「ありがとう! ねえ、またこんなふうに話してもいい? 俺、鈴ちゃんのこと誘っちゃうかも」

「だ、大丈夫です。私の方こそ、また話したい、です……」

 恥ずかしくて中原さんを直視しては言えなかった。それでも彼は、にっこりと笑って、よかったーと大袈裟に喜んでくれた。
 どうしてなんだろう。
 どうして中原さんはそこまでして私と——。

「それじゃあ、もう夜も遅いから帰ろうか。駅まで送るよ」

「ありがとうございます」

 帰ろう、と言われた時、どうしてか胸がきゅっと締め付けられるように切ない心地がした。もっと、一緒にいたい。彼と話していたい。潜在意識のもとで、私の心がそう叫んでいる。まだ出会って間もない彼に、こんな気持ちを抱くなんてどうかしている。
 夜の闇に沈む街を見下ろしながら坂道を下っていく。途中、中原さんは『Perchoir』での失敗談を面白おかしく語ってくれた。私はずっと、隣で笑いを堪えきれない。こんなふうに心の底から笑ったのはいつぶりだろう。凍りついていた気持ちがすっと溶けていくみたいに。夜の闇に紛れて、私の耳が赤くなっていることに気づかれないで良かった。

「あ、いたっ」

 坂道を歩いている途中、大きな石に躓いて、私はカクンと膝を折った。やってしまった。またいつものアレだ。地面に擦った膝小僧がキシキシと痛む。

「大丈夫!?」

 咄嗟に中原さんが私の手を取り、立たせてくれる。恥ずかしいところを見られて、全身がカーッと熱くなるのを感じた。

「す、すみません……。私、本当にドジで。昔からいつも何かに躓いたりぶつかったりしちゃうんです。他人より視野が狭いのかなって
思ってるんですけど……。今日みたいに暗いところにいると、余計視界が見えなくなるというか……」

 言い訳のように謝る私。中原さんは私の言葉に、真面目な顔をしてじっと耳を傾けてくれていた。

「そうなんだ。もともと視野が狭いだけなら仕方ないと思うけど、ちょっと心配だな」

「え?」

 中原さんの声色が曇る。

「だって、昔から頻繁に躓くってちょっと普通じゃないよ。暗いところにいると見えにくくなるっていうのも。病院とか行った?」

 彼の口から病院などとう予想外のワードが出てきて私は面食らう。病院に行こうなんて考えたこともない。ただドジで天然なだけだと思ってたから。

「行ってません。そんなに深刻に考えたことがなくて」

「そっか。一度親御さんに相談してみたら?」

「……はい」

 と返事をしつつも、伯母さんに、どうしても視界のことを打ち明ける想像がつかなかった。伯母さんは「困ったことがあったらいつでも言うのよ」と普段から口癖のように言ってくれている。今がその「困ったこと」であるのには違いない。けれど、心のどこかで、やっぱり迷惑はかけられないという気持ちが渦巻く。

「さ、駅に着いたし今日はここまでだね。突然のお誘いだったのに、付き合ってくれてありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます。おかげでちょっと気が楽になりました」

「それは良かった。また困った時は、いつでも『Perchoir』においで。その前に俺から連絡しちゃうかもだけど」

「ふふ、いつでも待ってます」

 自分でもびっくりするくらい、自然に笑うことができた。
 ICカードを取り出して改札を潜ると、中原さんが私に向かって大きく手を振ってくれているのが見えた。私は笑顔で手を振り返す。こういうの、なんて言うんだっけ。駅の改札まで見送りに来てくれる友達。そうか、私にもちゃんとした友達ができたんだな——。
 中原さんとの数時間を振り返りながら電車に乗ると、胸に灯がついたみたいに温かい気持ちになる。実際自分の胸に手を当ててみると、とくん、とくんと鳴る鼓動が、いつもよりもくっきりと脈打っていた。
 私の外見や性質で判断せず、しっかりと話を聞いてくれる。パティシエになるという夢もあって、まさに太陽みたいな人。
 中原綾人。
 スマホに登録した連絡先をじっと見つめながら、彼の名前を指でそっとなぞる。学校ではない、外の世界でできた友達だから、共通の知り合いもいない。私と彼だけの特別な関係になれる——と、そこまで考えたところで顔が熱くなるのを感じた。
 特別な関係って、何考えてるの!
 まだ出会って間もないのにお花畑みたいな頭で彼のことを考えてしまっている自分が恥ずかしい。
 電車の車内アナウンスが私の自宅の最寄駅の名前を告げる。『Perchoir』からたった一駅しか離れていないという事実が、余計私の胸を熱くした。
 中原綾人くん。
 大切な名前を心の中でそっと呟きながら、私はひっそりと自宅へと続く道を歩いた。