかった私は、振り返って圭の顔を見て驚く。
「そんなに驚くことかよ。いつにも増しておっちょこちょいだな」
「だって、新学期早々わざわざ他クラスからやって来るなんて思わないんだもん」
「何言ってんだよ。新学期だからこそだろ。どうせ鈴、まだ友達できてねーんだろ」
「うぅ……」
圭からの鋭いツッコミには、ぐうの音も出ない。彼の言う通りだ。三年生になってから一週間が経ったが、仲の良い友達は一人もいない。光が丘高校には知り合いがほとんどいないけれど、たった一人、幼稚園からの幼馴染である彼だけは、元からいた友達だ。
「まあ、鈴に友達がないのなんて、今に始まったことじゃないしな。全然気にしてねーけど」
「ひどいなぁ。ちょっとは気にしてよ」
「いやいや、自業自得だな」
へへ、と鼻の下を掻きながら私を馬鹿にする圭。圭はいつもこんな感じで私に対して少々ドライに接してくる。昔から、幼稚園での駆けっこや小学校のリレー、勉強、あらゆることに私よりも自分の方が上だと誇示してくるようなことがあった。私は勉強はまだしも運動は苦手だから、サッカー部の圭に勝てるはずがない。はなから勝負なんてしてないのに、圭は勝負事で私に勝つたびに、「俺の方が速かっただろ!」と自慢してくる。
「ねえ、わざわざ私に嫌味を言うために二組まで来たの? 用がないならもういい? 私、帰るから」
「おいおい、拗ねんなよ。帰るって言っても、家の方向同じだろ」
「圭は部活があるでしょ。サッカー部、夏の大会まで頑張るって言ってたじゃん」
「この土日に試合があったから、今日は休み。だから俺ももう帰ろうと思ってたとこ。鈴のこと、迎えに来たんだよ」
「……そんなの、いらないって」
私は、尻すぼみになりながら圭からの申し出を拒否する。
本当は圭が、軽口を叩きながらも友達のいない私のことを心配してくれているということを知っている。小学校の途中から中学校まで、私と圭は事情があって別の学校に通っていた。その間も、圭は私に何度も連絡を寄越した。そんな圭が、身の丈に合わない光が丘高校を受験したのも、私のためだって。
でも私は、逆にこれまでの人生、ずっと圭と一緒にいることで新しい友達ができなかったんじゃないかって、ちょっぴり圭のことを恨んでる。お門違いだって分かっているけれど、何か、自分以外のものに原因を求めなければ、私はいよいよ友達ができない落ちこぼれなんだって、自覚させられてしまう。
そんなの、怖いじゃないか。
「いーからいーから。ほら、とっとと帰るぞ!」
圭にお尻を鞄でばんっと叩かれる。
「うわっ!?」
バランスを崩した私は、その場で尻餅をつき、さらに身体を捻って倒れ込む。鈍い痛みがやってくると同時に、どんがらがっしゃん! と周りの椅子や机が薙ぎ倒された。その音に、まだ教室に残っていたクラスメイトたちが一斉に振り返る。
「った……」
「お、おい。鈴、大丈夫か? てか、こんなんで尻餅つくなんて、ほんとドジだな——」
圭が私の方を見て慌てて右手を差し出してきたが、その手が途中で止まる。圭の手を掴もうと思っていた私は、思わず宙を掴んだ。