巴に案内された部屋に行くと、両親、叔母、蛍、真昼がいた。襖と向かい合うように両親が座り、二人と直角の位置に美智と蛍が並んで座って、その向かいに、真昼が座っている。朝美は両親の正面に座る。
「……父上、わたしに何の御用でしょうか」
 落ち着き払った口調で聞いてみた。父に流れる妖気は、いつも静かな水面のようで揺るがない。
 妖気は、まるで血のように身体をめぐっているもの故、感情によって、多少なりともめぐりが変わるものだ。それが揺るがないということは、彼の制御能力が優れているということ。
——彼の陰陽師としての才はすさまじいな
「お前たちに話が合ってここに呼んだのだ。他でもない、安和家の今後に関することだ」
 低く、深みのある声は、この広くはない部屋によく響く。
「知ってのとおり、来年、蛍が安和家へ嫁入りする。これはすでに決定事項だ」
 そう言って、父は二人を交互に見やる。当の本人らは、軽く会釈を交わした。
 二人が許婚の関係になったのは、真昼が生まれてすぐの事であった。陰陽師とは関係のない武家へと嫁いでいた叔母だったが、夫との間に生まれた蛍は、早くから陰陽師としての才を開花させていたため、本家の男子に嫁ぐことが決まっていた。
 陰陽師とは関わりのない家に嫁いだ際に生まれた子は、生まれ持つ才覚によっては、安和家もしくは他地方の陰陽師家に嫁ぐことがあった。
 単純に、陰陽師の血を他家へ流出を防ぐ目的や、血が薄くなるのを防ぐためなのだという。ちなみに朝美の両親も、はとこの関係である。
「そして……朝美、お前には嫁いでもらう。武家である徳嶌(とくしま)家の当主、徳嶌信長様だ」
「え、と……!」
 驚きのあまり声が詰まった。
 この四ノ神島において、徳、高、愛、香、の字を名字に含む家は、名門中の名門であり、家としての格が高い。現在、皇家から徳ノ宮の地方自治を任されている大名家、蜂須賀(はちすか)家ですら、徳嶌家には敬意を払わねばならない。たしか現当主である信長の母は、蜂須賀家の姫である。
「ふん、あんたのような無能にはもったいないお相手ねえ、朝美」
 叔母の嫌味に、父は何も言わなかった。唯一、ため息だけはついた。隣に座る母は、無関心そうに俯いている。
 当の朝美はその叔母の声色に、わずかな恐怖を覚えた。
——無能が徳嶌家に嫁ぐというのに、妙に機嫌がいいな
 嫌な予感が、背筋をなぞったような気がした。
「断ることは許さない。祝言(しゅうげん)はひと月後、代理人とともに行われる」
「代理人? 徳嶌側に何か事情があるのですか?」
「信長様は現在、女帝様に謁見(えっけん)するため、香ノ宮に赴かれている。今年はそれが長期になるらしく、代理人と結婚の儀を行ってほしいとのことだ」
「なるほど」朝美は形の良い顎に、人差し指を添える。女帝への謁見は、蜂須賀家をはじめとする武家が年に一回行う行事である。
——しかし、その程度で代理結婚‥‥‥?
 何が何でも大仰すぎやしないか、と思った。
 代理結婚が行われた事例を見てみると、どちらかに身体的な問題があり、式への出席が難しい場合が多い。
 しかし、父の話を聞く限り、相手である信長に、そういった事情はなさそうだ。
——わたしというより、安和家の財産を求めてるんだろうな。
 しかし、娘に、父が決めた結婚を断る権利などない。
「かしこまりました、父上」
 なので朝美は、頭を深く下げた。

 部屋に戻った朝美に、凛と樹希が、文字通り飛んできた。——昼寝をしているのではなかったのか。
「あるじ様、縁談の話をしていましたね。ぼく、びっくりしました」
 ああ、そのことか、と思う。眷属は、本体である主と視覚と聴覚を共有することができるので、さっきまでの話を聞いていたのだろう。
「しかし、徳嶌家か……またとんでもない家との縁談を持ってきたもんやな」
 凛はうわ言のように呟く。
「この家の、莫大な持参金に寄ってきたのかもしれないな」
 陰陽師家は、例外なく莫大な資産を持っている。単純に陰陽師家業が儲かるというのもあるが、人々からの人望が厚い故に、米や上等な布、工芸品なんかが献上品も多々送られてくるのも理由の一つだ。その上、安和家のように格が高い一部の一族は皇家から年金も支払われ、免税特権もあった。
 陰陽師と関わりのない家が、陰陽師家に縁談を持ちかけてくるのは、大体が莫大な持参金目当てだったりする。
「……でも、だとしたら、何か嫌ですね。それじゃあまるで、あるじ様とじゃなくてお金と結婚するみたいじゃないですか……」
 樹希は不満そうに声を漏らした。
「まあ、樹希の言うことにも一理あるわ。でも、政略結婚なんてそんなもんやろ」
「うーん……やっぱり嫌だよ、ぼく」
 悲しそうに語る樹希は、幼い子供のようだった。彼は凛に比べると、幾分子供っぽい性分だ。


「……ふたりとも、下がって」
「あるじ様?」
「だれか来る」
 ふたりは命じられるまま、砂城(さき)のように消えていった。そして入れ替わるように、叔母が部屋に押し入ってくる。声もかけず、ずかずかと部屋に押し入る美智は、これだけ見れば、相当教養のない女に見える。
「美智様……!」
 巴が制止の声をかけるも、陰陽師の才を持たぬ使用人の声を聞くほど、美智は寛容な人間ではない。
「ねえ、朝美。あんたは徳嶌家との縁談、どう思ったのかしら?」
「どう、とは? 特に何も思いませんでしたが」
 いつか、政略結婚で嫁に出されることくらいわかっていたので、対して何も思わなかった。これは紛れもない事実だ。
「あらあら、じゃあ、あなたは知ってるのかしら、信長様の事」
「知りません。わたしにとっては、雲の上のような人ですから」
 朝美はきっぱりと言い切った。実際、夫となる信長の人物像は、露ほども知らなかった。
「あらまあ、じゃあ、優しいわたくしが教えてあげる。信長様は、どうやらかなり冷酷無慈悲な方だそうですわ。命乞いをする敵を、問答無用で切り捨てたとか」美智の口がぱっくりと開く。——笑ったのだ。「嫁いできたのが、あんたのような無能だと知ったら、きっとあなたのことを屋敷からたたき出すでしょうねえ。ややもすれば、切り殺されてしまうやもしれませぬ」
 そこまで言って、美智はこらえていた笑いを一気に吐き出す。まるで金切り声のような、耳障りな笑い声であった。
——この女は、何が楽しくて、"朝美"を蔑むのだろう。
 わかるはずなんてないし、わかりたくもなかった。
「まあ、せいぜい形だけでも妻としていられるように努力なさい、無能(・・)
 最後の"無能"をやけに強調させて、美智はもう満足と言わんばかりに出て行った。
 巴が申し訳なさそうに顔を出し、「申し訳ありません、姫様」と頭を下げた。
「別に問題ないわ、巴。下がっていいわよ」
「は……」と短く返事をし、巴はその場を後にした。
「主はん……大丈夫ですか?」
 耳元で凛の声が聞こえたが、何も答えず、ただ一つ、ため息をついた。