【まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。】


「まず、座高が高く、胴長に見えるので、『やっぱりだったか』と、がっかりする。それに次いで、異様なのは、鼻であった。自然に目がそこへいってしまう。普賢菩薩の乗物かと思う。すごく高くのびて、先っぽが少し垂れて色づいているのが、とりわけ異様で不快だった。肌の色は雪のように白く青みがかっていて、額はかなり広く、顔の下の方はおそろしく長いだろうと思われた。痩せていて、いたましいほど骨ばっていて、肩のあたりなどは、痛々しく衣の上から見えるほどであった」

 春、教室のひなたの席は私にとって、いちばん心がゆるんでしまう場所だ。うつらうつらと夢と現実を行ったり来たりする。マスクをつけているせいで、顔周りもぼんやりと熱を帯びていた。古文の先生が読み上げる「源氏物語 第六帖 末摘花」が、これでもかというくらい、最高の睡眠導入BGMである……はずだった。

「え、えええええ!?」

 あまりに衝撃的な現代語訳が降ってきて、私は思わずガバッと身体を起こした。眠気を覚ますツボを押されたみたいに、ぴいぃんと脳髄まで神経が立ち上がる。

羽島(はしま)、どうした?」

 現代語訳を読んでいた畠山(はたけやま)先生が、訝しげな表情で私を見やる。
 当然のことながら、教室中の人間の視線が私の方へと向けられる。眠たそうな目をしている人もいるけれど、みんなの視線は化け物でも目にしてしまったかのように冷たかった。
 熱い。自分が犯した過ちに、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。
 突然叫び声を上げるなんて、奇行にもほどがある。

「す、すみませんっ」

 普段、大人しく過ごしてる私が、こんなふうに授業中に大声を上げたことに、教室中でクスクスと嗤う声が聞こえる。思ったよりも心のダメージが大きくて、私はしゅんと肩を落とした。耳まで熱くなってしまった顔を、誰かに見られないように視線を伏せる。先生の解説が、右耳から左耳へと通り抜けていく。
 その間も、さっき先生が読み上げた末摘花の容姿に関する現代語訳が、頭の中で反響していた。
 鼻が異様に高く、先っぽが垂れて色づいている。
 額も広くて、顔の下の方は恐ろしく長い。
 痩せていて、痛ましいほど骨ばっている……。
 源氏物語に出てくる女性たちは、みんな一様に綺麗なのだと思っていた。あれだけモテモテの光源氏が想いを寄せる相手はそうであるはずだって。もちろん、末摘花もとびきりの美人で、源氏が思い入れるに値する女性であってほしい——そんな、私の妄想が一気に打ち砕かれたのだ。
 まさか、そんなまさか。
 源氏に見染められた末摘花が、こんなふうにひどい表現をされるほど、不細工だったなんて——。
 その時、頭上から授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、私は現実へと引き戻される。少し遅れて、古文のテキストとノートを机の中にしまった。

「いって、羽島、足踏むなよ」

「えっ、あ、ごめんなさい」

 気づかないうちに、隣の席の男子の足を踏んでしまい、ぺこぺこと頭を下げる。
 どうしよう。またやってしまった。
 高校三年生になったばかり。新しいクラスで、まだクラスメイトの名前すら覚えられていないのに。私は、三年生が始まってこの一週間、ドジをして周りの人たちに迷惑をかけっぱなしである。

「お前、昨日は俺の方に消しカス飛ばすし、俺の机の足に躓くし、どうかしてるぞ。めちゃくちゃおっちょこちょいだな」

「本当にごめん……」

 これでも、注意している方なのだ。
 幼い頃から、私は何もないところで転んだり、段差につまずいたり、机の角で足をぶつけたりと、ドジをすることが多かった。

(すず)ちゃんって、天然なの? よく転ぶよね」

 小学校の頃の友達は私のドジな性質を「天然」だと揶揄した。

「え、そうかな? 天然なのかな、私」

 その頃の私は、「天然」という言葉の裏に潜む、密かな悪意について、気づいていなかった。

「うん、天然。てかそういうところがやっぱり天然!」

 その友達——確か、名前はあまねちゃん、だっただろうか。あまねちゃんは次の日には周りの友達に「鈴ちゃんは天然でドジ」と言いふらし、私は学校公認の「天然ドジ」の女の子になった。
 でも、小学生の時はまだ、それぐらいの嫌がらせで済んだ。
 中学生に上がると、私は見た目の悪さを陰で叩かれるようになっていた。

「羽島さんってさ、鼻が異常にデカくない?」

「そうそう、それあたしも思ってた。よかった、みんなはなんとも思わないのかなって思ってたから」

「てかさ、鼻だけじゃなくて口も変だよ。バランスが悪い」

「言えてる」

 プールの更衣室で自分の容姿について悪口を言われているのを聞いた私は、その日生理だと嘘をついてプールの授業を休んだ。
 ドジで天然で見た目も悪い。
 長い時間をかけて背中にペタペタとシールを貼られていくみたいに、周りから色んなネガティブなレッテルを貼られ続けた。
 これ以上、誰にも悪口を言われたくない。
 当然の願いは、多感な時期にある中学生の子供たちの前では無力化した。
 女子トイレで、教室の隅で、移動教室の途中で、自分の悪口がずっと耳に付きまとう。私の容姿や性質について、悪く思っていない人たちからの視線さえ、気になって仕方がなかった。
 私はこうして自分の殻にどんどん閉じこもるようになってしまった。