「……え?」

 透明な声が降ってきた。押し出されていた感情の波が、彼の一言にすっと持っていかれる。
 彼は、今なんて……?
 確か、好きだって。
 私が中原さんに言おうとしたことを、どうして先に彼が——。
 混乱する私をよそに、彼は続けた。

「俺は、鈴ちゃんがこの先どうなろうとも、鈴ちゃんのことが好きだ。出会って間もないけど、どうしよもなく惹かれてしまったんだ。鈴ちゃんがおしゃれをして綺麗になった姿が最高に可愛くて。俺の作ったケーキを褒めてくれたのもすっげえ嬉しかった。だから好きになった。期間なんて関係ない。俺は正真正銘、鈴ちゃんが好きなんだ」

 好きという言葉を、躊躇いもなく何度も発する彼がまぶしくて、胸がきゅっと鳴って、さっきまで絶望しかなかった現実に、一筋の光が差した。

「中原さん……わ、私も。私も、好きです」

 生まれて初めて、人を好きになった。
 高校を中退して、ケーキ屋で修行をしている同級生の彼と出会って、私は変わった。
 自分は自分で思っているよりもずっと魅力的で、容姿なんか気にすることないって思わせてくれた。
 学校に行けなくなった私の手を取り、外の世界に連れていってくれる。彼の太陽みたいな明るさと砂糖菓子みたいな優しさが好き。
 彼と同じ気持ちでいたことが、こんなにも嬉しいなんて。
 真っ暗闇だった私の現実を、黄昏時の夕陽みたいにまばゆく照らしてくれるなんて。
 一体どうして予想できただろうか。

「それは嬉しいよ。じゃあ俺たち、今日から恋人同士だな」

「恋人……」

 ドラマや漫画の世界でしか聞いたことのない、甘い関係。
 まさか、自分の人生で恋人ができるなんて思ってもみなかった。
 中原さんは慣れているようだったけれど、よく見ると耳まで真っ赤に染まっている。意外と初めてだったりして——なんて考えて、やっぱり首を振る。この人が今までモテてこなかったはずがない。私はきっと初めての恋人ではない。でも、今この瞬間に彼と繋がれたことは嬉しかった。

「鈴ちゃん。今日から俺がそばで見守るから。俺が鈴ちゃんの光になるから。だからどうか、下を向かないでほしい。光が必要になったら俺を呼んで。ピアノだって辞めないで。俺は、いつまでも鈴ちゃんと同じ景色を見たい」

「中原さん……綾人、くん」

 大切な人の愛しい名前が、自然と口から溢れ出ていた。中原さん——綾人くんが息をのむ気配がする。黄金色の景色と同化するように、彼の顔も真っ赤に染まっていく。きっと私の顔だって、同じだろう。今の私の心の色を、そのまま投影させたような情熱的な色合いに、愛しさで胸がいっぱいになった。

「ありがとう、綾人くん。私、どんどん目が見えなくなるのが怖くてたまらなかったけど、綾人くんの隣にいられるなら、頑張れる気がする。今すぐ失うわけじゃないもんね。取り乱してごめんなさい。私は、今しか見えない光を、追いかけるよ」

 つい先程まで、不安で暗黒色に染まっていた胸の内が、もうこんなにも透明に輝いている。
 私の決意を聞いた綾人くんの表情が、まばゆい光に溶け、かろうじて見えていた頬と顎の輪郭から、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

「……綾人くん大丈夫?」

 何か私が不用意な発言をしてしまったのではないかと焦った。でも、綾人くんはゆっくりと首を横に振る。

「違う。違うんだ。みっともないとこ見せてごめん。鈴ちゃんは、ちゃんとここにいるんだって、思えたから」

 彼の言葉には、私が今隣にいること以外に、何か別の意味が含まれているような気がして気になった。だけど、今の私たちの間に、余計な言葉は必要ない。
 今は、今だけは。
 心の底から愛しい人と繋がれた奇跡を、一心に感じていたいから。

「いるよ、私はここにいる。これからもずっと、綾人くんのそばにいるから」

 誰かの特別になりたいだなんて、願ったことは一度もなかった。
 でも、今は強く思う。
 私は綾人くんの特別になりたい。
 自分の中に、こんなに切なくて揺るぎのない感情が芽生えるなんて思ってもみなかった。お母さんから見捨てられ、クラスメイトから馬鹿にされてきた人生だったから。自分は誰の特別にもなれないんだと諦めていた。
 もう諦めたくない。
 きみという光に出会ってしまったから。

 夕暮れの空はいつのまにか群青色が混ざった幻想的な色に変わっていた。移りゆく空を見上げながら、生まれてから今日が一番幸せな日だと思う。この幸せが、どうかいつまでも続きますようにと祈っていた。