「よう」

 振り向けば、そこにはレモンスカッシュを掲げた男がいた。真夏の日差しに淡い炭酸が煌めいて、思わず目を細める。

「おう、今日は早いな。遅刻魔にしては珍しい」
「ああ?言い方が悪いぞ」

 冗談めかしく口角を上げ、眉を顰めるその顔は、何ともおかしく目に映った。

「でも、実際ほんとのことだろ」

 そう言うと、ジロリと睨まれるが、気にしない。
 この男は、嫌なこともすぐに忘れるヤツだから。いや、嫌なことを言われていることにも気づいていないと言ったほうが正しいか。

「まっ、そだなー。なあなあ、今日どうするー?門限までまだめちゃくちゃ時間あるぞ」

 ほら。こいつはいつもこう。だからこそ付き合いが続いていると言ってもいい。

(けい)は何かしたいことあんの?なかったら連れていきたい場所あんだけど」
「え、(ひびき)が連れていきたい場所って何。すげえ気になるんだけど!」

 鼻息荒く期待した目で見つめてくる。そこまで飛びつくものか?と若干引き気味に思いながら、おれは口を開いた。

「そんな大したとこじゃないけど……。でも、景が喜ぶ所」

 謎に気恥ずかしい気持ちが押し寄せる。
 普段はこんなこと絶対に言わないおれが急にこんなこと言ったら、景に変に思われるかな……。
 自分がかなりの不愛想な人間だということは、当の昔から自覚済みだ。
 そう悶々と考えていたけれど、それは杞憂で終わった。
 景は変に勘ぐる素振りを見せることなく「どこだろうな〜」と場所を予想している。おれは苦笑いを浮かべた。

「ま、あんま期待すんなってことだ」
「えー、そう言われても。響が俺を連れていきたい場所なんて、見当もつかないし。楽しみすぎるでしょ」

 おれ達は互いに目配せして、同時に口を開いた。

「じゃ、行くか」
「それじゃ、さっそく俺が喜ぶとされる場所に連れてって」

 長え。言い方なんかウザい。思ったけれど、口には出さなかった。

 ◇

「ここ」
「おー」
「何、その気の抜けた反応」
「いや、別に」

 たださ、と続ける景の視線が、おれの指す所と違うことに気づいた。

「俺が喜ぶ理由が果たしてここにあるのかというか、なんというか……ぐむむ」

 隣で呻く景の後頭部を軽く叩いた。

「阿呆。そっちじゃなくて、こっち」

 景の顎を柔く掴んで、目的の場所の方へ顔を向けさせた。そこには、木造の民家が一戸、建っている。だけど、その家は普通ではないのだ。
 大げさに言うことでもないが、とにかく周りの住宅より目立っている。

「わお」

 阿呆な反応をする景に、今度は強めにもう一発送ってやった。

「いてっ、何すんだよ」
「景が変なリアクションするから」
「もー、俺の独自の反応ディスんないでー」

 景は棒読みで言った。すぐにノリだと分かる。
 景と出会って三ヶ月。こいつのことはおおよそ理解しているつもりだ。

「それで、どうよ。よく景のことリサーチしてるでしょ」

 自慢げに言うと、景も左の口角を上げた。

「正直あんま期待してなかったんだけどさ。やっぱ響って天才だよなって思うよねうん。これは最高超えて超最高だわ」

 照れたら口数が多くなるのは、本人も気づいていない景の癖だ。

「噓つけ、あんな楽しみにしてたじゃねえか。超最高ってのは、まあおれの想定内だけど」

 逆におれは、照れるとツンデレのツンを発動してしまうようだ。今自覚した。

「ははっ、響くんはほんとツンツンですなー」

 後頭部で腕を組んで、歩き始める景。そこに突っ立っているままでいたら、景が振り返って「行かねえの?早く行こ」と訊いてきた。

「行く」

 すぐに景に追いついて、順々に暖簾をくぐり、例の民家に入った。その途端、景が黄色い悲鳴を上げる。

「やっべぇぇぇえええ!!! 何これぶっ飛んでるわ!!」

 景はもう、何というか、大のお菓子好きで。
 それを目にした時の反応も常識の範疇を軽く超えてて。
 きっとお菓子に執着してて。
 小学生の頃は同級生皆が口を揃えて彼のことを『お菓子博士』と呼んでいたらしいくらいで。
 結論、景は全人類の中で最もお菓子を愛している人間としておれの脳内に植え付けられているということ。
 そんな彼を『駄菓子屋』に連れて行ったらどうなるのかと気になったおれは、それを実行することにしたのだけれど。ちょっと、これは、連れてこないほうが良かったのかもしれない。

「お前のがぶっ飛んでるわ、ほんと」

 おれの嫌味なんて聞こえていないらしく、景は広い店内を一周するように豪華に敷き詰められた駄菓子をキラキラとした瞳に映していく。
 近所の人たちに迷惑だとか、ここの店主であるおばあちゃんが驚いてしまわなかったかとか、色々考えることはあるけれど、ひとまず景が大喜びしている姿を見れておれも大満足だった。
 本当は、ちゃんと注意したほうがいいんだろうけど。おれは景に甘いのかもしれない。

「おやおや、若いイケメンさんが二人も。こんなボロ屋に一体何のようだい?」

 店の奥の方から、小さな背丈の腰を曲げたおばあちゃんが出てきた。恐らくこの駄菓子屋の店主だろう。優しくてしわがれた声が何だか落ち着く。

「あ、すみません。うるさかったですよね……」
「お主、この天国と覚しい駄菓子屋の主であるか!?」

 謝罪のために頭を下げると、たちまちその声は景の興奮した声によって虚しくかき消されてしまった。
 景はダッシュでおばあちゃんに近づき、その手を取った。それを見た時、さすがに初対面で失礼すぎるだろと思い、おれはずんずんとヤツに近づいた。

「景、手離せ。さすがに失礼だから」

 声を落として、景の腕に手をやった。おれが本気でお怒りだと察した景は、すぐさまハッとした顔をしておばあちゃんの手を離した。

「っすんません、急に手掴んだりして。驚かれましたよね」

 景がぴしっと背筋を伸ばして、頭を下げる。謝る表情と声は本当に反省しているのか、少し暗い。

「いえいえ、別に構わないよ。逆にイケメンの若造さんと手繋げたみたいで嬉しいわぁ」

 そう言って笑うと、沢山のシワが寄る。はにかんだ顔はとても優しくて、生まれて初めて慈愛を感じた気さえした。

「そ、そうですか?それなら俺、もっかい繋ぎましょ…」
「おい。調子に乗んな」

 景の背中をバシンと強く叩く。すぐに調子に乗るからな、困ったもんだよ。

「痛ぁい。もう、今日何回俺のこと叩くのー」

 涙目になっている景に、「知るか」と言わんばかりの冷めた視線を送る。そんなおれたちを見て、おばあちゃんが面白そうに吹き出した。

「ふふふ、二人は本当に仲が良いわねえ。入ってくる時の話し声もしっかり聞こえていたよ」

 おばあちゃんの言葉に、「えぇまじですか!!それはちょっと恥ずかしいなあ」と景がデレた。

「イケメンたち、名前はなんて言うんだい?」

 おばあちゃんがおれたち二人を見上げて訊いてくる。まず最初にその質問に答えたのは景だった。

「俺は永松(ながまつ)景と言います。あの、もうご存知かと思いますが、大のお菓子好きなんです。だからもう、なんていうか、ここに来れて…」
「おれは緒方(おがた)響と言います。……あの、ほんとさっきからうるさくしてすみません」

 景の話が長くなりそうだったので、早めに遮って自己紹介した。それと、もう一度謝罪も。

「景くんと、響くん。二人とも、素敵な名前をお母さんに名付けてもらったんだね。十分、幸せ者だ」

 優しい笑顔と落ち着く声でそう言われると、本当に自分が幸せ者に思えてくるから不思議だ。
 でも、確かに、そうだよな。
 きっと、両親が考えに考えた名前を付けてもらって、大切に守られて育ててもらって、おれは十分幸せ者なのだ。……そう、おれは、幸せ者。
 だけど、あることが邪魔をして、おばあちゃんの言葉を素直に受け入れられない自分がいる。

「まあ、そうっすね〜。名前をつけてもらえるだけで、きっと幸せ者なんでしょうね」

 隣で、景がまるで他人事のように呟いた。

「とりあえず、ここにある駄菓子ほとんど買っていきますねー」

 はわわわわ、と感嘆の声を上げながら、景は小さなかごにあり得ない量の駄菓子を詰めていく。
 その中には、おれが幼少期に食べていたものや、大好きだったもの、見たことのないものや珍しいものもあった。
 駄菓子を愛おしそうに見つめる景の横顔を、おれはぼんやりと見つめていた。

 ◇

「結局、店にある駄菓子全部買ったんだな」
「ふふん、当たり前だろー?」

 景が両手に満帆になった袋を下げ、上機嫌におれの隣を歩く。おれは自転車には乗らず、押して歩く。

「それを当たり前と言える景のお菓子への愛を崇め讃えるわ」
「けっ、そんなこと思ってもないくせに」

 景が軽く吐き捨てるように言った。
 だけど、本気ではないのがうかがえる。荷台には、景の大切な駄菓子が数え切れないほどに入った袋がもう二つ入っている。

「すげぇな、こんなに買うお金、持ってたのか?」
「まあなー。いつか、こういうことがあった時に備えられるように」

 景が冗談交じりに言う。

「いや、絶対違うだろ。すぐバレる嘘つくなや。つくならもっと、ちゃんとしたのにしろ」
「はは、怒るのに、嘘つくのはいいんだ」
「まあな。しょうもない嘘だし」
「……じゃあ、しょうもなくない嘘ついたら、響は怒るわけ?」景が遠慮気味に訊いてきた。それに少し違和感を覚えたおれは、景に視線を移す。
「何、なんかしょうもなくない嘘でもつこうとしてんの」
「い、いや、そういうわけじゃねえけど。別にいいだろ、ちょっと気になっただけ!」
「………」景、やけに焦ってる。どうしてだ……?
「な、何だよ。なんか言えよ。ただ見つめられるだけなのは気まずいって」景のこめかみからたらりと汗が流れるのを見た。それが冷や汗のように見えて、ますます勘ぐってしまいそうになる。
「なあ、景。四月にした約束、まだ覚えてる?」景の目としっかり目を合わせ、おれは訊いた。その瞳が小さく揺れ動くのをおれは見逃さなかった。
「あ、ああ。もちろん覚えてるよ。てか、忘れる馬鹿がどこにいるって話だよそれ」
「……そう、ならいいんだ」
景が本当は何を考えているのか、おれには分からない。だけど、それを知りたいとも思えない。おれには、それを知る勇気がない。
「もー、なんだよ。そんな話?変にきんちょーさせないでくれる」緊張の糸が切れたのか、景がグチグチと文句を並べる。それを視界の端に入れながら、おれはあることを悟った。───景、おれに何か隠し事してる。おれに話せないような何かを、心の奥底の厳重に鍵のかかった小さな部屋に閉じ込めたまま、それを見せようとしない。気づいてしまった時、まだそれが確実かは分からないのに、ズキンと胸の一番熱くて大切なところが痛んだ。
「なあ景。おれたちの間に、隠し事なんてないよな。秘密は絶対に作らないって、あの時決めたもんな」いつの間にかおれの斜め後ろを歩いていた景を振り返って、強く言った。景に届くように。ちゃんと話の真核が伝わるように。
「……うん、俺たちの間に、隠し事は許されない。覚えてるよ、あの日結んだ響との約束」それを破るつもりは絶対にないから、と感情の読めない目をして言った。そして、お互いに目配せして、
「「他の誰にも言えないことは、包み隠さずに全部話す。お互いが、お互いの一番の相談者になる」」声を揃えてその“約束”を口にした。夕暮れ時、カラスが鳴く声を聞きながら、互いに言い表せない感情を抱えて、家路を辿った。静かな黄昏時は、時に言いようのない淋しさを連れてくる。涼やかだったレモンスカッシュは初夏の日差しに照らされて、大量の汗をかいていた。