青年は慟哭(どうこく)した。
 汚れた黒に染められた青年の手には、一本の扇が握られている。天の川のかかる空を彷彿とさせる美しい扇で、金砂銀砂で映し出された天の川は、青年の涙を受けて、皮肉にも輝きを増した。
「なんで、なんで……」
 青年はつぶやく。引きちぎれそうなほど、沈痛な声音だった。
「私は、彼女のいない世界でなんて……生きられません。どうして、私から彼女を奪ったのですか! 彼女は私のすべてだった! この世界の誰よりも大切で、愛おしくて、恋しくて……」
 ——彼女は罪人だった。
 そんな声が聞こえてきた。いやに耳に残る、とろみのある女の声だった。
 罪人。そう、青年が愛した〝彼女〟は罪人だった。
「……」
 ——彼女は許されざる罪を犯した。その命をもってしても償いきれぬような……。
 女の声は続く。
 ——そんな彼女が、おぬしと添い遂げるなど、もとよりあり得ない話だった。それでは、彼女によって滅ぼされた命が報われん。
 彼女は、罪人だった? 確かに彼女は、よく罪を犯したと言っていた。
「……はあ、あなたは、そんなにも馬鹿げた質問を、私に投げかけるのですね」
 女は黙った。いなくなったわけではない、ぐっと、言葉に詰まったような声がしたから。
「彼女は罪を犯した、それは事実かもしれません。ですが——」青年は、見えない〝声〟に向かって言い放つ。「死ぬことだけが、本当の償いなのでしょうか?」
 ——続けて。
「彼女は孤独でした。どれだけ多くの人から愛されても、癒えることがないほど、彼女は深い傷を負っていました。十分な償いではないのでしょうか?」
 ——くだらない。それで、彼女によって傷ついた人は報われるの?
「彼女が死んだとして、彼女に傷つけられた人は報われますか?」
 また、女は黙る。
「結局、生者の利己的な考えでしかありません。私は、彼女を愛しています」
 しばしの沈黙。それを破ったのは、女の声だった。
 ——これから、どうするのだ。
「地上に、流れようと思っています。彼女のいないこの地に、いる意味がはありませんから」
 女は、しばし黙ったのち静かに、そうか、とつぶやいた。
 それを最後に、声は聞こえなくなった。
「……」青年は手に持った扇をじっと見つめる。それをぱっと開いて中を見ると、金紗銀砂によって形作られた天の川と同時に、彼女の無邪気な笑顔が浮かんでくる。
「大丈夫です、待ち続けます。あなたが再び生まれ変わるその日まで。何年、何十年、何百年、何千年かかったとしても——」
 青年はそう言うと、立ち上がり歩き始める。
 いまから約二千年前。今日に『月』と呼ばれる場所での出来事である。