「ふむ。最近はこんな姿形が流行っているのか……。つくづく人の文化とは面白い」
「あ、はははは……」

 から笑いをすると、男性から文庫本を受け取る。何度も開いて折り癖がついたページの片面には莉亜の推しキャラクターである小説の登場人物の挿し絵が大きく載っていた。
 莉亜が持ち歩いている桜と猫のブックカバーを掛けた文庫本――同級生に見られるのが恥ずかしいので、ブックカバーで隠しているだけだが。は、女性読者を中心に人気急上昇中の小説であった。
 物語は現代日本から明治時代によく似た異世界に転移した主人公である女子大生が不審者として警察に捕まりかけた時、書生を名乗る青年・花房忍(はなふさしのぶ)――ファンからの通称は「忍さま」、に助けられるところから始まる。
 忍の正体はあやかしを退治する陰陽師の末裔であり、一人前の陰陽師になるための最後の試練に必要な条件――自らの伴侶となる女性、を探しているところであった。主人公は元の世界に戻る方法が分かるまで、忍は一人前の陰陽師になるため、一時的な契約結婚する、といった恋愛ファンタジー小説であった。
 陰陽師としてのクールな姿と、主人公に好意を寄せていくにつれて甘く溺愛するようになる忍のギャップに多くの女性ファンが虜になり、原作小説や原作小説のコミカライズを中心に人気を集めるようになった。その忍こそが莉亜が愛する意中の推しキャラクターであり、男性が触媒とした姿であった。
 開き癖がついていたページには現代日本について主人公と忍が話すシーンが書かれており、挿し絵には忍が現代日本の大学生だったらこんな格好もするだろうと、主人公が想像した姿がイラストで描かれていた。その現代日本の青年風の姿をした忍のイラストが莉亜の好みにぴったりと当てはまったのだった。
 元々、恋愛ファンタジー作品が好きでこの話を読んでいた莉亜だったが、この挿し絵がきっかけとなって、忍を推すようになった。
 堅苦しい書生姿の忍の姿と、現代の若者風の気取らない忍の姿とのギャップに莉亜も熱に浮かされたようにすっかり魅了されてしまったのだった。
 何度も開いて眺めている内に挿し絵が描かれているページに開き癖がついてしまったのだろう。男性が忍の姿を元にしてくれたのは嬉しいが、推しが身近にいるようで、どこか気恥ずかしさを感じてしまう。
 好きなアイドルや推しの芸能人を目にした時のファンも、こんな気持ちになるのだろうか。

「背丈は書かれていなかったから、俺が知っている男を参考にした。それ以外にもいくつか。この絵の男とはかけ離れてしまったかもしれないが……」
「……いえ、大丈夫です。ファンのイメージを壊すことなく再現できています」
「それで、猫を追いかけて気づいたらここに居たと言っていたが、それだけでは生身の人間はここには来られない。誰かに招かれたか、それとも通行手形を持っていない限り……。ここはあやかしの世界と神の世界との狭間に存在しているのだからな」
「そう言われても……」

 その時、「にゃぁ~ん」という猫の鳴き声が近くで聞こえたかと思うと茶色と白色の塊が、男性の身体をよじ登っているところであった。目を凝らしてよく見ると、その塊は茶と白の毛が生えたキジ白の成猫であり、首元には赤い首輪と小さな木の札が付けられていた。それに気付いた莉亜は思わず「あっ!」と叫んでしまったのだった。

「その猫っ!!」
「なんだ。ハルを知っているのか?」
「その猫に御守りを盗られたんです! 後を追いかけて、それで気づいたらここに……」
「ハルが護符を……」

 そう呟くと、男性は肩に登ってきたキジ白の猫を撫でる。どうやら先程莉亜の御守りを盗んだキジ白の猫はハルという名前らしい。ハルと呼ばれた猫は、莉亜の代わりに答えるかのように鳴いたのだった。

「ということは、お前はハルに招かれたのか」
「招かれたことになるんですか? 私……」
「ハルはここと人の世界を自由に行き来できる。俺が使役している神使(しんし)だ。たまにこうして行く当てのない者を、ここに招くことがある。あやかしや神、後は道に迷った死者の霊魂を」
「私はあやかしや神でも無ければ、死者でもありませんが……」
「生身の人間を招いたのは初めてだが、まあ偶然だろう。大方お前が持っていた御守りを食い物と勘違いしたか」
「食べ物……」

 食べ物の単語に反応して莉亜のお腹が情けない音を鳴らす。思い返せば、夕食のおにぎりをハルに奪われてそれきりだった。今の時刻は分からないが、夕食の時間は過ぎてしまったかもしれない。すると、男性がカウンター席を指したのだった。