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 もう何ヶ月前のことだったろうか?
 一年くらい経っているだろうか。
 まだ「狩り」をはじめて間もなく、初めて本格的に魔族と戦ったときのこと。それまでは人間の手下や手先、最下級の雑魚のような魔族と小競り合いしていただけだった。はじめて実際に戦った「魔族の騎士(下っ端でない)」とやらは、強いことには強かったが「どうにもならない」ほどではなかった。むしろ心のどこかで拍子抜けさえしていた。
 だが。これで勝てる、そう思ったときに振り上げたあの大剣が義手からすっぽ抜けた。不意討ちの反撃で吹き飛ばされ、ダメージで朦朧としながら、子供の声が聞こえた。
 それはたぶん子供の頃の自分の声か、知っている誰か複数人の声なのか。たぶんその両方だったのだろうか。

「間抜けだよね。魔族と戦う前に、人間にやられてカタワになってるなんて。
「自分だったら魔族に勝てる」とか、魔法協会の方針は「魔族との賢明な妥協と共存」なのに逆らって勝手するとか」

 いつぞやトラの右腕を居合い切りで切り落としたのは、どこぞの自称・貴族の「殿」とやらの無礼討ち(試し斬り?)だった。成り上がり者である殿は示威行為と自己満足を必要としたらしく、他にも頭を切られて脳損傷になった者もいる。参集した戦士たちを「閲兵」して、見せしめに生意気そうな奴や目についた手頃なのを兇刃にかけた。
 この「切り落とす」というのは、単純に切断面だけの深い切り口の苦痛だけだろうか? 無事な側の頭からすれば、切り落とされた右肘から先を全部失ったことになる。それだけの分量を、仮に全部をいっぺんに刻み潰されたとしたらどれだけの苦痛だろうか?
 パニックになってわけがわからずのたうちまわりだしそうなところを、思い切り顔面に蹴り。

「情けない奴だな。無様にもほどがある、戦士の心構えがなっていない。我が方に不用! 魔術者あがりふぜいの分際で、伊達にそんな大剣など背負って何様の思い上がりだ? ん?
我が居合いの術と「魔術者殺し」の秘宝剣、一生涯に証人の見本として恥をさらして生きていけ! その腕は魔法でももう治らん。お前は一生カタワ確定だ。
ほら、終了っ! このように、戦場では一瞬の油断で人生終了だから! それがわからなかったお前が悪い。お前はもうカタワ、使い物にならん。 んんっ? なんだ、その目は?」

「よく、言われるよ」

 子供の頃から。「おとなしいしたまに剽軽なのに、たまに有り得ないくらいやばい目をしている」「何を考えているのかわからない、怖いし不気味」とか、よく言われた。
 殺意は固まっていた。脂汗を流しながら、攻撃魔法を放とうとしたとき、察した世話役がタックルしてトラを取り押さえた。そうでなかったらたぶんその場で殺していた。

「い、医務室に連れて行くから! 暴れるな、おとなしくしろ! 閣下、申し訳ありません。こいつもここの者らも新徴募したばかりで、よくわかってないのです」

 引き分けた世話役や他の者らのおかげでそれ以上には事なきを得た。もし暴れていたらトラ自身も命が危なかっただろうし、たとえ「勝利しても法的に死刑」になりかねなかっただろう。
 ちゃんと最低限でも応急手当てと治療はしてくれたし(上司役たちが抗生物質や代金を工面してくれ、事務のお姉さんなども見舞いには来てくれた)、僅かとはいえ心付けもくれたから、必ずしも彼らまでがトラを嵌めよう・陥れようとか明確な悪意まであったとは思えないわけだが、逆に少し困ったしムカついた(そんな悪気ない人らを殺しても「主に八つ当たりの過剰な復讐」「理不尽な暴力加害」にしかならないと頭でわかっていても、凶事に見舞われた端緒や原因の一つではあるだけに)。
 周りのものや招集した世話役たちは、曖昧な顔でやり過ごしていた。彼らにさして悪気はなかったにせよ、無茶な横暴にも逆らえない人たち(その場にいた志願者の半分は、何故か鉱山で奴隷労働送りだったとか)。なお、その「魔術者殺し」の貴族氏は後日、他の若手の誰か(数名)にもイジメや虐待して破壊したり思いつきで斬りつけて脳挫傷させ、最後はプロ軍人の剣客から「立会制裁リンチ」されてついに殺されたそうだが(腹に据えかねた誰かが通報や依頼でもしたのか?)。
 たまたまその成金貴族の人間性や巡り合わせの偶然、トラ自身の油断・盲信や驕りにも悪運を招いた理由や原因はあるだろう。けれども、もう一つの別の隠れた裏事情がある。
 魔法協会は魔術・魔法のノウハウやデータを独占して、資質のある人員の大部分を支配下や影響下に置いているが、概して魔族勢力に妥協や迎合している腐敗や元凶ですらある。魔法という特殊な力を持っていることでの特権階級・エリート意識が凄まじく、ほとんど魔族やそのやり方に共感・同調したり憧れすら持っている。人間側が劣勢になっている主要原因は、政財界の腐敗と並んで、魔術協会の常習的な裏切り行為やサボタージュだと言って良い。軍の戦士たちには接近戦・格闘や肉弾戦なら魔族と十分戦える勇士や達人はそれなりにいるが、後方や側面から援護する魔法使いがいない(サボタージュして協力しない)ことで、損耗率も高くなって及び腰にならざるを得ない。

 今回の盗賊グループとの乱戦でも、近場の魔術者たちのほとんどは戦わずして撤退や見て見ぬ振りを決め込んで、そのために四方八方から一方的に撃ちまくられて戦士たちが何人も犬死にの屍をさらしている。
 トラだって、このままでは追加の「転がった死体おかわり」になりかねない。敵の魔族騎士がこちらに向かって来ているのに立ち上がることすらおぼつかない。しかも武器の大剣は滑り落ちすっぽ抜けて手元にない。幸い敵の魔族は「戦士寄り」のスタイルのようだが、はたして単純に正面から魔法の撃ち合いで勝てるだろうか?(トラは射出系のポピュラーなやり方の魔法攻撃などは月並みだ)

「思い上がるからだよ。ちゃんと協調性があって服従できることが大事なのに。自分だったらどうにかできるとか、どうにかしてやるとか。そんなアホなことするから「死ぬことになる」」

 拍手する、子供たちの幻影。
 でも、こういうふうになった原点は子供時代からの情熱だから、言われる義理はない。あるいは落胆を表明するのに、過去の自分が幽霊にでもなって現れたとでも言うのだろうか。
 ずっと、魔術協会の魔術者たちを「傲慢で酷い奴ら」だと思っていたが、傲慢さというのは(方向性が違っても)自分自身もそうだろう。しかもあいつらは集団心理だけれど、自分は一人で余計な夢やロマンを持った。だったらなお悪いじゃないか。
 だったら、なお「悪くて酷い」人間になってやればいい。どうせ相手は魔族で、魔族より「悪い」くらいでなかったら勝てるはずがない。どうせ世界の本質は悪意や暴力なんだから。魔族こそ人間の教師だし、見倣って殺すべき存在だろう。
 「反省」の新しい次元が「鬼畜」の覚醒だった。
 それまで、自分がどれほど愚かだったかを理解できた気がした。正々堂々とか騎士道精神みたいなものに、心のどこかでこだわり続けていた。でも「敵が死ねばなんでもいい」のだし、卑怯でも無慈悲でもいい。

「義手で良かったよ」

 追撃で迫ってくる魔族の剣士。
 銀の炎のように煌めく、ノコギリにような刃。
 トラは避けずに、義手で受けた。
 瞬間、火炎と爆発が発生。義手にブービートラップを仕掛けてあったのだ。
 魔術トラップで、破壊の発生する彷徨や範囲はコントロールできるけれど、それでも義手はズタズタになってぶら下がる。火炎と爆発、そして砕け散った義手の破片の散弾。全身に傷を負って倒れたのは、勝利目前だった魔族の騎士とやら。
 手放され、転がった敵の剣で、何度も何度も斬りつける。

「左手一本じゃ、力足りねえんだよ」

 トラは切り刻みながら陰険な微笑。
 もっと酷いことも考えついた。

(この魔族野郎を囮にすれば)

 敵は魔族とその手下だから、人情も倫理観も劣っているだろう。普通の人質では見殺しされるだけかもしれない。しかしそれらの部下たちはこいつの恩顧と利権で生きているのだから、半殺しで吊しておけば救助しに来るかもしれない。

(ありったけのトラップを仕掛けて皆殺しにしてやるぜ!)

 きっとトラは鬼畜や悪魔のような顔をしていた。奇計・策略で三十人をまとめて殺した日、魔族の騎士を殺して新しい剣を手にした日。