「なるほど、そうだったんだ。もしかしてそのことでずっと悩んでた?」
「はい。先週、『Perchoir』を見つけた日もそうでした。私、いつもマスクで顔を隠していたんですけど、その日、教室でマスクが取れてしまって。みんなに素顔を見られちゃって、居ても立ってもいられなくなって。身一つで逃げてきちゃいました。そこでたまたま見つけたのが『Perchoir』だったんです。すごく、甘い匂いがして気づいたら誘われていました」
心が掻き乱されて、自分ではどうしようもなくなっていたとき。『Perchoir』の存在が、私をその場に立たせてくれた。『Perchoir』を見つけていなければ、きっと私は今も家に引きこもって、圭と喧嘩したことをうじうじ悩んで罪悪感に浸っていたことだろう。
「あの日食べた、さくらムースもタルトタタンも、あんまり美味しかったから、胸が苦しくなって。変ですよね。美味しいのに、胸がつままれたような心地がするなんて。色々考えていたら、涙も止まらなくなって、あなたに迷惑をかけてしまったんですけど……」
びっくりするほどするすると、本音が口から漏れ出てくる。
普段、他人には言えないことも、中原さんになら打ち明けられる。腹の底で燻っていたいろんな感情が、急流の勢いに流されるようにして吐き出されていく。
中原さんは、私の取り留めのない告白を、そばで黙って聞いてくれていた。すう、はあ、すう、はあ、という呼吸音が、どこか心地よい。目の前にはライトアップされて煌めく宝石のような花たちが、住宅街の夜景を前にして浮かび上がっている。この場所で、ずっと息をしていたいと思うほど、静謐で、美しかった。
「迷惑なんてかけてないよ。俺は、鈴ちゃんがケーキを食べて泣いてくれたことが、すごく嬉しかったんだ。びっくりした。だって、今まで俺が作ったケーキで泣いてくれた人なんていなかったから」
「中原さんが作ったケーキ……」
「そう。俺、パティシエになるのが夢なんだ。まだひよっこだけれど、『Perchoir』の店長は、俺の叔父さんでさ。昔から俺にケーキ作りを教えてくれてた。俺の腕を見込んで厨房に立たせてくれているんだ。まだまだ修行の身だけど、自分の作ったケーキを食べて感動してくれる人を見るとさ、胸の奥がジンとする」
双眸を輝かせて夢を語る中原さんの瞳に、ライトアップされた花の煌めきが映っている。 その目に吸い込まれそうだった。ごくりと唾を飲み込んで、彼の息遣いを感じる。熱い。彼のケーキにかける情熱が、私の胸を焦がしそうだ。
「ああ、俺なに喋っちゃってんだろ。と、とにかく、鈴ちゃんが俺のケーキを食べて泣いてくれたことは全然迷惑じゃなくて、むしろめちゃくちゃ嬉しかったってこと!」
「嬉しい……」
私がうじうじ悩んで、美味しいケーキを食べて泣いていた時、中原さんの胸は熱く燃えていたんだ。私みたいな他人に迷惑をかけてばかりの人間でも、誰かの役に立つことができたのかな……。
そう思うと、少しだけ元気が出てきた。
「ありがとうございます。少し、救われました」
「そっかー良かった! 人間関係の悩みって尽きないよね。俺も、よく職場のお姉様方に『お客様に馴れ馴れしくしすぎ!』って怒られるもん」
「ふふ、それはむしろ長所だと思うけどなあ」
彼がお客さんと距離が近いのは、その人懐っこさゆえだろう。私には真似できない。でも、すっと誰かの懐に入ることができるのは、間違いなく素敵なことだ。
「そう? こう見えて俺も、いろいろ悩んだりするんだよ?」
「えーそうは見えないです。なんか、いっつも楽しそう」
「失礼な! 俺だってピュアっピュアな十七歳なんですー」
「そっかそっか〜。まだお子様ですね」
「鈴ちゃんだって同じでしょう?」
くだらないやりとりをしてむっとしていた中原さんが、突然「ぷっ」と吹き出す。
「ははははは! なんだこれ、変な会話」
「もう、中原さんのせいですよ」
「違う違う。お互い様だって。でも鈴ちゃん、最初よりもずっと楽しそう。口調がくだけてきてる」
「そう言われてみれば……」
中原さんのペースに乗せられて、すっかり友達のような返しをしてしまっていた。いかんいかん。この人はケーキ屋の店員なんだから。そう馴れ馴れしく接するのは——。
「もし鈴ちゃんさえ良ければ、連絡先交換しない?」
息を吸うように自然なタイミングで、中原さんがそう聞いてきた。連絡先を交換、という言葉に、とくんと心臓が大きく跳ねた。
「はい、お願いします」
ポケットからスマホを出して、彼の方に私の連絡先のQRコードを差し出す。
連絡先の交換なんて、何年ぶりだろう。学校のクラスメイトはグループチャットで繋がっているから、わざわざ個別で連絡することもない。私は、慣れない手つきで中原さんの連絡先を登録した。
中原綾人。
新しい友達が一人、友達リストに追加される。その変化を、ずっと待ち侘びていたように思う。
「はい。先週、『Perchoir』を見つけた日もそうでした。私、いつもマスクで顔を隠していたんですけど、その日、教室でマスクが取れてしまって。みんなに素顔を見られちゃって、居ても立ってもいられなくなって。身一つで逃げてきちゃいました。そこでたまたま見つけたのが『Perchoir』だったんです。すごく、甘い匂いがして気づいたら誘われていました」
心が掻き乱されて、自分ではどうしようもなくなっていたとき。『Perchoir』の存在が、私をその場に立たせてくれた。『Perchoir』を見つけていなければ、きっと私は今も家に引きこもって、圭と喧嘩したことをうじうじ悩んで罪悪感に浸っていたことだろう。
「あの日食べた、さくらムースもタルトタタンも、あんまり美味しかったから、胸が苦しくなって。変ですよね。美味しいのに、胸がつままれたような心地がするなんて。色々考えていたら、涙も止まらなくなって、あなたに迷惑をかけてしまったんですけど……」
びっくりするほどするすると、本音が口から漏れ出てくる。
普段、他人には言えないことも、中原さんになら打ち明けられる。腹の底で燻っていたいろんな感情が、急流の勢いに流されるようにして吐き出されていく。
中原さんは、私の取り留めのない告白を、そばで黙って聞いてくれていた。すう、はあ、すう、はあ、という呼吸音が、どこか心地よい。目の前にはライトアップされて煌めく宝石のような花たちが、住宅街の夜景を前にして浮かび上がっている。この場所で、ずっと息をしていたいと思うほど、静謐で、美しかった。
「迷惑なんてかけてないよ。俺は、鈴ちゃんがケーキを食べて泣いてくれたことが、すごく嬉しかったんだ。びっくりした。だって、今まで俺が作ったケーキで泣いてくれた人なんていなかったから」
「中原さんが作ったケーキ……」
「そう。俺、パティシエになるのが夢なんだ。まだひよっこだけれど、『Perchoir』の店長は、俺の叔父さんでさ。昔から俺にケーキ作りを教えてくれてた。俺の腕を見込んで厨房に立たせてくれているんだ。まだまだ修行の身だけど、自分の作ったケーキを食べて感動してくれる人を見るとさ、胸の奥がジンとする」
双眸を輝かせて夢を語る中原さんの瞳に、ライトアップされた花の煌めきが映っている。 その目に吸い込まれそうだった。ごくりと唾を飲み込んで、彼の息遣いを感じる。熱い。彼のケーキにかける情熱が、私の胸を焦がしそうだ。
「ああ、俺なに喋っちゃってんだろ。と、とにかく、鈴ちゃんが俺のケーキを食べて泣いてくれたことは全然迷惑じゃなくて、むしろめちゃくちゃ嬉しかったってこと!」
「嬉しい……」
私がうじうじ悩んで、美味しいケーキを食べて泣いていた時、中原さんの胸は熱く燃えていたんだ。私みたいな他人に迷惑をかけてばかりの人間でも、誰かの役に立つことができたのかな……。
そう思うと、少しだけ元気が出てきた。
「ありがとうございます。少し、救われました」
「そっかー良かった! 人間関係の悩みって尽きないよね。俺も、よく職場のお姉様方に『お客様に馴れ馴れしくしすぎ!』って怒られるもん」
「ふふ、それはむしろ長所だと思うけどなあ」
彼がお客さんと距離が近いのは、その人懐っこさゆえだろう。私には真似できない。でも、すっと誰かの懐に入ることができるのは、間違いなく素敵なことだ。
「そう? こう見えて俺も、いろいろ悩んだりするんだよ?」
「えーそうは見えないです。なんか、いっつも楽しそう」
「失礼な! 俺だってピュアっピュアな十七歳なんですー」
「そっかそっか〜。まだお子様ですね」
「鈴ちゃんだって同じでしょう?」
くだらないやりとりをしてむっとしていた中原さんが、突然「ぷっ」と吹き出す。
「ははははは! なんだこれ、変な会話」
「もう、中原さんのせいですよ」
「違う違う。お互い様だって。でも鈴ちゃん、最初よりもずっと楽しそう。口調がくだけてきてる」
「そう言われてみれば……」
中原さんのペースに乗せられて、すっかり友達のような返しをしてしまっていた。いかんいかん。この人はケーキ屋の店員なんだから。そう馴れ馴れしく接するのは——。
「もし鈴ちゃんさえ良ければ、連絡先交換しない?」
息を吸うように自然なタイミングで、中原さんがそう聞いてきた。連絡先を交換、という言葉に、とくんと心臓が大きく跳ねた。
「はい、お願いします」
ポケットからスマホを出して、彼の方に私の連絡先のQRコードを差し出す。
連絡先の交換なんて、何年ぶりだろう。学校のクラスメイトはグループチャットで繋がっているから、わざわざ個別で連絡することもない。私は、慣れない手つきで中原さんの連絡先を登録した。
中原綾人。
新しい友達が一人、友達リストに追加される。その変化を、ずっと待ち侘びていたように思う。