あれから体調を悪化させてしまった私は、夕方、病院に連れていかれ、そのまま病院生活に逆戻りしてしまった。
自業自得とはいえ、今回は入院したくなかった。
穂村くんがおすすめしてくれた本、読めなかった。
慣れたはずのベッドの上は、退屈どころか、ますます私を絶望の淵に落としていく。
もうすっかり日は暮れて、カーテンが閉められている。
今日は上手く寝付けなくて、私はベッドから降りてカーテンを開けた。
黒い空の中に、月が一つ、輝いている。
どうして綺麗なものを見ていると心が満たされるだけでなく、涙がこぼれそうになるんだろう。
もう強がらなくてもいいよ。
そんなふうに言われているような気がして、私は涙を堪えるのを辞めた。
光のない人生だった。
光に憧れた人生だった。
奪われるばかりで、たくさん諦めてきた。
せっかく見つけた楽しみも、こんなに簡単に奪われる。
「もう、私からなにも奪うな、バカ……」
私のか細い声は、闇に攫われていった。
◆
また、織部さんの席が空席になった。
「星那ちゃん、また来なくなっちゃった。洸太、なにか知ってる?」
和泉は寂しそうに織部さんの席を見つめている。
織部さんは、和泉には病気の話をしていなかったらしい。
「……さあ」
勝手に話していい内容でもなくて、僕は曖昧に誤魔化すことしかできなかった。
放課後になると、僕は家に戻って自分の本棚から『朝露』を取り出した。
少しでも、彼女のやりたいことを叶えたい。
そう願う僕にできることは、これくらいしかなかった。
数週間前に訪れた病院。
今回は迷わなかった。
「星那、元気出せー」
織部さんの病室に向かう途中、少年の声が聞こえた。
声がしたほうを見ると、子供たちが織部さんを囲み、心配そうに見上げている。
織部さんは、魂が抜けたように見えた。
「……こんにちは」
僕が声をかけると、織部さんの視線はゆっくりと動く。
焦点が合っていなかったように感じた視界に、おそらく僕が写った。
「穂村くん……」
織部さんは泣きそうな声で言った。
彼女がやりたいことを忘れたと言った理由。
それを、今ようやく理解した気がした。
「……これ、持ってきた」
僕は鞄から本を取り出す。
少しだけ、織部さんの目に光が宿ったように思えた。
「ごめん、みんな。今日は遊べない」
織部さんはそう言いながら、僕のもとに来る。
そして僕たちは織部さんの病室に向かった。
織部さんはまるで家のようにリラックスしている。
彼女がベッドに腰かけると、僕は本を渡した。
「ありがとう、穂村くん」
僕は、思わず織部さんの笑顔から顔を背けてしまった。
こんなにも喜んでくれるとは思わなかった。
「それ、僕のだから、いつ返してくれてもいいよ」
「そうなの? じゃあ、大切に読む」
なんだか、毒気が抜けたみたいだ。
本当の彼女は、とても穏やかな子なのかもしれない。
「あの、さ。やっぱり、織部さんのやりたいこと、教えてよ。全部、叶えよう」
織部さんは少し悩んで、ベッドのそばにある勉強道具の山からバインダーを手にした。
そして一枚のルーズリーフを取り出すと、僕に差し出した。
“死ぬまでにやりたいことリスト”
学校に行く。
授業を受ける。
友達を……作る、だろうか。
友達との勉強。
図書室に行く。
学校行事への参加。
海に行く。
そして、恋をする。
どれも、僕たちの当たり前の日常だ。
だけど、どれも彼女にとっての当たり前じゃない。
「もう、全部叶わないけどね」
僕が目を通し終えると同時に、織部さんはまた泣きそうに笑いながら言った。
「そんなことは」
ない、と無責任には言えなかった。
「たった二日。いや、一週間かな。そんな短い間に、私の身体は一気に病に蝕まれたんだって。だから、今までの薬で抑え込むことができなかったみたいで。本当、世界は残酷だよね」
ああ。
神様は、意地悪だね。
思うことはたくさんあるのに、僕は声が出せなかった。
「……やっぱり、困るよね。ごめん」
織部さんは僕の手からルーズリーフを取り戻そうと、手を伸ばす。
僕は思わず手を引っ込めた。
「勉強、しよう。まだ叶えられるよ」
慌てて提案したから、織部さんは驚いている。
だけど、すぐに表情を和らげた。
「また、同情?」
「違う。……違うんだ」
あのときだって、違ったんだ。
君をかわいそうだと思って、いろいろしているわけじゃない。
君のために、僕がしたいと思ったんだ。
それが照れくさくて、素直に言えなかっただけ。
「穂村くんは優しいね」
そう言って、織部さんは微笑む。
ねえ、織部さん。
君の恋の相手は、僕じゃダメかな。
なんて、言えそうになかった。
自業自得とはいえ、今回は入院したくなかった。
穂村くんがおすすめしてくれた本、読めなかった。
慣れたはずのベッドの上は、退屈どころか、ますます私を絶望の淵に落としていく。
もうすっかり日は暮れて、カーテンが閉められている。
今日は上手く寝付けなくて、私はベッドから降りてカーテンを開けた。
黒い空の中に、月が一つ、輝いている。
どうして綺麗なものを見ていると心が満たされるだけでなく、涙がこぼれそうになるんだろう。
もう強がらなくてもいいよ。
そんなふうに言われているような気がして、私は涙を堪えるのを辞めた。
光のない人生だった。
光に憧れた人生だった。
奪われるばかりで、たくさん諦めてきた。
せっかく見つけた楽しみも、こんなに簡単に奪われる。
「もう、私からなにも奪うな、バカ……」
私のか細い声は、闇に攫われていった。
◆
また、織部さんの席が空席になった。
「星那ちゃん、また来なくなっちゃった。洸太、なにか知ってる?」
和泉は寂しそうに織部さんの席を見つめている。
織部さんは、和泉には病気の話をしていなかったらしい。
「……さあ」
勝手に話していい内容でもなくて、僕は曖昧に誤魔化すことしかできなかった。
放課後になると、僕は家に戻って自分の本棚から『朝露』を取り出した。
少しでも、彼女のやりたいことを叶えたい。
そう願う僕にできることは、これくらいしかなかった。
数週間前に訪れた病院。
今回は迷わなかった。
「星那、元気出せー」
織部さんの病室に向かう途中、少年の声が聞こえた。
声がしたほうを見ると、子供たちが織部さんを囲み、心配そうに見上げている。
織部さんは、魂が抜けたように見えた。
「……こんにちは」
僕が声をかけると、織部さんの視線はゆっくりと動く。
焦点が合っていなかったように感じた視界に、おそらく僕が写った。
「穂村くん……」
織部さんは泣きそうな声で言った。
彼女がやりたいことを忘れたと言った理由。
それを、今ようやく理解した気がした。
「……これ、持ってきた」
僕は鞄から本を取り出す。
少しだけ、織部さんの目に光が宿ったように思えた。
「ごめん、みんな。今日は遊べない」
織部さんはそう言いながら、僕のもとに来る。
そして僕たちは織部さんの病室に向かった。
織部さんはまるで家のようにリラックスしている。
彼女がベッドに腰かけると、僕は本を渡した。
「ありがとう、穂村くん」
僕は、思わず織部さんの笑顔から顔を背けてしまった。
こんなにも喜んでくれるとは思わなかった。
「それ、僕のだから、いつ返してくれてもいいよ」
「そうなの? じゃあ、大切に読む」
なんだか、毒気が抜けたみたいだ。
本当の彼女は、とても穏やかな子なのかもしれない。
「あの、さ。やっぱり、織部さんのやりたいこと、教えてよ。全部、叶えよう」
織部さんは少し悩んで、ベッドのそばにある勉強道具の山からバインダーを手にした。
そして一枚のルーズリーフを取り出すと、僕に差し出した。
“死ぬまでにやりたいことリスト”
学校に行く。
授業を受ける。
友達を……作る、だろうか。
友達との勉強。
図書室に行く。
学校行事への参加。
海に行く。
そして、恋をする。
どれも、僕たちの当たり前の日常だ。
だけど、どれも彼女にとっての当たり前じゃない。
「もう、全部叶わないけどね」
僕が目を通し終えると同時に、織部さんはまた泣きそうに笑いながら言った。
「そんなことは」
ない、と無責任には言えなかった。
「たった二日。いや、一週間かな。そんな短い間に、私の身体は一気に病に蝕まれたんだって。だから、今までの薬で抑え込むことができなかったみたいで。本当、世界は残酷だよね」
ああ。
神様は、意地悪だね。
思うことはたくさんあるのに、僕は声が出せなかった。
「……やっぱり、困るよね。ごめん」
織部さんは僕の手からルーズリーフを取り戻そうと、手を伸ばす。
僕は思わず手を引っ込めた。
「勉強、しよう。まだ叶えられるよ」
慌てて提案したから、織部さんは驚いている。
だけど、すぐに表情を和らげた。
「また、同情?」
「違う。……違うんだ」
あのときだって、違ったんだ。
君をかわいそうだと思って、いろいろしているわけじゃない。
君のために、僕がしたいと思ったんだ。
それが照れくさくて、素直に言えなかっただけ。
「穂村くんは優しいね」
そう言って、織部さんは微笑む。
ねえ、織部さん。
君の恋の相手は、僕じゃダメかな。
なんて、言えそうになかった。