それからもセイは毎日蓬の神饌を届け続けた。セイが用意してくる神饌用の米と塩で握った塩おにぎりと、清酒入りの清水で作った味噌汁は、日に日に風味や食感を変え、蓬の好みに合うように改良されていった。蓬も男が奉納した神饌だからと無下に扱うのは止めた。セイの目の前で神饌を食べる気恥ずかしさも、セイが押し付けるように貸して来た名前で呼ばれ、セイと双子同然の姿を取る恥辱も早々に失せた。それどころか期待する眼差しを向けてくるセイに、率直な神饌の感想さえも平気で述べるまでになっていたのだった。
それが出来るのも感想と共に嫌味を混ぜても、セイが一切怒らずに快活に笑ってくれるというのも大きいだろう。豪快に口を開けて大声で笑うセイに当初感じていた鬱陶しさも、次第に心地良いとさえ思えてくる。セイと過ごす時間が待ち遠しくなり、次はどんな話をするか考えるようにもなると、やがてセイになら蓬の胸中を打ち明けて、心に踏み込まれても良いとさえ思うようになる。これが胸襟を開くということなのかもしれない。
人間に心を許し、対等に語り合うというのは、威厳を示さなければならない神にとって諸刃の剣ではある。そう思いつつも、「一柱」の神として蓬を敬いつつ、「ひとり」の友として接してくれるセイの存在が、誰にも本音を話せないまま長い時を孤独に生きてきた蓬の心に突き刺さる。
今や蓬にとって、セイは居なくてはならない存在であった。一柱の神として、意志を持つひとりの個として、信頼まで置けるようになっていたのだった。
ただ単に蓬の含意にセイが気付いていないだけかもしれないが、セイ自身の人としての器が大きいというのも、少なからず関係しているのだろう。
そうでもなければ、蓬のような好みに口煩い神の相手をしてくれるわけがない。それを分かっているからこそ、蓬もつい我を通そうとしてしまうのだが……。
そんなセイも連日神饌を運びながら、自分のことを話すようになっていた。
セイも父親や二人の兄と同じように神職に就くため、大学で神道を学んでいること。宮司である父親の後継は代々長兄が継ぐと決まっているため、末息子であるセイはいずれ跡継ぎがいない宮司の養子か、直系の男がいない宮司の婿養子となり、この地を離れるつもりでいることを聞かされたのだった。
セイがここを出て行った後は、今と同じ塩おにぎりと味噌汁を長兄が用意して奉納することを頼んでいるらしいが、きっと受け取らないだろうと蓬は薄っすら考えていた。
この塩おにぎりも味噌汁もセイが作るから意味がある。他の者が同じものを作っても効果がないのだと。
いつセイがここを出て行くかは分からないが、それまでには名前と姿を返さなければならない。そう思っていても、蓬はなかなか返せずにいた。
名前と姿を返したら、セイは二度とここに来てくれなくなるのでは無いかと、そんな不安ばかりが頭を過ぎる。永遠を生きる神にとって、人間が生きられる時間というのは瞬く時間のようなもの。誕生したかと思えば、あっという間に終焉を迎えている。
本来なら人間と神の時間が交差することはない。蓬のように神が人間の前に姿を現すか、あるいはセイのように人間が神を視認する力を持つ奇跡が起きない限りは。
そうは分かっていても、蓬は素直になれずにいた。
セイが年若く、もうしばらくは一緒にいられるだろうという、甘い考えも災いしたのだろう。機を熟し過ぎたとも言える。
明日会った時に名前と姿を返せばいいと、友になっても良いという返事を先送りし続けた。
その結果、あのような取り返しのつかない悲劇が起こってしまったのだった――。
それが出来るのも感想と共に嫌味を混ぜても、セイが一切怒らずに快活に笑ってくれるというのも大きいだろう。豪快に口を開けて大声で笑うセイに当初感じていた鬱陶しさも、次第に心地良いとさえ思えてくる。セイと過ごす時間が待ち遠しくなり、次はどんな話をするか考えるようにもなると、やがてセイになら蓬の胸中を打ち明けて、心に踏み込まれても良いとさえ思うようになる。これが胸襟を開くということなのかもしれない。
人間に心を許し、対等に語り合うというのは、威厳を示さなければならない神にとって諸刃の剣ではある。そう思いつつも、「一柱」の神として蓬を敬いつつ、「ひとり」の友として接してくれるセイの存在が、誰にも本音を話せないまま長い時を孤独に生きてきた蓬の心に突き刺さる。
今や蓬にとって、セイは居なくてはならない存在であった。一柱の神として、意志を持つひとりの個として、信頼まで置けるようになっていたのだった。
ただ単に蓬の含意にセイが気付いていないだけかもしれないが、セイ自身の人としての器が大きいというのも、少なからず関係しているのだろう。
そうでもなければ、蓬のような好みに口煩い神の相手をしてくれるわけがない。それを分かっているからこそ、蓬もつい我を通そうとしてしまうのだが……。
そんなセイも連日神饌を運びながら、自分のことを話すようになっていた。
セイも父親や二人の兄と同じように神職に就くため、大学で神道を学んでいること。宮司である父親の後継は代々長兄が継ぐと決まっているため、末息子であるセイはいずれ跡継ぎがいない宮司の養子か、直系の男がいない宮司の婿養子となり、この地を離れるつもりでいることを聞かされたのだった。
セイがここを出て行った後は、今と同じ塩おにぎりと味噌汁を長兄が用意して奉納することを頼んでいるらしいが、きっと受け取らないだろうと蓬は薄っすら考えていた。
この塩おにぎりも味噌汁もセイが作るから意味がある。他の者が同じものを作っても効果がないのだと。
いつセイがここを出て行くかは分からないが、それまでには名前と姿を返さなければならない。そう思っていても、蓬はなかなか返せずにいた。
名前と姿を返したら、セイは二度とここに来てくれなくなるのでは無いかと、そんな不安ばかりが頭を過ぎる。永遠を生きる神にとって、人間が生きられる時間というのは瞬く時間のようなもの。誕生したかと思えば、あっという間に終焉を迎えている。
本来なら人間と神の時間が交差することはない。蓬のように神が人間の前に姿を現すか、あるいはセイのように人間が神を視認する力を持つ奇跡が起きない限りは。
そうは分かっていても、蓬は素直になれずにいた。
セイが年若く、もうしばらくは一緒にいられるだろうという、甘い考えも災いしたのだろう。機を熟し過ぎたとも言える。
明日会った時に名前と姿を返せばいいと、友になっても良いという返事を先送りし続けた。
その結果、あのような取り返しのつかない悲劇が起こってしまったのだった――。