例えるなら、そう、夜。
 闇というよりは、星が煌めく夜。
 暗いけれど、明るさを秘めている。
 そんな感じ。

 ただ、出会ったころは、夜に雨が降っているみたいな感じだったな。

 だけど、君には朝も似合うと思うんだ。



 ねえ、織部さん。
 僕は君の叶えたいことを叶えられたかな。

 どれだけ聞きたくても、もう君には聞けないなんて、僕はいまだに信じられない。

 君がいなくなって、一年が経つ。

 織部さんがやりたいことリストに書いていた海に来てみたけど、一人だとなにも楽しくないよ。

「僕も、織部さんと来たかったな……」

 この世界には存在しない君の姿を探し求めて、僕は何度も神を呪った。
 僕の大切な人を、あんなにも簡単に奪い去っていくなんて。
 残酷にもほどがある。

“海、綺麗だね”

 波音を聞きながら遠くを眺めていると、ふと、織部さんの声を思い出した。
 いや、これは僕の妄想か。
 だって彼女は、僕のそばで海を見たことがないのだから。

「……うん、綺麗だ」

 それをわかっていながら、僕は、織部さんに応えた。

“入りたいな”

「ダメだよ、君は……」

 今までの癖で言っていたけど、すぐに気付いた。
 これは織部さんであって、織部さんじゃない。

「……いや、入ろう」

 僕は靴と靴下を脱ぎ、海水に足をつける。
 波が戻っていくときに砂まで流されて、それが指の間を通り抜けていくのは、気持ちが悪い。

 だけど、今日みたいな温かい気温の中で海に入るのは、とても気持ちがよかった。
 ふと足元から視線を上げると、地平線がどこまでも続いていた。
 こんなにも広い世界なのに、やっぱり、君はいない。

『穂村くん、私のことは、忘れてね』

 彼女の最後に近い言葉は、それだった。

 どうして忘れられると思ったんだろう。
 だって僕は。

「僕は、織部さんのことが好きだったんだよ……」

 忘れられる、わけがない。
 僕だけじゃない。
 和泉だって、君がいなくなって酷く落ち込んでいたんだ。

 かつて味わった絶望とは比べものにならないほどの闇から、ようやく抜け出せたところなのに。
 彼女は平気で僕の記憶の中に現れる。

“私も、穂村くんのことが好きだったよ”

「え……」

 いや、これはさすがに妄想がすぎる。
 そんなことまで考えてしまう僕自身を、鼻で笑う。

 織部さんが僕のことをどう思っていたのかは、もう知りようがない。

 だけど、彼女は間違いなく僕の世界にいた。
 僕の心に、まだいるんだ。

「ねえ、織部さん。織部さんのやりたいことって、なに?」

 織部さんは楽しそうにやりたいことを想像している。

 雨上がりの朝のように、明るく笑うようになった君と、これからも。