「星那ちゃん、今から予定ある? 親友にクレープ食べに行かないかって誘われてて、星那ちゃんもどうかなって」
放課後になり、先に準備を終えた和泉さんが、リュックを背負いながら言った。
放課後の、寄り道。
憧れの塊だ。
だけど、私が行けるはずもなく。
「ごめん、今日はちょっと予定があって」
「そっか。じゃあ、また明日ね」
そして和泉さんは教室を出て行った。
“また明日”
私はその言葉を返せなかった。
返してもいいのか、わからなかった。
この思考回路はどうしたって捨てられない。
少し自己嫌悪に陥りながら、帰りの支度を進める。
「織部さん」
すると、穂村くんに声をかけられた。
保健室で話してからずっと、穂村くんは悩んでいる様子だった。
そんなに抱え込まれるとは思っていなかったから、申し訳なく感じていたところだった。
「そんな暗い顔しないで。ごめんね、重たい話して。忘れていいよ」
私がみんなより先に死んじゃうことも、私のことも。
本当、なんであんなこと言ったんだろう。
言われたほうは悩むに決まっているのに。
この期に及んで、私は誰の記憶に残りたかったのだろうか。
そんな浅ましい自分を心で嘲笑いながら、私は席を立つ。
「織部さんの、やりたいことってなに?」
教室を出ようとしたときに聞こえた言葉。
どうしてそんなことを言うのだろう。
そんなことを思いながら、思い返す。
私が、やりたいこと。
そんなものたくさんあるし、たくさん諦めた。
振り向くと、穂村くんはなんだか切羽詰まったような顔をしている。
「……忘れちゃった」
そして私は今度こそ、教室をあとにした。
◆
あんなにも切なそうな、こっちの胸を締め付けてくるような笑みを見たのは、初めてだ。
「洸太、ああいう子がタイプ?」
織部さんのさっきの表情が頭にこびりついて動けないでいると、舜が背後から言った。
少し振り向くと、僕と同じく、織部さんが出ていったドアをまっすぐ見ている。
「別に、そういうのじゃないから。てか、こんなところで油売ってていいのかよ。部活、遅れるだろ」
「今日こそ、洸太を連れていこうと思って」
諦めの悪い舜に、ため息しか出ない。
「何度も断ってるだろ」
「でも、今日の授業でいいプレーしてたじゃん」
すぐ転けて抜けたあれの、どこがいいプレーだったと言うのか。
「僕はもう、サッカーはしない」
「あ、おい」
舜が引き留めようとする声を無視して、僕は教室を出る。
去年、引退試合の直前に怪我をして以来、サッカーから離れた生活を送ってきた。
久しぶりに今日サッカーやってみてわかったけど、周りより長くサッカーから離れていた僕は、きっと高校の部活にはついていけない。
それがわかっていて、入部なんてできるわけがない。
そしてなにより、また好きなことができなくなるかもしれないという恐怖に怯えながらサッカーをするのは、嫌だ。
ああ、そうか。
織部さんはきっと、こういう恐怖心と戦って、打ち勝ったのに、叶わないことが何度もあったんだろう。
「それは、全部諦めるよなあ……」
僕の独り言は、横を通り過ぎていく車の音にかき消される。
織部さんの恐怖心と絶望感は、僕なんかに想像できるわけがない。
ふと、僕は彼女に投げつけてしまった言葉を思い出した。
『なんで高校受験したんだよ』
高校生になりたかったからに決まってるだろ。
『全部、諦めてるところ』
きっと、諦めるしか、なかったんだ。
“……忘れちゃった”
織部さんの、あの表情が過ぎる。
「……デリカシーがないのは、僕も同じか」
過去の愚かな僕を嘲笑う。
信号で立ち止まり、見上げた空は、青く広い。
違うでしょ、織部さん。
君は、やりたいことを忘れてなんかないはずだ。
だって君は、学校に来ただろう。
和泉と笑いあっていただろう。
諦めなければいいことがあるって、頷いたじゃないか。
気付けば僕は、織部さんを笑顔にしたい、なんて思っていた。
◆
家に帰ると、私は自室でルーズリーフとお気に入りのシャーペンを机の上に並べた。
『織部さんの、やりたいことってなに?』
穂村くんの言葉を思い出しながら、シャーペンを手にする。
カチカチと音を立て、シャー芯を出す。
“死ぬまでにやりたいことリスト”
一番上のタイトル欄に書き入れる。
過去に何度か作って、ほとんど達成できなくて何度も捨ててきた、やりたいことリスト。
また書く日が来るとは思わなかった。
“学校に行く”
“みんなと授業を受ける”
“友達を”
そこまで書いて、すでに叶えたことを書いていることに気付いた。
この三つが一日で消化されたなんて、数ヶ月前の私に言っても信じないと思う。
今書いた三つを横線で消して、今の私がやりたいことを思い浮かべる。
“友達と勉強する”
ずっと、同級生のノートを見ながら勉強してきた。
誰かと勉強する機会は、もう、年下のお世話しかなくて。
叶うなら、和泉さんと勉強を教え合いたい。
“図書室に行く”
学校の図書室。
ちゃんと理由を言えと言われると難しいんだけど、なぜか、その場所に憧れを抱いている私がいた。
読んだことのない本を、読んでみたいのかもしれない。
“学校行事に参加する”
見学、もしくは休む。
学校行事は、そんな記憶しかない。
だからこそ、できるのなら、私もみんなと一緒になにかをしたい。
“海に行く”
写真でしか見たことがない、海。
入りたいとは思わない。
ただ、この目で見てみたい。
“恋をする”
「……これはないか」
そう思ったのに、私はそれを消せなかった。
しかし見返してみると一貫して“青春”というものに憧れているのがわかる。
といっても、この五つを叶えることが、私には難しい話。
どうせ叶わない。
そんな考えがよぎって、ルーズリーフを丸めようと、手を伸ばした。
『諦めなかったら、案外いいことがあると思わない?』
穂村くんの言葉で、私はいつものように諦めることを躊躇った。
私はそれをバインダーにしまい、席を離れた。
放課後になり、先に準備を終えた和泉さんが、リュックを背負いながら言った。
放課後の、寄り道。
憧れの塊だ。
だけど、私が行けるはずもなく。
「ごめん、今日はちょっと予定があって」
「そっか。じゃあ、また明日ね」
そして和泉さんは教室を出て行った。
“また明日”
私はその言葉を返せなかった。
返してもいいのか、わからなかった。
この思考回路はどうしたって捨てられない。
少し自己嫌悪に陥りながら、帰りの支度を進める。
「織部さん」
すると、穂村くんに声をかけられた。
保健室で話してからずっと、穂村くんは悩んでいる様子だった。
そんなに抱え込まれるとは思っていなかったから、申し訳なく感じていたところだった。
「そんな暗い顔しないで。ごめんね、重たい話して。忘れていいよ」
私がみんなより先に死んじゃうことも、私のことも。
本当、なんであんなこと言ったんだろう。
言われたほうは悩むに決まっているのに。
この期に及んで、私は誰の記憶に残りたかったのだろうか。
そんな浅ましい自分を心で嘲笑いながら、私は席を立つ。
「織部さんの、やりたいことってなに?」
教室を出ようとしたときに聞こえた言葉。
どうしてそんなことを言うのだろう。
そんなことを思いながら、思い返す。
私が、やりたいこと。
そんなものたくさんあるし、たくさん諦めた。
振り向くと、穂村くんはなんだか切羽詰まったような顔をしている。
「……忘れちゃった」
そして私は今度こそ、教室をあとにした。
◆
あんなにも切なそうな、こっちの胸を締め付けてくるような笑みを見たのは、初めてだ。
「洸太、ああいう子がタイプ?」
織部さんのさっきの表情が頭にこびりついて動けないでいると、舜が背後から言った。
少し振り向くと、僕と同じく、織部さんが出ていったドアをまっすぐ見ている。
「別に、そういうのじゃないから。てか、こんなところで油売ってていいのかよ。部活、遅れるだろ」
「今日こそ、洸太を連れていこうと思って」
諦めの悪い舜に、ため息しか出ない。
「何度も断ってるだろ」
「でも、今日の授業でいいプレーしてたじゃん」
すぐ転けて抜けたあれの、どこがいいプレーだったと言うのか。
「僕はもう、サッカーはしない」
「あ、おい」
舜が引き留めようとする声を無視して、僕は教室を出る。
去年、引退試合の直前に怪我をして以来、サッカーから離れた生活を送ってきた。
久しぶりに今日サッカーやってみてわかったけど、周りより長くサッカーから離れていた僕は、きっと高校の部活にはついていけない。
それがわかっていて、入部なんてできるわけがない。
そしてなにより、また好きなことができなくなるかもしれないという恐怖に怯えながらサッカーをするのは、嫌だ。
ああ、そうか。
織部さんはきっと、こういう恐怖心と戦って、打ち勝ったのに、叶わないことが何度もあったんだろう。
「それは、全部諦めるよなあ……」
僕の独り言は、横を通り過ぎていく車の音にかき消される。
織部さんの恐怖心と絶望感は、僕なんかに想像できるわけがない。
ふと、僕は彼女に投げつけてしまった言葉を思い出した。
『なんで高校受験したんだよ』
高校生になりたかったからに決まってるだろ。
『全部、諦めてるところ』
きっと、諦めるしか、なかったんだ。
“……忘れちゃった”
織部さんの、あの表情が過ぎる。
「……デリカシーがないのは、僕も同じか」
過去の愚かな僕を嘲笑う。
信号で立ち止まり、見上げた空は、青く広い。
違うでしょ、織部さん。
君は、やりたいことを忘れてなんかないはずだ。
だって君は、学校に来ただろう。
和泉と笑いあっていただろう。
諦めなければいいことがあるって、頷いたじゃないか。
気付けば僕は、織部さんを笑顔にしたい、なんて思っていた。
◆
家に帰ると、私は自室でルーズリーフとお気に入りのシャーペンを机の上に並べた。
『織部さんの、やりたいことってなに?』
穂村くんの言葉を思い出しながら、シャーペンを手にする。
カチカチと音を立て、シャー芯を出す。
“死ぬまでにやりたいことリスト”
一番上のタイトル欄に書き入れる。
過去に何度か作って、ほとんど達成できなくて何度も捨ててきた、やりたいことリスト。
また書く日が来るとは思わなかった。
“学校に行く”
“みんなと授業を受ける”
“友達を”
そこまで書いて、すでに叶えたことを書いていることに気付いた。
この三つが一日で消化されたなんて、数ヶ月前の私に言っても信じないと思う。
今書いた三つを横線で消して、今の私がやりたいことを思い浮かべる。
“友達と勉強する”
ずっと、同級生のノートを見ながら勉強してきた。
誰かと勉強する機会は、もう、年下のお世話しかなくて。
叶うなら、和泉さんと勉強を教え合いたい。
“図書室に行く”
学校の図書室。
ちゃんと理由を言えと言われると難しいんだけど、なぜか、その場所に憧れを抱いている私がいた。
読んだことのない本を、読んでみたいのかもしれない。
“学校行事に参加する”
見学、もしくは休む。
学校行事は、そんな記憶しかない。
だからこそ、できるのなら、私もみんなと一緒になにかをしたい。
“海に行く”
写真でしか見たことがない、海。
入りたいとは思わない。
ただ、この目で見てみたい。
“恋をする”
「……これはないか」
そう思ったのに、私はそれを消せなかった。
しかし見返してみると一貫して“青春”というものに憧れているのがわかる。
といっても、この五つを叶えることが、私には難しい話。
どうせ叶わない。
そんな考えがよぎって、ルーズリーフを丸めようと、手を伸ばした。
『諦めなかったら、案外いいことがあると思わない?』
穂村くんの言葉で、私はいつものように諦めることを躊躇った。
私はそれをバインダーにしまい、席を離れた。