「……だめ。私、普通でいないといけないの……」
冷たくなった手から、そっと手を引き抜いた。
「普通って何?」
「……みんなと同じことをして、友達が居て、クラスに馴染む。それが普通。……だけど、推しとかがよく分からなくて。SNSとか何が楽しいのか分からなくて、同じノリにはなれなくて。どうして私はみんなと同じ感性になれないんだろう。普通じゃないのだろう? どっか欠落しているのかな?」
「人は精密な機械じゃないから、思考や価値観が違うのは当たり前だよ」
「もういいの……。私、このまま生きると決めたんだ。別に合わせていけばいいだけ。だから、別に無理なんかしてないから」
そう言い切った私は、濡れたカバンや制服を入れてくれた袋を手に持ち、玄関に向かう。
これ以上、麗華に迷惑をかける訳にはいかない。
私は箱から、飛び立つことは出来なかった。
麗華みたいにはなれない。
「ごめん。服は明日必ず返すから……」
その声に、何も返してくれなかった。
もう終わりだ。
そう思い、玄関で水抜きしておいてくれたローファーを履く。
出て行ったらこれで本当におしまい。
ためらってしまった私に、麗華は一つ言葉を投げかけてきた。
「レイのグッズどうしているの?」と。
「家にあるよ」
「大切に飾ってる?」
「え?」
要点を掴めなかった私は、「あんな物どうでも良いじゃない?」。そう言ってしまった。
すると麗華は、表情を歪めた。
それは初めて見る、明らかに怒りを露わにした姿だった。
「文があの日持っていたグッズ。限定ものだよ? 欲しい子、他にもいたのに」
「え?」
状況が掴めていない私は、間抜けな声を出していた。
「やっぱりだめだよ。やめないといけない。これって本当のファンに失礼なことだよ?」
「待って! 何、言ってるの?」
私は思わず、麗華から距離を取っていた。
「文が買った分、本当に欲しい人が手に入らないという話だよ。欲しかった人からしたら、ファンが手にしたなら諦めもつくだろうけど、そんな欲しくもない人の元にいくなんて納得出来ないよ! だから、だからね。もう、やめよう。こんなこと、誰も幸せにならないよ!」
指摘されて初めて気付いた。
そっか、私が今までしてきたことは……。
それはあまりにも正論で、反論なんて出来なくて。
だけど、いつも肯定してくれていた麗華に否定されたことが苦しくて。だから、私は。
「じゃあ、どうしたら良いって言うの!」
理不尽に叫んでいた。
「私、中学の時にクラスで浮いてて! 本ばかり読んでたから陰キャでダサいって、変な子だと言われてて! 小学校からの友達も、推し活とかSNSばかりで話し合わなくなって離れていった! どうしたら良かったって言うの! ……私はもう戻りたくないの! あの頃の私に!」
腹に抱えていたものを全て吐き出した私は、溢れてくるものが抑えられなかった。
これほど感情を揺らして叫んだのは初めてではないかと思うぐらい、私の心臓はバクンバクンと音を鳴らし、涙が止まらなかった。
「……ごめん。嫌なこと言った。そうだよね、そうするしかなかったんだよね? 辛かったんだね、分かるよ。私も……」
そう言って、伸ばしてくれた手を。
パシッ。
私は叩いてしまった。
「文……」
「分からない! 自分の道を突き進んで、カッコよくて、輝いていて、自信満々で。美人の麗華に、私の気持ちなんか分からないんだよ!」
そう言い放ち、雨の中飛び出してしまった。
冷たい雨の感覚も分からないぐらい頭も心もぐちゃぐちゃな私は、暗い夜道をただ一人で走っていた。