一葉と花見をした翌日、僕は、別の場所の桜を一人で見に行った。昨日、一葉と見た桜があまりに綺麗で、他の桜の名所も見たくなったのだ。
 しかし、桜は綺麗だったが、何故か昨日の場所の方が綺麗に感じた。

「ねー、あの桜の木、他の木より立派じゃない!?」
「本当に綺麗ね」
「あー!瑞樹、ちゃんと見てないでしょ!?」

 思い出すのは、昨日の一葉の声ばかりで。どうやら、僕はもう一葉のことが大事すぎるようだ。僕は桜の写真を撮り、一葉に送る。
 しばらく桜を見ていると、ピコンと返信が来た。

「とっても綺麗!私も見たかったー!」

 どうやら一葉は今日用事があったらしく、前に今日は一緒に遊ぶのは無理だと言われた。
 桜を十分に楽しんだ僕は、帰るために駅へ向かった。あまり来たことのない場所だったので散歩を楽しみながら、ゆっくりと歩いて行く。
 すると、一葉らしき人物が大きな建物から出て来た。僕は驚いたが、声をかけるために追いかける。しかしその瞬間、一葉が出て来た建物の看板が目に入る。

【霧野谷《きりのや》総合病院】

「え……?」
 
 いや、何か検査に来た可能性もある。それでも、何故か心がざわつく。

「一葉!」

 大きな声で叫んだ僕を一葉が振り返る。

「瑞樹!?桜の場所ってこの辺だったの!?」

 一葉が嬉しそうに僕に駆け寄って来る。

「一葉、なんで病院から出てきたの?何かあった?」
「あー……うん、ちょっとね。大丈夫、ちゃんと話すから。だから、私をさっきの桜の場所に連れて行くこと!」

 一葉はいつも通り明るく笑った。
 桜の場所に一葉を連れて行くと、一葉は嬉しそうに駆け回る。

「わぁ、本当に綺麗!来て良かったわ!」
「それで、一葉……」

 一葉は僕の方を振り返り、そっと僕の横に歩いてくる。

「瑞樹、あの日、瑞樹と私がこの世界を天国にした日があるじゃない?あの日ね、私、病気を宣告されたの。別に、ちゃんと治療を続ければ死ぬ病気じゃない。でも、ずっと付き合っていかなければいけない病気。なんかさ、私、絶望したの。別にね、本当に死ぬつもりなんてなかったのよ?でも、なんか危ない場所に行ってみたくなった。そしたら、私より前に本気で死のうとしてる人がいたの」

 一葉は僕を指差して、少しだけ笑う。

「それが、瑞樹。びっくりしたわ。それでも死んで欲しくなくて、必死に抱きついた。私と瑞樹はあの日、会ったこともなかったでしょ?それでも、私、死んで欲しくない!って本気で思った。それでやっと気づいたの」

 一葉が僕の手を取り、ぎゅっと両手で包み込むように握る。

「きっと、私に死んで欲しくないと思ってくれる人も沢山いるって。だから、始めはただの口実で『今日、死んだことにしよう!』って言ったの。それでも、私の考え方も世界も大きく変わった。勇気を出して、したいことが出来るようになった。この世界を天国に変えたら、瑞樹が笑ってくれた。それが、どれだけ嬉しかったか瑞樹は知らないでしょう?」

 一葉が僕の手を握っている両手に力を込める。そして、僕と目をしっかり合わせる。

「大好きよ、瑞樹」

 気づいたら、僕は涙を溢していた。一葉は僕の涙を見ながら、微笑んだ。

「本当に大好きなの。付き合って下さい」

 一葉の手は震えていた。

 神様、僕はどうすれば良いですか?正解を教えて下さい。世界で一番大事な女の子が今、目の前で勇気を出してくれている。それでも、僕はもう少しで死ぬんだ。
 僕の身体も涙を溢すだけじゃなくて、正解の言葉を絞り出してよ。僕の身体は病気にも負けて、目の前で震えている好きな子の手も握り返せないのか。
 それでも、ただただ僕は涙を溢し続けるだけだった。一葉は、ただ暫く僕の顔を見つめていた。

「瑞樹」
 
 一葉が名前を呼んでくれていても、嗚咽で返事をすることも出来ない。

「告白は断るなら、ちゃんと断らないと駄目よ!私が諦められないじゃない!」

 違う。断りたいわけなんかない。それでも、言葉が絞り出せない。

「瑞樹、ほら。ゆっくりでいいから」

 しゃがみ込んだ僕に合わせて、一葉もしゃがんでくれる。

「ほーら、大丈夫だから。私、心の準備は出来てるわよ!」

 きっと一葉のためを思えば、断った方がいいに決まってる。
 ……余命のことを言わずに?
 僕が一葉と逆の立場だったらどうだろう?本当のことを言って欲しい。だって、一葉が本当に好きだから。好きだからこそ、言って欲しい。神様は正解を教えてなどくれない。なら、きっと正解を決めるのは僕でいいだろうか。



「……あと、もう少しで死ぬんだ」



 どうやら、溢れ出した言葉は本当のことで。


「え……?」


 一葉が固まって動かない。

「今年の冬、「余命一年」って宣告されたんだ」
「嘘よね……?」

 僕は答えることが出来ない。

「ねぇ……!ねぇ……!」

 その時、僕は初めて一葉の涙を見た。それも、沢山。好きな子を泣かせた自分が許せないはずなのに泣いてくれる一葉が可愛くて、僕はボロボロの顔で一葉を見ていた。それでも、一番好きな一葉の顔はやっぱり笑顔だった。

「本当だよ。じゃなきゃ、あの場所に行かない」

 僕は、一葉の涙を手で拭う。

「一葉、泣かないで。ほら、いつもみたいに笑ってよ。僕ら、もう死んでるんでしょ?今更、怖がることなんて何もないんだよ」

 一葉の涙は止まらない。

「嫌だ……!瑞樹……!」
「ねぇ、一葉。聞いて」

 僕を一葉の顔を両手で包み込み、僕と目を合わせさせる。

「あの日、僕は本当に死ぬつもりだった。でも、一葉が僕を止めて、この世界を天国に変えた。天国に変わったこの世界は、僕が思っていたよりずっとずっと楽しかった。一葉がいたからだよ。一葉がいたから、僕はこの世界を楽しめるんだ。一葉がいたから、好きなことを好きなだけするようになった。好きな服を着て、やりたいことをして、大好きな人達に素直に気持ちを伝えられるんだ」

 ごめんね、一葉。それでも、「好き」は伝えられない。残される者にその言葉を言う勇気が僕にはない。一葉には、幸せになって欲しい。

「一葉の気持ちには答えられない。でも、ありがとう」

 これが僕なりの正解。急にいなくなるのは嫌だから、余命のことは話した。それでも、この気持ちを秘密にすることだけは許して欲しい。
 その後も、一葉はずっと泣いたままだった。しかし暫くすると、一葉が自分の顔を思いきり叩いた。ペチンッという大きな音が響き渡る。そして、一葉は顔を上げた。

「瑞樹、もう一度、言うわ。私と付き合って」
「え……?」
「瑞樹は、私のことが嫌い?」

 急に一葉はどうしたのだろう。それでも、言わなければ。

「好きじゃない……」

「嘘つき」

 一葉が涙でボロボロの顔のまま、僕の頬をつねった。再び、一葉の目に涙がたまる。

「瑞樹の嘘つき。瑞樹は嫌いな人に余命のことなんて言わない」

 一葉が勢いよく立ち上がる。

「うん、そうよ!瑞樹、私に可愛いって言ったわよね!よくよく考えれば、瑞樹は好きでもない子にそんなことを言わないわ!紳士だもの!」

 一葉が思いっきり笑う。涙でボロボロの顔で。

「さっき瑞樹は、私がいたからこの世界を楽しめるって言ってくれた。でも、それは私も同じ。瑞樹がいるから私はもっとこの世界を楽しめるの。ねぇ、瑞樹。大好き」

 僕は両手で顔を覆う。

「瑞樹?」
「勘弁してくれ。僕は、あともう少しで死ぬんだ」
「今、聞いたわ」
「一葉を残して死ぬんだぞ」
「あら、さっき瑞樹が私に言ったんじゃない。もう私たちは死んでるって」
「そういうことじゃない……!俺が死んだ後も、一葉の人生は続くんだ!そんな奴に少しも気持ちなんか残さない方が良いに決まってる!」
「それでも、私は瑞樹と付き合いたい。瑞樹、何度だって言うわ。あの日、私たちは死んだ。これから先は天国。好きなことを好きなだけするの。だから少しでも、楽しい時間は多い方が良いじゃない?」

 一葉が僕が顔を覆っている手を掴んで、顔から離す。

「ねぇ、瑞樹。自分のことだけ考えて。私のことなんて考えないで。私に気を遣わないで。私は、瑞樹といられることが幸せなの」

 一葉が僕の顔を見て、クスッと笑った。

「返事は要らないわ。だって、瑞樹のその赤い顔がきっと返事でしょ?」

 僕は今、どんな顔をしているというのだろう。

「さ、瑞樹。まだまだこの天国を一緒に楽しみましょ!」

 桜の中でそう笑った一葉の顔は、しばらくずっと僕の頭から離れなかった。