広さと蔵書数が自慢の私立洛央高等学校の図書室にて、幸之輔は手品に関する本を大量に速読していた。

 来月に控えた卒業式で、在校生は一クラス一作品、卒業生のために出し物を披露しなければならない伝統行事があるという。

 話し合いの結果、幸之輔の在籍する一年A組はマジックショーをやることになった。

 世の中に数多く存在する手品の中から、誰にでもできる地味すぎず難しすぎないものを選定するために、クラス委員長に頼まれた幸之輔は、候補になるものを抜き出す作業をしているのだった。

「旭くん、手伝ってくれてありがとう」

 幸之輔が選定した手品を更に絞りこむ作業をしている委員長は、人懐こい笑顔で礼を言った。

 彼女は最近めっきり色っぽくなった気がする。一般的に女の雰囲気が変わるのは、色恋沙汰が原因だ。彼女は誰かを想い、誰かに想われているのだろうと推測している。

「いや、構わない。だがこの行事に意味があるのかは、甚だ疑問ではある。三年生が受験や合格発表の緊張を前に、喜んでくれるとは思えないが、叔父……理事長は一体、何を意図してこんな企画を通したのだろうか」

「そう? わたしは、勉強の息抜きになっていいと思うけどなあ。自分たちのために後輩が頑張ってくれたって思ったら、嬉しくならない?」

 そういう考えもあるのかと幸之輔は感心した。人の気持ちを考えるようになったとはいえ、まだまだ理解できないことだらけで、日々勉強の毎日である。

「しかしなぜ、俺が見せたミミズマジックと、輪ゴム移動マジックは採用しなかった?」

「んー、だってマジックと言うにはあまりにも簡単だし、有名だからね」

 幸之輔は腑に落ちなかったが、出し物の責任者である委員長の意見を尊重し、強く抗議することはしなかった。

「それにしても、旭くんがこんなに天然キャラだなんて思ってもみなかったわ。やっぱり人間、話してみないとわからないものなのね」

「俺が天然? ……確かに養殖ではないと思うが、どうやって見分けをつけているんだ?」

「あはははは! 旭くんはわからなくていいよ! そのままの旭くんでいて!」

 馬鹿にしているような言い方なのに不快に思わないのは、委員長の人柄なのだろうか。

 これがエイミーだったら間違いなく言い争いになっているだろうなと想像し、口元が緩んだ。

「そうそう! うちの弟が寧々ちゃんと同じクラスなんだけどね、毎日寧々ちゃんに会えるって楽しそうにしているの。本当、可愛い女の子に弱くて姉としては将来が心配になるよ」

「寧々に心を惹かれない方が男として異常であるから、懸念する必要はない。だが、手を出したら容赦はしないと警告しておこう」

「あはは、そうだよね! あんなに可愛い妹さんがいたら、シスコンにもなる気持ちもわかるよ。了解! 弟にはまんま伝えとく!」

 ろくに部屋から出て来ることもなかった寧々だったが、ついに年明け最初の授業から学校に復帰したのだ。

 家庭教師をつけていたため学力的には全く問題なかったようだが、長い間休んだことによる周囲からの目が精神的に辛いのではないかと、幸之輔をはじめ旭家の皆は懸念していた。

 復学を決意した寧々も最初は不安で緊張していたようだが、幸いにも学友たちは寧々に優しく接してくれているらしい。周りの環境に恵まれたこともあり、今のところ寧々は毎日学校に通えている。

 とはいえ、寧々は今までずっと家にいたのだ。精神的にはもちろん、まだ体力的にきついらしく、家ではよく眠る生活を送っていた。そんな時間に余裕のない日々の中でも趣味である物書きは続けているようだったが、寧々はもう幸之輔に自作の物語を見せてはくれなかった。

「『魔法の万年筆』だけは例外ですが……考えてみれば、ノートはお兄様が勝手に見たのではありませんか。普通、家族に創作小説を見せるなんて、恥ずかしくてできませんよ」

 使い慣れた敬語がまだ直らないままの寧々は、そう言ってノートを隠してしまった。

 それでも、少し前の他人行儀で何事にも無関心だった寧々と比べれば、大分良い傾向だと思った。寧々の書いた物語が見られないことに残念な気持ちもあるが、仕方がない。

 当然ではあるのだが、エイミーが消えたと同時に万年筆も消えてしまった。

 もしやと思い、『注文の多い料理店』からはじまった、エイミーと共に改変してきた物語を読み直したが、それらの内容は幸之輔が改変した内容のままだった。すでにエイミーは代償を払っているし、少なからず人生が変わった人たちもいる。すべてが元に戻るということはなかったのだろう。

 エイミーが完全に姿を消した後で、寧々は約束通り書き直した『魔法の万年筆』を読ませてくれた。エイミーに会いたいがために寧々に頭を下げて書いてもらった物語は、メグミという主人公の名前と、魔法の万年筆という設定だけ残した全く別の物語になっていた。

 メグミは姉と同様に活発で明るい少女で、ふたりは町では元気をくれると有名な姉妹であった。

 楽しい日々を過ごしていたメグミだが、ある日起きた大地震がきっかけで、生活が大きく変わってしまう。地震で大打撃を受けた後の火災が致命的となって、メグミの住む町は壊滅的な被害を受け、平穏で楽しい日々は突然終わりを告げたのだ。

 しかしメグミは、絶望することも諦めることもなく、一日でも早く町を復興させ皆が笑顔になれるように尽力する。笑顔を絶やさないことはもちろん、魔法の万年筆を自分のためではなく、町の人々のために上手く活用していった。

 山道に落ちた大きな岩が道路を塞いだことで物資支援が滞れば石を砕き、怪我の痛みに泣き叫ぶ子どもを見れば、治療しながら勇気を与えた。

 彼女の姉もまた、優秀な頭脳を駆使して救援の発信方法の発案や、食料の振り分けルールを確立させ、怪我人に対して不足する医師を支えるために人一倍働いて、復興のために何役も買った。

 そんな姉妹を中心に町には少しずつ活気が戻り、絶望の淵から少しずつ活路を見出していく。

 話の終盤、メグミは怪我を治すために根気強くリハビリを続ける少年から、花の形を司ったイヤリングをプレゼントされる。

 後に彼女のトレードマークとも言われるそれを耳朶につけ、メグミはより頑張っていこうという気持ちを奮い立たせるのだった。

 幸之輔はこの新しい『魔法の万年筆』を読んだとき、相変わらずのご都合主義と矛盾の多さ、展開の雑さに苦笑してしまった。

 しかしどんな話であれ、幸之輔は満足だった。

 寧々が書き直した『魔法の万年筆』では、メグミの笑顔が多いからだ。

 今はもういない彼女に思いを馳せる幸之輔の前に、委員長は栞を挟んだ本を何冊か置いてページを開いた。

「旭くんが選んだ手品から候補を抜粋してみたんだけど、これはどう思う?」

「見せてみろ。……悪くないが、これらを組み合わせると、規定時間をオーバーする可能性が高いかもしれないな」

「あー、そっかあ。だったら、これはどう?」

「ああ。これだと……」

 委員長の提案を幸之輔は冷静に、そして親身になって聞いた。

 他人の考えを理解しようと歩み寄るその姿勢こそが、彼自身の変化を象徴していた。



 エイミーはいなくなり、万年筆も消えた。

 だけど幸之輔は、エイミーとの繋がりがなくなったとは思えなかった。

 根拠のない理由だが、メグミが少年から貰ったイヤリングは、あの夜にエイミーが欲しがっていたものと同じであったからだ。

 偶然にしては洒落ている。

 不思議な因果に口元を緩め、幸之輔は彼女の幸福を祈った。  (了)