教室の扉を思い切って開ける。クラスメイトの顔が一斉にこちらを向いた。私はそれぞれの視線を、じっと見つめ返した。
「……」
久しぶりに教室に現れた私を見たクラスメイトたちの視線が、分かりやすく揺れている。凪いでいた教室の空気がざわざわと不自然に動き出すのを感じる。誰も何も言葉を発していないのに、全員の気持ちが手に取るように分かった。
うわ、羽島じゃん。学校来たんだ。
突然どうしたんだろうね。
しかも、マスクしてないし。やっぱりあの鼻と口は見苦しいわ。
聞こえないはずの心の声が頭に響いて、私は咄嗟にぎゅっと両目を瞑る。落ち着け、鈴。大丈夫だ。心に思い浮かんだのは、柔らかく微笑む綾人くんの顔。胸に手を当てて、呼吸を整える。ゆっくりと瞼を持ち上げて、今まさに私の挙動を見守っているクラスメイトたちにひとこと。
「おはよう」
と、声を張った。
先ほどよりももっと激しく揺れる教室の空気。でも、今までとは明らかに違う。以前なら、私の挙動不審な態度や醜い容姿を目にしたクラスメイトが、陰で私を嘲笑していた。隣の人とあれこれと囁き合い、時々私に痛い視線を送る。そういう空気に慣れていた。
でも、今日は違った。
「お、おはよう」
クラスで一番元気のいい女の子が、挨拶を返してくれたのだ。
彼女の挨拶を皮切りに、みんなが口々に「おはよう」と声を上げる。
「おはよー。なんか雰囲気変わったね」
「久しぶりだけど大丈夫?」
「そういえば、席替えしたから、羽島の席はあっちだよ」
良い意味で、マスクを取り、堂々とした態度をとっている私を物珍しく思ったのか、声をかけてくれる人が多かった。私は、信じられない気分でみんなの言葉を受け止める。
そうか。こんなに簡単なことだったんだ。
誰かに天然だとかドジだとか、不細工だとか揶揄われて、殻にこもっていた私。
でも、私自身が堂々と胸を張っていれば、やっかみを言われることもなかったんだ。
これまで、陰口を言われる原因が自分にあったことを悟って、もったいないことをしたと思った。
さすがに全員とまでは言わないけれど、それでも半分くらいのクラスメイトが普通に接してくれたことが嬉しかった。
綾人くん、私、上手くやれそうだよ。
全部綾人くんのおかげだ。
彼が私を外の世界に連れ出して、お洒落をして美しくなれることを教えてくれた。綾人くんが私を変えてくれた。化粧もしていない、制服姿の自分に戻っても、前よりずっと未来が明るく見える。視界は狭くなっていくのに、光が差している。こんなふうに思わせてくれ
た綾人くんは、やっぱりすごい人だ。
昼休み、私はスマホで綾人くんにメッセージを送った。【久しぶりに、マスクを外して学校に行ったよ。みんなが声をかけてくれて嬉しかった】って。今日はバイトの日だから、いつ見てくれるか分からないなあ、なんて思っていたら、三分後に返信が来た。
【おお、すごいじゃん鈴ちゃん。やればできる子】
綾人くんが、私の頭を撫でてくれる。そんな想像までしてしまって、一人で顔が熱くなっていた。
【ありがとう。綾人くんのおかげだよ。これからも頑張る】
素早く返信を打つと、スマホをポケットにしまう。タイミングを見計らったかのように、「なにニヤニヤしてんだ?」と後ろから声をかけられた。
「圭、びっくりした!」
「お前っていっつも俺が来ると驚いてんな」
「うー、だって急なんだもん。こっちだって心の準備が……」
私は、先ほど綾人くんとやりとりをしていたスマホを見られなくて良かったとほっとした。圭は何かを察しているような気もするけれ
ど。
「で、何の用?」
「そりゃ、久しぶりに登校した鈴が、ちゃんと学校生活を送れてるか、見張に来たんだよ」
「ぷっ」
「おい、なんで笑うんだ!」
「だって、見張って……。素直に心配だって言ってくれればいいのに」
まったく、圭は素直じゃないなあ。
でも、心配して覗きに来てくれたことには彼の不器用な優しさを感じる。
「ありがとう、圭」
いつもとは違って、私の方は素直な気持ちが口から出てきた。心なしか、圭の顔がほんのり赤く染まる。熱でもあるのだろうか。まあ、圭はいつでも血気盛んだから、微熱ぐらいあっても不思議じゃないか。
「あーなんかもう大丈夫そうだな。じゃ、俺はとっとと自分のクラスに戻りますよ」
「うん。たくさん心配かけてごめんね。本当に感謝してる」
「無理すんなよ。あ、あとさ、鈴。あの男と——」
圭が何かを言いかけたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
圭は、「なんでもない」と咄嗟に口を噤んで、二組の教室から去っていく。
彼が何を言おうとしていたのか、なんとなく察しはついた。でも、圭が最後まで言葉を発しなかったのだから、今聞き返す必要はないと思う。
「……」
久しぶりに教室に現れた私を見たクラスメイトたちの視線が、分かりやすく揺れている。凪いでいた教室の空気がざわざわと不自然に動き出すのを感じる。誰も何も言葉を発していないのに、全員の気持ちが手に取るように分かった。
うわ、羽島じゃん。学校来たんだ。
突然どうしたんだろうね。
しかも、マスクしてないし。やっぱりあの鼻と口は見苦しいわ。
聞こえないはずの心の声が頭に響いて、私は咄嗟にぎゅっと両目を瞑る。落ち着け、鈴。大丈夫だ。心に思い浮かんだのは、柔らかく微笑む綾人くんの顔。胸に手を当てて、呼吸を整える。ゆっくりと瞼を持ち上げて、今まさに私の挙動を見守っているクラスメイトたちにひとこと。
「おはよう」
と、声を張った。
先ほどよりももっと激しく揺れる教室の空気。でも、今までとは明らかに違う。以前なら、私の挙動不審な態度や醜い容姿を目にしたクラスメイトが、陰で私を嘲笑していた。隣の人とあれこれと囁き合い、時々私に痛い視線を送る。そういう空気に慣れていた。
でも、今日は違った。
「お、おはよう」
クラスで一番元気のいい女の子が、挨拶を返してくれたのだ。
彼女の挨拶を皮切りに、みんなが口々に「おはよう」と声を上げる。
「おはよー。なんか雰囲気変わったね」
「久しぶりだけど大丈夫?」
「そういえば、席替えしたから、羽島の席はあっちだよ」
良い意味で、マスクを取り、堂々とした態度をとっている私を物珍しく思ったのか、声をかけてくれる人が多かった。私は、信じられない気分でみんなの言葉を受け止める。
そうか。こんなに簡単なことだったんだ。
誰かに天然だとかドジだとか、不細工だとか揶揄われて、殻にこもっていた私。
でも、私自身が堂々と胸を張っていれば、やっかみを言われることもなかったんだ。
これまで、陰口を言われる原因が自分にあったことを悟って、もったいないことをしたと思った。
さすがに全員とまでは言わないけれど、それでも半分くらいのクラスメイトが普通に接してくれたことが嬉しかった。
綾人くん、私、上手くやれそうだよ。
全部綾人くんのおかげだ。
彼が私を外の世界に連れ出して、お洒落をして美しくなれることを教えてくれた。綾人くんが私を変えてくれた。化粧もしていない、制服姿の自分に戻っても、前よりずっと未来が明るく見える。視界は狭くなっていくのに、光が差している。こんなふうに思わせてくれ
た綾人くんは、やっぱりすごい人だ。
昼休み、私はスマホで綾人くんにメッセージを送った。【久しぶりに、マスクを外して学校に行ったよ。みんなが声をかけてくれて嬉しかった】って。今日はバイトの日だから、いつ見てくれるか分からないなあ、なんて思っていたら、三分後に返信が来た。
【おお、すごいじゃん鈴ちゃん。やればできる子】
綾人くんが、私の頭を撫でてくれる。そんな想像までしてしまって、一人で顔が熱くなっていた。
【ありがとう。綾人くんのおかげだよ。これからも頑張る】
素早く返信を打つと、スマホをポケットにしまう。タイミングを見計らったかのように、「なにニヤニヤしてんだ?」と後ろから声をかけられた。
「圭、びっくりした!」
「お前っていっつも俺が来ると驚いてんな」
「うー、だって急なんだもん。こっちだって心の準備が……」
私は、先ほど綾人くんとやりとりをしていたスマホを見られなくて良かったとほっとした。圭は何かを察しているような気もするけれ
ど。
「で、何の用?」
「そりゃ、久しぶりに登校した鈴が、ちゃんと学校生活を送れてるか、見張に来たんだよ」
「ぷっ」
「おい、なんで笑うんだ!」
「だって、見張って……。素直に心配だって言ってくれればいいのに」
まったく、圭は素直じゃないなあ。
でも、心配して覗きに来てくれたことには彼の不器用な優しさを感じる。
「ありがとう、圭」
いつもとは違って、私の方は素直な気持ちが口から出てきた。心なしか、圭の顔がほんのり赤く染まる。熱でもあるのだろうか。まあ、圭はいつでも血気盛んだから、微熱ぐらいあっても不思議じゃないか。
「あーなんかもう大丈夫そうだな。じゃ、俺はとっとと自分のクラスに戻りますよ」
「うん。たくさん心配かけてごめんね。本当に感謝してる」
「無理すんなよ。あ、あとさ、鈴。あの男と——」
圭が何かを言いかけたところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
圭は、「なんでもない」と咄嗟に口を噤んで、二組の教室から去っていく。
彼が何を言おうとしていたのか、なんとなく察しはついた。でも、圭が最後まで言葉を発しなかったのだから、今聞き返す必要はないと思う。