それからの私の毎日は、百八十度景色が変わってしまった。
 お母さんは学校の先生に私の病気について伝えた。先生たちは、私を授業中に当てないというルールをつくってくれたらしい。私は授業で発言をする場面から逃れることができた。
でも、グループ発表はさすがに免れることができない。同じグループになった子たちは、喋れない私が何の役にも立たないことが分かっているので、あからさまに怪訝そうな表情をした。音楽で合唱をする時も、私は歌うことができない。あらゆる授業で成績は下がっていた。周囲から奇異の目を向けられる毎日。その、一つ一つの出来事に、私は心を壊していった。

 小学校から高校まで、エスカレーター式で進学していったので、環境はほとんど変わらない。高校生になると、外部から受験して入学してきた生徒が増えるので、閉鎖的だった空間は少しだけ明るいものになった。でもどういうわけか、私の病気は一向によくならなかった。
 このまま一生、社会に出たら喋ることができない人生を送るのかな。
 学校に行っている間はまだしも、社会人になったら……?
 私は、誰かの役に立つ仕事ができるんだろうか。
 不安は常に付き纏い、私の未来への道を固く塞いでいく。誰か、助けて。叫びたくなる気持ちさえ、誰にも伝えることができない。唯一話すことのできる両親には、心配をかけたくない一心で、家では普通に過ごした。
 そんな私に転機が訪れたのは、高校三年生の春のことだ。

「ねえ美都、大学は別のところへ行ってみない?」

「え?」

 お母さんが私の目を真剣に見つめながら、そう提案してきた。ちょうど、夕飯の支度を終えたところだ。漂ってくる大好きなカレーライスの匂いが、食欲をそそる。

「ほら、これまでずっと同じ学校にいたでしょ。私、ずっと美都が将来受験で苦労しないようにって思ってたの。でもね、やっぱり美都は環境を変えるべきかなって思って。もっと、楽しい学生生活を送って欲しいから」

「お母さん……」

 私を見つめるお母さんの瞳が、ふるりと揺れる。
 今まで「公立の学校に行ったら、受験、受験で大変なのよ」と口癖のように言っていたお母さんが、別の大学に行こうって提案してくるなんて。
 きっとお母さんも不安なんだ。
 私がこの先、ずっと喋れないままだったら、って心配でたまらないんだろう。
 言いたいことならたくさんあった。けれど私自身、附属大学に行きたいという気持ちは消え失せていたし、受験して何かが変わるなら、挑戦してみたいと思った。

「分かった。私、大学は受験する」

 自分の声が思ったよりも熱を帯びているのに気がついてはっとする。
 私だって本当は、自分を変えたいと思っていた。今まで、言葉にすることができずに燻っていた想いが、ようやく芽を出したのだ。

「良かった……。お母さんたちも全力で応援するから」

「うん。ありがとう」

 それからの毎日は、部屋に引きこもって勉強漬けになった。
 学校では受験をしない生徒がほとんどだったので、私のように切羽詰まっているクラスメイトは見かけない。私は、授業と授業の合間の十分休みも、昼休みも、一心不乱に机に向かっていた。そんな私に、陰でやっかみを言う人もいたけれど、まったく気にならない。  目標の大学に合格して、新しい自分に生まれ変わる。
 私はサナギだった。殻を破って新しい姿で外の世界に飛び出していく。それだけを夢見て、ペンを動かし続けた。


 春、激闘の末に合格した県立松葉大学は、第一志望だった大学だ。自宅から通える範囲にあるのでちょうど良いという理由で受験した。一流大学ではないけれど、知名度もそこそこ高く、県外から入学してくる学生も多い。
 大学の校門の脇に聳え立つ桜の木が、入学式の日に満開の花を咲かせていた。桜の木は校内にも至る所にあって、オリエンテーションまで向かう途中に、同級生たちの頭や肩に、薄桃色の花びらが乗っかっている。期待と不安がごちゃ混ぜになりながらも、着実に友達をつくろうと周囲の人に話しかけるみんなを、心底羨ましいと思った。
 この大学で、私は蝶になって羽ばたいてみせる。
 そう決意したのに、せっかくのチャンスを不意にしてしまった。
 落としたハンカチを渡してくれた上山さんに、ありがとうの一言も言えなかった。
 『なないろ』に場面緘黙症のことを書き込んでから、すでに一時間が経過していた。あれから何度も自分の投稿を眺めているけれど、コメントは一向につかない。お昼過ぎのこの時間に、アプリを見ている人口が少ないことは分かっている。それでも、煮え切らない思いがずっと、お腹の底の方で溜まっていく。

「一人は淋しいよ」

 誰もいない部屋でひとりごちる。私の声が、世界中の人に届かなくたっていい。誰か一人でも、心を通じ合える友達に巡り会えるのなら、その人に届いて欲しいと願った。