「い、行きましょう」
震えないように、精一杯お腹から声を出したつもりだった。でも、努力虚しく上擦った声が店内に響いて恥ずかしい。
繋がれた手の温かさを感じていると、自分の手から妙に汗が吹き出しているのが分かった。うう、これじゃ汗臭いやつだと思われちゃう。
だがそんな私の心配をよそに、中原さんはどんどん前へと歩いていく。エスカレーターに乗って一階まで降りると、化粧品コーナーで立ち止まった。
「鈴ちゃん、メイクしたらもっと大人っぽくなると思うんだけど、どう?」
「え、ええ!?」
まさかの展開に、素っ頓狂な悲鳴をあげる。私の反応が面白かったのか、彼はクククとお腹を抱えて笑った。
「メイクなんて、したことありません。それに私、この顔だし……」
今も着けているマスクの上から、口元にそっと触れる。ずっとコンプレックスだった鼻と口。メイクをするということは、苦手な自分の顔をよそ様に晒すことになるのだ。
いやだ。怖い。だってまた、不細工だって笑われちゃう……。
全身に拒絶の波が駆け巡る。血液がざわざわと波打つように、恐怖心が全身を支配した。たとえ夜の闇の端っこでも、誰かに素顔を曝け出すのはいやだった。
立ちすくんでいる私を見て、中原さんが繋いでいた手を離す。その手を私の背中にそっと触れた。
「大丈夫。鈴ちゃんは不細工なんかじゃない。俺が保証する」
根拠なんてどこにもないのに、まるでそれが世界の真理とでも言うように、自信に満ち溢れた声でそう告げられた。彼の魔法のような一言に、閉じこもっていた殻が思い切り砕かれる。
「……分かりました。挑戦してみます」
気がつけば一歩、足を踏み出していた。
中原さんの言葉に押され、彼のことを信じて、とある化粧品店に入る。テレビCMで多くの有名人を起用しているコスメブランドだ。
「いらっしゃいませ。今日は何かお探しですか?」
「えっと……あの……」
「この子にメイクをしてあげて欲しいんです! 初めてなので、使い方やおすすめ商品も教えていただけると助かります」
何を言おうかと迷っている私の隣で、大声で宣言して頭を下げる中原さん。なんという行動力だろう。私は慌てて、彼と同じ角度で頭を下げた。
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
アパレル店の時と同じで、私たちを恋人同士だと思っている様子の店員さんが、にっこりと笑って私を鏡の前の椅子に案内した。緊張しながらマスクを外すと、鏡には大きな鼻と小さめの口がバランス悪く映っている。見慣れた自分の顔なのに、やっぱり鏡の前で向き合うと憂鬱な気分になった。でも、そんな私の素顔を見ても店員さんは表情ひとつ変えない。内心ほっとしつつ、どうなるんだろうとドキドキしている。後ろで私を見守ってくれている中原さんの姿が鏡に映り込んでいた。
それからの時間は、まるで魔法にかかったみたいだった。
慣れた手つきで店員さんが私の顔に化粧水や美容液を塗っていく。下地やファンデーションは、いろんなタイプがあるからと、実際に商品を見せながら説明してくれた。アイブロウにマスカラをして、鏡の前で色づいていく私の顔。信じられない。私の目、こんなに大きかったっけ? まつ毛だってこんなに長くなるの? 変わっていく自分の顔に、ときめきと興奮が止まらなかった。
「しっかりしたお鼻をされているので、シェーディングは必要ないかもしれませんね。ハイライトだけ入れておきます。お口は上品で可愛らしいです。ピンクのリップがお似合いですね。羨ましいです」
優しく微笑んで私の鼻や口元を手入れしてくれる店員さんの言葉が、胸にすとんと落ちてきた。
「はい、これで出来上がりです。いかがですか?」
鏡に映り込んだ新しい自分の顔を見て、まるでおとぎ話のお姫様にでもなった気分だった。
「これが私……?」
鏡に向かって「誰?」と問いかけたくなるぐらい、見知った自分の顔とは違う美しい顔。もちろん、クラスで一番可愛い子なんかには絶対に敵わないけれど、これまでマスクでひた隠しにしていた鼻や口までもが、じっと見ていたいぐらい潤いに満ちていた。
「いいじゃん! すごく綺麗だ」
振り返った先で私を見守ってくれていた中原さんの顔に、満面の笑みが広がる。私は上気した頬が、チークで隠れていて良かったとほっとした。
「今使った化粧品、すべてください」
気づいた時には中原さんが先に店員さんに声をかけていた。
「は、はい。ありがとうございます。すぐにご用意しますね」
まさかの化粧品大人買いという決断に、店員さんも戸惑っている様子だ。私は、中原さんに「いいんですか」と視線を送る。彼はニコニコとやっぱり嬉しそうな顔で頷いていた。
丁寧に包まれた化粧品の数々を、店員さんが高級そうな紙袋に入れていく。私はごくりと生唾を飲み込んで、化粧品たちが中原さんの手に渡るのを見ていた。
「はい、これもプレゼント。いやー来て良かった」
「やっぱり悪いです。さっきの洋服代と一緒に私が——」
「いいっていいって。こんなに可愛くなった鈴ちゃんを独り占めさせてもらえるお礼」
「独り占めって……!」
私の慌てふためく反応が面白かったのか、中原さんはお腹を抱えてケタケタと笑っている。なんだかはめられたような気がして、「ひどいです!」と言ってしまった。それでも彼は、スタンスを崩さない。私はついにぷいと彼から顔を背けて一人、歩き出す。
震えないように、精一杯お腹から声を出したつもりだった。でも、努力虚しく上擦った声が店内に響いて恥ずかしい。
繋がれた手の温かさを感じていると、自分の手から妙に汗が吹き出しているのが分かった。うう、これじゃ汗臭いやつだと思われちゃう。
だがそんな私の心配をよそに、中原さんはどんどん前へと歩いていく。エスカレーターに乗って一階まで降りると、化粧品コーナーで立ち止まった。
「鈴ちゃん、メイクしたらもっと大人っぽくなると思うんだけど、どう?」
「え、ええ!?」
まさかの展開に、素っ頓狂な悲鳴をあげる。私の反応が面白かったのか、彼はクククとお腹を抱えて笑った。
「メイクなんて、したことありません。それに私、この顔だし……」
今も着けているマスクの上から、口元にそっと触れる。ずっとコンプレックスだった鼻と口。メイクをするということは、苦手な自分の顔をよそ様に晒すことになるのだ。
いやだ。怖い。だってまた、不細工だって笑われちゃう……。
全身に拒絶の波が駆け巡る。血液がざわざわと波打つように、恐怖心が全身を支配した。たとえ夜の闇の端っこでも、誰かに素顔を曝け出すのはいやだった。
立ちすくんでいる私を見て、中原さんが繋いでいた手を離す。その手を私の背中にそっと触れた。
「大丈夫。鈴ちゃんは不細工なんかじゃない。俺が保証する」
根拠なんてどこにもないのに、まるでそれが世界の真理とでも言うように、自信に満ち溢れた声でそう告げられた。彼の魔法のような一言に、閉じこもっていた殻が思い切り砕かれる。
「……分かりました。挑戦してみます」
気がつけば一歩、足を踏み出していた。
中原さんの言葉に押され、彼のことを信じて、とある化粧品店に入る。テレビCMで多くの有名人を起用しているコスメブランドだ。
「いらっしゃいませ。今日は何かお探しですか?」
「えっと……あの……」
「この子にメイクをしてあげて欲しいんです! 初めてなので、使い方やおすすめ商品も教えていただけると助かります」
何を言おうかと迷っている私の隣で、大声で宣言して頭を下げる中原さん。なんという行動力だろう。私は慌てて、彼と同じ角度で頭を下げた。
「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」
アパレル店の時と同じで、私たちを恋人同士だと思っている様子の店員さんが、にっこりと笑って私を鏡の前の椅子に案内した。緊張しながらマスクを外すと、鏡には大きな鼻と小さめの口がバランス悪く映っている。見慣れた自分の顔なのに、やっぱり鏡の前で向き合うと憂鬱な気分になった。でも、そんな私の素顔を見ても店員さんは表情ひとつ変えない。内心ほっとしつつ、どうなるんだろうとドキドキしている。後ろで私を見守ってくれている中原さんの姿が鏡に映り込んでいた。
それからの時間は、まるで魔法にかかったみたいだった。
慣れた手つきで店員さんが私の顔に化粧水や美容液を塗っていく。下地やファンデーションは、いろんなタイプがあるからと、実際に商品を見せながら説明してくれた。アイブロウにマスカラをして、鏡の前で色づいていく私の顔。信じられない。私の目、こんなに大きかったっけ? まつ毛だってこんなに長くなるの? 変わっていく自分の顔に、ときめきと興奮が止まらなかった。
「しっかりしたお鼻をされているので、シェーディングは必要ないかもしれませんね。ハイライトだけ入れておきます。お口は上品で可愛らしいです。ピンクのリップがお似合いですね。羨ましいです」
優しく微笑んで私の鼻や口元を手入れしてくれる店員さんの言葉が、胸にすとんと落ちてきた。
「はい、これで出来上がりです。いかがですか?」
鏡に映り込んだ新しい自分の顔を見て、まるでおとぎ話のお姫様にでもなった気分だった。
「これが私……?」
鏡に向かって「誰?」と問いかけたくなるぐらい、見知った自分の顔とは違う美しい顔。もちろん、クラスで一番可愛い子なんかには絶対に敵わないけれど、これまでマスクでひた隠しにしていた鼻や口までもが、じっと見ていたいぐらい潤いに満ちていた。
「いいじゃん! すごく綺麗だ」
振り返った先で私を見守ってくれていた中原さんの顔に、満面の笑みが広がる。私は上気した頬が、チークで隠れていて良かったとほっとした。
「今使った化粧品、すべてください」
気づいた時には中原さんが先に店員さんに声をかけていた。
「は、はい。ありがとうございます。すぐにご用意しますね」
まさかの化粧品大人買いという決断に、店員さんも戸惑っている様子だ。私は、中原さんに「いいんですか」と視線を送る。彼はニコニコとやっぱり嬉しそうな顔で頷いていた。
丁寧に包まれた化粧品の数々を、店員さんが高級そうな紙袋に入れていく。私はごくりと生唾を飲み込んで、化粧品たちが中原さんの手に渡るのを見ていた。
「はい、これもプレゼント。いやー来て良かった」
「やっぱり悪いです。さっきの洋服代と一緒に私が——」
「いいっていいって。こんなに可愛くなった鈴ちゃんを独り占めさせてもらえるお礼」
「独り占めって……!」
私の慌てふためく反応が面白かったのか、中原さんはお腹を抱えてケタケタと笑っている。なんだかはめられたような気がして、「ひどいです!」と言ってしまった。それでも彼は、スタンスを崩さない。私はついにぷいと彼から顔を背けて一人、歩き出す。