翌日の昼休み、私は図書室を訪れた。
 外からいろいろな声が聞こえてくるのに、ここだけとても静かで、どこか別世界に迷い込んだような気がした。
 ほかにも生徒はいたけど、互いに無関心のようなここは、私にとって居心地がよく思えた。

 自分よりも背の高い本棚を見上げながら、背表紙を眺めていく。
 ときどき物語の世界だけじゃなくて、専門書のようなものもあって、なんだか心が躍った。

 半分くらい見終えたとき、私のお気に入りの小説を見つけた。
 自分で持っているくせに、つい、手を伸ばした。
 たくさんの人に読み込まれた本は、私のよりも温かいものに思えた。

 その不思議な感覚が新しくて、私は興味を惹かれる本を探した。
 タイトルや背表紙が気になるものを手にしては、あらすじを読んで本棚に戻す。

「なに、してるの」

 無意味なようで、有意義な時間を過ごしていると、そんな私を不審がるような小さな声が聞こえた。
 そこには予想通り、穂村くんがいる。
 私は一瞥すると、次の本を探すために一歩踏み出す。

「新しい世界探し」

 穂村くんからは、興味のなさそうな声が返ってくる。
 穂村くんのほうこそ、なにをしに来たんだろう。
 気にはなったけど、聞こうとは思わなかった。

「これ、読んだ?」

 すると、穂村くんは本棚から一冊の本を抜き出した。
 さっき流し見をしたところだ。

『朝露』

 知らないタイトルだった。
 私は首を横に振る。

「結構面白かったよ」

 穂村くんがおすすめしてくれるなんて、予想外すぎる。
 とても、本を読むような人には見えなかったから。

「……余計なお世話、か」

 穂村くんは少し残念そうに、本を元の場所に戻そうとする。

「待って」

 私は手を差し出す。

「読みたい」

 ずっと、自分で物語を探していただけだった。
 気になる本を、お母さんに買ってきてもらって、一人でその世界に浸って来た。
 もちろん、それは楽しかったし、不満なんてなかった。
 だけど、誰かに世界を広げてもらうのも、面白いのかもしれない。
 きっと、見たことのない楽しみが待っている。

 穂村くんは私の手のひらにその本を置いた。

「それ、借りるよね。借り方わかる?」

 借りて、家で読む。
 それが普通なのかもしれないけど、私はこの部屋で読んでみたかった。

「……いや、放課後、ここで読む」

 そして私はその本を本棚に戻した。
 それからすぐに昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
 私たちは図書室を後にし、並んで教室に戻る。

「そういえば、どうしてここに来たの?」

 穂村くんはすぐには答えない。

 穂村くんは昨日、私にやりたいことはないか、と聞いてきた。
 それは、私の寿命を知ったからだろう。

 ということは、こんなにも私を気にかけるのは。

「……同情?」

 変な間のせいで、余計な考えが浮かんでしまった。
 穂村くんを困らせるだけなのに、私は嫌な言い方をした。

「……かも、ね」

 いつもとは違う返答に、私のほうが困ってしまった。
 たいてい、そんなことはないと否定されるのに。

「やりたいこと、思い出した?」
「言わない」

 同情して接してくるような人に、教えるものか。
 あのリストは、私の力で叶えてみせる。

 ここで、本当なら、穂村くんを置いてさっさと教室に戻りたいところだけど、そんなことはできなくて。
 穂村くんと歩いているうちに、私は気付いてしまった。

 穂村くんが、私の歩幅に合わせてくれている。

 同情だとしても、これほど優しさを向けられたのは、初めてかもしれない。
 どうして、私はあんなに可愛げのない態度をとってしまったんだろう。
 この流れでお礼なんて、言えない。

「なにか困ったことがあったら、遠慮なく僕を使ってくれていいから」

 どうしてそんなに優しくしてくれるの。

 教室に着いてしまったことで、私はその質問を飲み込んだ。
 どうせ、同情だと言われてしまうだろうし、聞かなくてよかったのかもしれない。
 そんなことを思いながら、私は自分の席に着いた。

 それから五時間目の授業を受けていると、私は身体の違和感に気付いた。
 明らかに、おかしい。
 さっきまでなんともなかったのに。

 あれ……お昼の薬、飲んだっけ……

「先生、織部さんが体調悪そうなんで、保健室に連れて行ってきます」

 すると、穂村くんが声を上げた。
 それによって、みんなが私に注目する。

「星那ちゃん、大丈夫?」

 和泉さんはすぐに振り向き、心配そうな顔をした。

「うん、だい……」
「大丈夫じゃないでしょ」

 穂村くんに遮られ、私は言い返せなかった。
 そして穂村くんに支えられながら、私は保健室に移動する。

「……ありがとう」

 この優しさが、同情じゃなかったらよかったのに。

 私はお礼を言いながら、そう、願ってしまった。