絃葉の病室にたどり着いたのは、午後6時のことだ。
 バスで病院に向かうまでのあいだ、ゆっくりと夕陽が沈んで空が群青色に変わっていく様子を眺めながら、やきもきとさせられていた。

「絃葉」

 絃葉の病室の扉を開けると、絃葉がベッドの上でぱっと身体を起こした。その顔が少しやつれているように見えて、俺は息をのんだ。

「紡くん、こんばんは」

 絃葉がにっこりと笑って俺を迎え入れる。彼女の目尻が、ぴくりと震えているように見えたのは気のせいだろうか。

「絃葉、大丈夫か?」

「うん、平気。薬でちょっと、気分が悪くなってただけ」

 絃葉はそう言って、ひょいと布団を剥がしてベッドに横座りになり、足を俺の方へと下ろした。

「そ、そうか。それならええんやけど」

 いつ会っても明るい絃葉が、重病患者であることを、俺は忘れそうになる。

「それよりどうしたの。顔に、『早く話したい』って書いてあるよ」

「え!?」

 絃葉からそう言われた俺は面食らった。絃葉はそんな俺の反応を見て、おかしそうにくくくと笑う。

「紡くん、冷静そうに見えて感情が分かりやすい。そういうところ、好きだな」

 いま、さらっと恥ずかしいことを言わなかったか?
 俺は耳の方まで赤くなるのを感じて、彼女の言葉の真意を尋ねることはできなかった。
 その代わり、ポケットから糸を取り出して見せる。

「さっきさ、ばあちゃんにこの糸持ってもらったら、透明になった。絃葉の時とおんなじや。他の人ではダメやった。変わらんかった。絃葉とばあちゃんが持った時だけ、透き通る。なんでかいな」

 俺は捲し立てるように彼女に事実を伝えた。絃葉の目が、丸く見開かれていく。

「おばあちゃんって、今おいくつぐらい?」

「78やったかな?」

「なるほど……」

 絃葉が、腕を組んで何かを考えているそぶりを見せた。しばらくして、何か閃いたのか口の端をにっと持ち上げてこう言った。

「心が綺麗な人が持ったら透明になるんだよ、きっと!」

「え?」

 えへん、という声でも聞こえてきそうな勢いでそんなことを言う絃葉が可愛らしくて、俺はつい彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。

「ね、紡くんもそう思うでしょう?」

 彼女の透き通るような瞳に見つめられてしまった俺は、その場で首を縦に振るしかなかった。彼女が綺麗なのは、心だけじゃないんだけどな。
 そんなくさい台詞を言えたなら、俺はもっとモテる男だったに違いないのだろうな、と彼女の白い頬を見ながら思いを馳せていた。