公園にたどり着くと、この季節ならではの新緑の木々が、入り口から私たちを出迎えてくれた。爽やかな草木の香りが心地よい。夕暮れ時の涼しい風が身体全体を優しく包み込む。ずっと散歩をしていても気持ち良いだろうな、と思わせてくれる良い気候だ。
 公園に入り、少し歩いたところに噴水付きの泉があるから、『泉の森公園』と言うらしい。泉の周りを囲うようにして設置されたテーブルの一つを陣取って、ケーキを置いた。公園に来る途中に買って来た紙皿とフォークを広げる。

「じゃあ、開けるね」

「お願いします」

 ケーキの箱を開ける時の、あのワクワクする瞬間が好きだ。特に、誰かにケーキを買って来てもらった時はなおさら、「どんなケーキが入ってるんだろう」って楽しみになる。

「じゃーん」

 綾人くんの合図とともに開かれたケーキの箱から飛び出したのは、長方形の形をした、檸檬色のパウンドケーキだった。表面は艶のある砂糖のようなものがコーティングされていて、ケーキのてっぺんの中央には緑色のピスタチオが振り掛けられている。
 シンプルな見た目なのに、とてもジューシーなレモンの香りが一気に食欲を誘う。

「ウィークエンド・シトロンって言うんだ。名前の通り、『週末に大切な人と一緒に』食べるお菓子っていう意味の、フランスの伝統菓子だよ」

「ウィークエンド・シトロン」

 初めて聞いた名前だ。爽やかな見た目の通り、名前も爽やかで、何より『週末に大切な人と一緒に』という意味がとても好きだ。

「レモンの果汁を使って焼き上げたパウンドケーキだよ。食感はしっとりめ。周りはグラスアローでコーティングしてるから、レモンの酸味と砂糖の甘さが溶け合って、すごくしっくりくると思う」

 綾人くんの解説を聞きながら、私はお皿に取り分けたウィークエンド・シトロンを一口かじる。途端、口の中いっぱいにじゅわりと広がるレモンの風味が、身も心も幸せな気分にさせてくれた。彼の言う通り、レモンの酸味と砂糖の甘みがほどよく調和していて、とても美味しい。さっぱりとした味わいなので、甘すぎないところも好感が持てた。

「これ、すごく美味しい! 香りも良くて、何よりレモンの味が大好き。すっきりしていて、食べ応えもあって。すごい、プロのパティシエってこんなに素敵なケーキをたくさん作れるんだね!」

 ほっぺたが溶けそうなほど大好きなケーキの味について、言葉がするすると溢れて止まらなかった。
 綾人くんが、そんな私の反応を見て、目を大きく開く。やがて、「実はさ」と徐ろに口を開いた。

「このケーキ、作ったの、俺なんだ」

「え!?」

 衝撃的な発言に、ケーキを口に運んでいた手を止める。

「さっき、店長がくれたって言ってなかった?」

「うん、ごめん。それは嘘。これさ、今日家で俺が焼いてきたケーキなんだ。鈴ちゃんに、食べて欲しくて」

 なんと!
 これを、綾人くんが作った?
 こんなに美味しいケーキを、自分一人で?
 口の中に広がる甘いケーキの味が、先ほどよりも一層甘く感じられる。ごくりと唾を飲み込んだ私は、咄嗟に綾人くんの手を握っていた。

「ねえ、すごい! これめちゃくちゃ美味しいよ! 綾人くんが作ったって聞いて、もっと美味しくなった! 天才すぎ、こんな素敵なケーキなら毎日食べたいっ」

 感極まった私が、綾人くんの手を握りながらぶんぶん彼の手を振り回す。
 綾人くんの瞳が大きく揺れる。恥ずかしそうな、だけどやっぱり嬉しそうな表情を浮かべて、向日葵みたいな笑顔を咲かせた。

「ありがとう。そう言ってもらえると、すごく嬉しい。食べてもらうまで不安だったから、つい店長から、なんて言っちゃって。俺、まだ素人中の素人だからさ」

「そんなことない。確かに綾人くんはまだ修行中なのかもしれないけど、これは絶対プロになれる味だよ。私が保証する! って、私の保証じゃ全然当てにならないか」

 自分で言っておきながら、無責任だったかなと反省する。
 しかし綾人くんは私の心配とは裏腹に、満足そうな笑顔をこぼした。

「はは、嬉しいよ。鈴ちゃんに保証されたなら、世界一信じられる。俺はこれからももっと、鈴ちゃんに喜んでもらえるケーキを作るから。そしていつか立派なパティシエになってみせる!」

「うん! 綾人くんならできるよ」

 私は全力で、彼の夢を応援したい。
 こんなに美味しいケーキを、私が独り占めするなんてもったいない。もっと、たくさんの人に彼の作ったケーキを食べて欲しい。
 私が失いつつある光を、綾人くんが見せてくれる。
 だから私は、この目に映る世界がどんどん小さくなっていっても、彼が夢を追いかける姿を心の目で見ていたいと思った。