いつのまにかぐっすり眠っていた。朝、窓から差し込む陽光の眩しさに目を覚ます。やってきた看護婦に血圧や体温を測ってもらい、特に異常がないとのこと。目の検査は、お昼過ぎに行われることになった。

「鈴ちゃん、調子はどう?」

「差し入れにプリン買ってきたぞ」

 味気のない病院食を食べ終えると、伯母さんと伯父さんが早速病室に顔を覗かせた。検査の時間を事前に連絡しておいたので、定刻に来てくれたのだ。

「特に何もないよ。目は……昨日と変わらない」

 視界の端がぼやけて見える。もう勘違いではない。伯母さんたちの表情が固く引き締まるのが分かった。

「羽島さん、今から診察を行いますので、診察室に行きましょう」

 再びやってきた看護婦にそう告げられて、私は伯母さん、伯父さんと共に診察室に向かう。

「それじゃあ今から始めますね。リラックスしておいてください」

 足立先生に言われるがままに、目を開いて検査を受けた。とても、リラックスはできない。検査自体は簡単なものだったが、写真を撮影されたり、見え方を確認するためボタンを持たされたりと、特殊なものが多かった。
 一通り検査が終わると、一度診察室から出た。三十分ほどして再び診察室に呼ばれる。私は、覚悟を決めてもう一度先生の前に座った。

「結果が出ました。羽島さん、やはり網膜色素変性症かと思われます」

「……そうですか」

 覚悟はしていた。でも、いざはっきりと現実を突きつけられると、全身の震えが止まらなかった。

「網膜色素変性症は十年、二十年といった長いスパンでゆっくり進行していきます。羽島さんの場合は、幼少の頃から症状が出ていたとのことなので、少し進行が早い可能性があります。……厳しいですが、将来失明してしまう可能性も考えた方が良いかもしれません」

「失明……」

 昨日、足立先生から同じワードを聞いた時とはまた違う、差し迫った恐怖に心臓を包丁で刺されたような心地がした。昨日は、まだ不確定な事実として聞いただけだが、今は違う。現実に、自分の身に起こるかもしれないんだ……。
 一度浴びせられた恐怖は、簡単には治らない。何か、ないの? なんでもいい。安心できる言葉がほしい。でも、乾いた自分の口から、どんな言葉も出てこない。苦しい。誰か、助けて……。

「先生、鈴ちゃんの病気は治るんですか……?」

 伯母さんが不自然に声を揺らしながら尋ねた。私ははっと身を固くする。そうだ、治療法。何か、病気を治す方法があるはずだ。

「……残念ながら、今のところ根本的な治療法はありません。症状の進行を遅らせることを期待して薬の内服を勧めることもありますが、それも確実ではないんです」

「そんな……」

 絶望の色を孕んだ声が、私のなのか、伯母さんのなのか、はたまた伯父さんのなのか、分からない。誰もかも、このどうしようもな
い現実に打ちのめされていた。

「この病気はほとんどが遺伝性なので、ご家族に同じ病気の人がいる可能性が高いのですが、そういった話は聞いていませんか?」

 足立先生が私に向き直り、真剣な表情で尋ねる。
 遺伝性。家族で同じ病気。
 私は、母・陽子の顔を思い浮かべたが首を横に振った。
 母からそんな病気の話は聞いたことがない。父に至っては幼い頃に離婚しているから分からないし……。祖父母も遠方に住んでいるため、ほとんど交流がない。思い当たる人物という人物はいなかった。伯母さんたちも怪訝そうな表情を浮かべている。

「そうですか。まあとにかく、経過観察をしながら、なるべく症状を抑えられるように薬を出しておきますね。今後見えにくくなれば、白杖を勧めることもあるかもしれません。ひとまず様子を見ましょう」

「分かりました。先生、よろしくお願いします」

 かろうじて冷静に頭を下げると、私たちはそろって診察室を後にした。きっと先生も、治療法がなくて悔しいのだろう。治らない、と言われたことはショックだが、そのことについて詰め寄る気にはなれない。
 私は看護婦からの連絡で、今日の診察をもって退院することになった。伯父さんが運転する車に乗り、家に帰る。車窓から、後ろへと流れていく街の景色をぼんやりと眺めた。視界の端はやっぱり見えない。街に存在するあらゆる看板の文字が読めないことに気づいてからは、窓の外を見ることをやめた。
 その日、家に帰ってから、ろくに食事もとれなかった私を、そっとしておいてくれた伯母さんと伯父さんに感謝しながら眠った。