徒歩五分。辿り着いたのは住宅地にあるアパート。
 わざわざお風呂の湯まで張ってくれて、着替えも用意してくれた。
「ありがとう」
 私はダボダボのTシャツとウエストがキツイジーパンに身を包む。
 麗華は長身でスタイルが良いが、それに相反して私は低身長で今だに中学生と間違われることもある。
 麗華の服を着て、改めて容姿の違いを思い知った。

 甘い香りがすると思っていたら、出してくれたのはココア。
「え?」
 私は思わず、差し出してくれた顔を見つめてしまう。
「あ、余計なお世話だったよね? でもこれだけ飲んで帰って。体冷え切ってしまっただろうから」
 そう言ってくれた麗華は、あの夏休みを共に過ごしたまま変わっていなかった。
 一口飲むと甘くやわらかな味が広がり、麗華と喫茶店で飲んだココアの味を思い出した。

「ごめん」
 私はやっとその言葉を口に出来た。
「ううん。私こそ、ごめんね。文が学校のことで悩んでいるってなんとなく分かっていたのに、あそこで話しかけたのは軽率だった。あれから大丈夫だった?」
 その問いに喉の奥が突っかかる感覚がした私は、小さく頷いた。

 麗華は、その先を心配してくれていた。
 その様子から、連絡をして来なかったのも私の為だったのだろうと察せられる。
 こんな私の為なんかに。

「良かった。……文、今まで本が好きなこと隠していたんだ?」
 また、私は小さく頷く。
 情けない自分を、私はやっと麗華に伝えることが出来た。
「そうだよね。私が本好きだと言ったら、みんな顔引き攣らせていたから。辛かったね。でもさ、レイやSNSのことで繋がれるなら、それも一つじゃない? 私にはよく分からないけど、文が楽しいならそれで……」
 麗華は私を肯定しようとしてくれる。
 あれだけ本が好きだと言っていたくせに、推し活やSNS映えばかりになり、麗華を無視し続けた私を。
 私が彼女の立場だったら裏切られた気持ちになるだろうが、私を責める言葉は一つもなかった。

 だけど私は。
 そんな麗華の気持ちに優しさを見出すことが出来ず、また自分勝手な発言をしてしまう。
「……好きじゃない」
「え?」
「私、レイもSNSも興味ない! 好きなのは本だけ……」
 気付けば、そう呟いていた。
「そうだったの……」
 唇を噛み締めて俯く私に、麗華は。
 
「もうやめよう」
 そう言い、私の冷たい両手を優しく握りしめてくれた。
「え?」

「文が苦しんでいるのは、本が好きな自分を隠していることじゃない。偽りの自分を演じていることなんだよ。流行りだからと好きじゃないことを好きなフリして。本当にしたいことを我慢して。周りに合わせて無理に笑って。そんなことしていたら、本当の自分が分からなくなるよ。心がどんどん擦り減るよ。だからね、もうやめよう」
「やめれる?」
「うん。だって夏休み中に互いの話をした時、文は明らかに高校の話を嫌がっていたから、辛いんだろうなと思っていたの。学校行きたくないって言ってたし。無理に笑っている姿見て、もう心が悲鳴を上げているんだなって。だから、もう良いんだよ」
「……麗華」
 この温かな手は、私の全てを受け入れてくれる。
 息が出来ないほどの苦しさ、やるせなさ、毎日繰り返す自己嫌悪。
 あの「大きな箱(教室)」に閉じ込められたと錯覚を起こしていた私は、その中で生きていく為に自分を殺して生きていた。
 だけど違うんだね?
 私は閉じ込められていない。
 好きに飛び出しても良いんだよね? 
 別に、あの狭い場所だけに止まる必要なんてないよね?
 だって私は……。

 そう思いながら、私の体温が移ったことによって冷たくなってしまった優しすぎる手を握り返そうとした。
 その時、聞こえた。
 私を縛る、呪いの言葉が。